第2話 出立
2.
あの後一人静かに孤児院を離れた僕は、夜の帳が下りた王都の住宅地で、家屋の屋根を跳ねるように駆けていた。勘や嗅覚の鋭い子が追ってこられないよう、できるだけ痕跡を残さず急いだ結果だ。
家の住人はネズミが天井裏で暴れているくらいに思うかもしれないが、王命をこなすためである。仕方なしといったものだ。
僕は目的地へ向けて急ぎながら、孤児院を出る原因となった出来事を思い返す。
それは、いつものように孤児院の院長室で書類仕事をしていた時のことだ。近所から雇った職員の一人が、緊張した様子で誰かを部屋まで案内する。一体何かと確認すれば、それはなんと王の勅命を携えた文官であった。
彼はただ淡々と、僕に宛てられた王の言葉を語って聞かせた。
――曰く、国が抱えている予知者によってとある予言がなされた。まだ十年戦争の傷跡も癒えないこの王国に、未曽有の大災害が迫っているという予言だ。
あまり詳細な情報は得られなかったらしいが、辛うじて予言の中に出てきた地名などを追っているうちに、国の調査団はとある痕跡を見つけたそうだ。
それは古くからこの世界を恐慌に陥れる災害――魔王の発生に関するものだった。
そしてそこまで分かれば、後は対応する人員を検討し、実際に任務に就かせ、大きな影響が出る前に災害の芽を潰すだけなのだが――――選ばれた人員の一人が僕だったというのは、僕にとっていい話ではなかった。
僕は足を動かしながら、ため息をひとつ吐く。その王命のせいで、家族同然のみんなとは離ればなれになり、命がけの危険な任務に就かなくてはならない。それに、下手に話を聞かせるとこっそりついてきそうな子が何人かいるため、別れを告げることすらできなかった。
短期間孤児院を離れるとだけ告げて別れの挨拶をしようか迷ったのだが、異様に勘が良いというか、まるで心を見透かしているのかという子もいるので、やっぱり黙って出てくることにしたのだ。
――まあ、みんなに最後になるかもしれない別れを告げるとなると、僕も平静でいられる自信はなかったしね……。
未だに心は沈み、踏み出す足がどこか重たい。しかし、こんな時こそ明るくあれと、昔恩人に何度も教えられた。
それにこの任務をこなすことは、王国全土、ひいては孤児院のみんなを守ることにも繋がるのだ。加えて僕が任務に就く報酬の前払いとして、孤児院の運営はしっかりした者に引き継がれ、資金援助まで貰えることになっている。
僕がこれからやることは、みんなのためになる。そう、自信を持って頷ける。
――さて。みんなが気づかないうちに、早く遠くへ行ってしまわないとね。
大切なみんなのことを思いながら、僕は先を急いだ。
そして孤児院を出てからしばらく、やがて王都の一番端っこ、街の外へつながる城門が見えてくる。僕は城門の一番近くの建物の上で、走ってきた勢いそのままに、思い切り足を踏み切る。
宙を飛んだ僕は、そのまま城門のすぐそばへと着地した。地面への衝突音とともに突然現れた僕に、城門の内側に立っていた門衛が驚きの声を上げる。
僕は混乱している彼に近づき、軽快に声をかけた。
「やあ、こんばんは。こんな時間でも立派な警戒っぷりだ」
「……貴方は」
門衛は僕を見て顔をしかめる。ひどい反応である。
「どうも。聞いてると思うけど、この度王命にて王都を発つことになったダイヤ・サウスルイスだよ」
僕は腰に佩いた剣を示し、その柄に刻まれたサウスルイス家の家紋を見せる。門衛はそれを確認すると、本人確認は済んだとばかりに浅く頷き、ついてくるようにと手振りで示す。
固く閉じられた城門の目の前まで来ると、その脇に設置された普通サイズの扉に手を向ける。
「サウスルイス様には、こちらから外へ出ていただきます。指示があった通り馬を用意しているので、外の門衛に確認してください」
門衛はそれだけ言うと、腰に下げた鍵束を手に取り、扉の鍵穴へ鍵を差し込む。ガチャリと音がして鍵が開くと、扉を押し開き、「どうぞ」と手短かに告げる。
そのあまりに素っ気ない態度に思わず苦笑しながら、僕はお礼を言って扉をくぐった。
「では、ご武運を」
街の外へ出ると同時、背後から声がかけられる。それに応える間もなく、扉は閉められ施錠された。
