第22話 冬の平穏
「黒駒!」
瑠優は厩でその馬を見つけると、麗夜の腕の中から飛び出した。
「ああ、やっぱり水都の馬だったのか。ここから出て行こうとしないから、もしかしてとは思ってた」
雄毅が言う。その言葉に瑠優は嬉しそうに頷くと雄毅に礼を言う。
「世話をしてくれていたんですね。ありがとうございます」
「ああ。でもさ、この馬、気難しくて。なんて言うか…『仕方ないから世話させてやる』って態度だったんだよな」
そんな黒駒は瑠優が近づくと、撫でて欲しそうに頭を下げる。瑠優はそれに応え撫でたり抱きしめたりしていた。
雄毅は目の前の馬の豹変した態度に驚く。
「まぁ、白絹もそんな態度ですよね。麗夜以外を乗せることもしませんし」
紅は雄毅を慰めるように言う。
そのうち、瑠優は黒駒を厩から出すと鞍を載せひらりと跨った。その姿を見て、麗夜は焦る。
「水都、お前は俺と…」
麗夜は白絹に二人で乗るつもりでいた。あの日、黒駒が付いて来たことを忘れていたということもあるが、何より常に瑠優に触れていないと不安だった。
「大丈夫、着いて行けます。それに、私も乗るのは白絹も辛いと思います」
白絹は元々、瑠優の馬だったが、別れの日に麗夜が譲り受けた。優美な外見で勇敢ではあるが、牝馬のためか体力のある馬ではない。
「麗夜、まさか馬にまで妬いてるのか?」
大毅がそんな麗夜を見て、茶化すように言う。
「ここから俺の所までそれなりに距離がある。水都の言う通りにした方がいい」
確かに。その方が早く到着出来る。麗夜にだってそれはわかってる。
麗夜の迷っている様子を見た瑠優は、一度黒駒から降りると麗夜に近寄り、背伸びをして耳元で呟く。
「大丈夫…いなくならないから」
不安に気づかれていたことに多少驚きつつも、麗夜は瑠優を抱き上げる。
「わかった。絶対に離れるな」
「なにかあったらこちらから連絡する」
そう、紅とやらに言われたからといって、水都を捜すことを諦められたわけではなかった。
その時、勝がいたのは元伊の国と賀の国の境、割れた大地からも然程離れてはいない場所。
伊奈の言う「馬で数刻」で到着し、紅と名乗った男と会った場所からも離れていない。
この辺りであることは間違いないが、兵を隠せる場所が見当たらない。
勝はそこで手詰まりを感じていたが。ここで、あることに気がつく。
もしかしたら……兵など連れていないのではないか?
夜の国の国力を持ってすれば、他国の支援などではなく、自らが羅の国に相対することも可能なはず。それをしないのは、獅子将が独断で動いているからかもしれない。
そして、今日。
もう、廃屋にしか見えないその建物から馬が数頭、駆け出したのを見つける。
「黒駒…」
間違いなく、あれば黒駒。
勝は慌てて馬に鞭を入れるが、追いつける距離ではなく。
「水都!!!」
何度もその名を叫んだ。
「?」
なにかが聞こえた気がした瑠優は、後ろを振り返る。
後ろから追っていた麗夜はその様子に気づくが、声をかける間もなく瑠優はもう一度前を向き、黒駒を走らせた。
その日、勝は羅の国の城に戻った。
「見つからなかったのか?」
緑羅は勝の様子と単身で帰ってきたことから、答えを聞くまでもない問いを思わず口にした。
「いや…」
どう説明したらいいのだろう。
あの様子は「嫌々連れて行かれた」訳ではないことは明らかだ。
紅の言う「今、幸せの中にいる」というのは正しい。だからこそ「こちらからの連絡」が来るまで待つしかない。
しかし。
「死のうと苦しもうと」の言葉に引っかかる。このままではそのような目に合うということなのか。出来ればそうなる前に助け出したい。
珍しく言い淀む勝を見て、何かあることを緑羅は察し、労うように声を掛ける。
「今日はもう休んだらどうだ?」
「いや。大丈夫だ」
勝は気持ちを落ち着けるため、一つ大きく息を吐いた。
「水都は生きてる。今日、朝早く獅子将とともに南に向かった」
緑羅は思わず立ち上がる。