――分かっちゃいたけど、僕、やっぱ王都の衛兵にはめちゃくちゃ嫌われてるな……。
領地を持たないとはいえ、これでも準男爵位を持つ貴族なのだが。先ほどの門衛からは、必要最小限の関わりしか持ちたくないと、そんな心の声が聞こえてくるようだった。しかし、個人の心情になにか言う権利など、当然僕にはない。
気を取り直し、街の外にでた僕は、門の両脇に立つ門衛のもとへ近寄り声をかける。
「あ、どうも~。用意してもらった馬ってどこですかね?」
先ほどより腰が低いのは、街の中の門衛に冷たくされたからではない。決してそんなことはないのだ。
僕はへらへらと笑いながら、顔を固くした門衛さんに案内されるまま、城門横に建つ詰所へと向かう。そのまま詰所にしつらえられた小さな馬小屋へと連れられ、中で草を食んでいる馬と対面した。
「こちらの馬――ベティをお使いください。隣街テシアの衛兵には連絡が行っているので、街に入る際にまた門衛に預けてくれれば問題ありません」
「あ、そうなのね。色々手配ありがとう。じゃ、この子は借りてきます」
生真面目そうな門衛にそう告げると、小屋の柱に括りつけられた手綱をほどく。そのままベティの手綱を引いて外に出すと、手渡された馬具を付け、手際よくその背に乗る。
僕はベティの上から門衛を見下ろし告げた。
「じゃあ、僕は行きますね。上の人には問題なく出立したって伝えておいて」
「ご武運を」
門衛はぴしっとした動きで僕に敬礼する。中の門衛を違い、こちらの門衛はそれなりに敬意を払ってくれるらしい。
すこし嬉しく思いながら、僕は「それじゃ」と敬礼を返す。昔取った杵柄と言うべきか、久々に行うその動作は、体に染みついているように滑らかなものだった。
そうして、僕はベティの腹を足で軽く蹴る。素直に足を動かし始めたベティの上で、僕は一度だけ王都を振り返り、そして前を向いた。
僕を乗せたベティは、隣街へつながる街道の上を軽快に進んでいくのだった。
「――おい、どんな感じだったよ、件の英雄サマは」
「え? ああ……」
ダイヤが去った後の城門にて。外側の警戒を任された門衛の一人は、ダイヤの対応を行ったもう一人に向かって問いかける。
問いかけた門衛の顔には、良くも悪くも噂の的であるダイヤに対し、隠しきれない好奇心が覗いている。二人は衛兵の中では珍しく、王都の英雄たるダイヤに思うところは特にない。
生真面目な門衛は、相方の言葉を受けて先ほどの会話を思い出す。英雄というには軽い態度で、しかし話に聞くような道理の分からない人物にも見えなかった、ダイヤ・サウスルイス。
その印象を、もし一言で表すとするならば――
「……そうだな。近所の気の良いお兄さん、そんな感じの人だったな……」
「なんだそら。ほんとに英雄か? それ」
「さあ……。でも悪い人には見えなかったよ」
二人は顔を突き合わせ、その他にもダイヤに抱いた印象がどうだったのか、何を言われたのか、そんな話に花を咲かせる。街の門を守る兵と言えど、まだそれほどベテランというわけでない二人は、話に夢中で門の中の警戒も手薄だった。
だからだろう。今この瞬間、閉じられているはずの門の方向から、小柄な人影が地面に降り立ったことに、二人とも気が付くことはなかった。
ましてや、その人影の頭に犬のような耳が生えていて、月光を反射する銀の髪が揺れていることなど、知りようはずもない。
人影――サウスルイス孤児院の一員である少女フェンは、話し込む門衛を闇の中から一瞥する。人並み外れた聴覚は、彼らが先ほどここにいたダイヤの話をしていると捉えている。
フェンは地面に付いた真新しい蹄の跡を見て、ダイヤが馬で隣街へと向かったことを認識した。
ぎりっと牙を鳴らしたフェンは、その小さな口を開いて呟く。
「ダイヤ兄、ぜったいぜったい私の前から逃がさない。すぐに追いついてみせるから」
執着心――重たい感情を感じさせるその声は、しかしすぐに闇へと溶けて消える。
門衛たちがお喋りを終えて門の両脇に戻る頃には、もうこの場に少女がいた痕跡などなにも残ってはいなかった。
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