「追ったが、追いつかなかった。どこに向かったのかは……もう、想像でしかないんだが」
兵を潜ませていた訳でも無く、あんな少人数で出発したところから見ると、獅子将は「夜の国の獅子将」では無い。
何故、羅の国の敵方にばかり手を貸すのかはわからないが、紅のあの口振りから「瑠の字を継ぐ娘狩り」に何か関係があるんだろう。
確かに、最近はかつての夜の国の戦い方とは変わった。かつては「殲滅」とも言える戦いを見せており反発も大きかったと聞いているが、ここ一年程は残せる戦力は全て残し、頭だけをすげ替えている。そして。
「一番、最近夜の国が落としたのは理の国の向こう側だが、理はかなり厄介な国だ。だから、ここを通って佐の国の向こう側まで行ったと思う」
獅子将はかなり水都を大事にしている。あの地割れから引き上げるのも大変だっただろうが見捨てることもしなかったし、寄り添うように馬を走らせていたあの様子からも明らかだ。
好戦的な理の国の傍ではいつ戦場になるかわからない。そんな所に水都を置いておくような気がしない。
「だから」
「佐の国を味方に引き入れるか、羅の国にしてしまうか。そうでもしないと取り返せないということか」
緑羅はすとんと座り、落ち着いた様子でこう言う。
「どちらにしても春を待つしかないな」
麗夜達は思うより早く、大毅が領主を務める地に到着した。
季節は秋を越え、冬に入らんとしていた。
「麗夜と紅はここを使ってくれ。使用人は必要か?」
大毅は城に近く、かつ大きな屋敷を案内する。
「いや、いらない」
麗夜は使用人の手配を断る。
出来得る限り、瑠優を人目に触れさせたく無い。
「あ、俺もこっちに住むわ」
当然のように雄毅は言い、大毅は少し寂しそうだが了承する。
麗夜は馬を降りた瑠優を抱き上げ、紅や雄毅とともに屋敷に入る。
ここは、この国を落とした後、しばらく使っていた屋敷だった。
「久しぶりだな、ここ」
「そうですね。それにしても、さすが大毅、綺麗にしてますね」
大毅はこの屋敷に、いつ麗夜が戻ってきても良いようにしてくれていたらしく、綺麗に整えられていた。
三人はそれぞれ以前使っていた部屋に入っていった。
麗夜は部屋に入ると。
「大丈夫か?」
瑠優を座らせ、顔色を確認する。
思いの外早く着いたとはいえ、それでも数日走り続けた。
瑠優は穏やかな笑みを浮かべ頷く。
顔色も悪くなく、それ程疲れた様子もない。
「慣れてますから」
少し、自慢げなのが可愛らしく、麗夜は瑠優をもう一度抱き上げ、膝の上に置いた。
「聞いてもいいですか?」
珍しく瑠優から話しかけられる。麗夜が頷くと。
「これから何をするんですか?」
そう言えば。
麗夜の置かれている立場や国の状況などを瑠優に話していない。
この大陸の戦乱を自分のせいだと考えていた瑠優に、血生臭い話をするのは避けたかった。しかし、よくわからないまま、あちこちに連れ回されるのは瑠優も困るだろう。
麗夜はその経緯を簡単に説明する。
瑠優は、その説明を人差し指の爪を唇に当てながら聞き、
「静夜様が動くとしたら、春になってからでしょうね」
と言う。
「そうだな。それまでは少しゆっくり出来るはずだ」
麗夜が答えると、瑠優は嬉しそうに微笑む。麗夜はそんな瑠優に唇を落とした。
その日から、瑠優は馬の世話や剣の稽古、食事の支度や洗濯などの家事に明け暮れる。それは、麗夜に貴の国での生活を思い出させた。
瑠優は女性の服を着慣れていないと嫌ったため、常に少年のような服を着てはいるが、その美しさは隠せていない。
麗夜は片時も離れず傍にいたから見る者が見たら「麗夜が妻を娶った」ように見えただろう。麗夜も否定はしなかった。
人目に触れさせたくないと使用人まで断ったが、剣闘士としての水都は大層有名だった。だからこそ、実は水都は女性で獅子将の妻であるとの噂は市中にあっという間に広まっていった。
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