第20話 where?

 オオベッコウバチという蜂がいる。

 世界最大の蜂として知られ、体長はおよそ6〜8cm。


 巨大な毒針を持ち、刺されると

「悲鳴を上げること以外できない」

だとか

「入浴中に感電したような痛み」

だと言われている。目の前が真っ暗になるのだ。


 オオベッコウバチは別名タランチュラ・ホーク(Tarantula hawk)と呼ばれ、その名の通り蜘蛛を専門に狩りをする蜂である。


 足を広げると最大30cmにも及ぶタランチュラには、天敵がほとんどいない。だか、このオオベッコウバチだけは別である。空中を優雅に闊歩し、獲物を見つけるや否や猛然と飛びかかっていくその姿から鷹(hawk)のあだ名が付けられた。その巨大さに似合わず、動きはかなり俊敏で、タランチュラの毒を華麗に躱し一撃で相手を麻痺させる。


 獰猛なタランチュラをノック・アウトすると、オオベッコウバチはその身体の上を這いずり回り、目的の種に間違いないか入念にチェックする。お眼鏡にかなったら、強力な神経毒を注入し巣穴まで引き摺り込む。そして、その身体に卵をひとつだけ産みつけて、穴の入り口を塞いでしまう。哀れな毒蜘蛛はこうして監禁されてしまうのだ。


 やがて卵から孵ったオオベッコウバチの幼虫は、昏睡状態のタランチュラの腹に口を差し込み、カラカラになるまで体液を吸い尽くしていく。この段階でもまだ獲物は生きている。動けないまま、生きたまま体液を吸い取られ続ける。吸えるだけ吸い尽くしたら、ぶくぶくに太った幼虫は、次に新鮮な獲物の臓器を貪りにかかる。


 抵抗することもできず、己の臓器を喰われながらタランチュラは絶命する。命を喰らい尽くした蜂の幼虫は、やがて蛹になり、新たな殺戮マシーンとして変態する……。


 ……目の前で横たわり、弱々しく吐息を漏らす帆足真琴を見下ろしながら、私はオオベッコウバチの営みを思い出していた。息を整え、そっと押し入れの扉を閉める。


「くひ……っ、くひひひひひ……!」


 私は捕食者側ベッコウバチだ。

 生きたまま養分にされたり、意味もなく踏み潰される虫ケラ側蜘蛛や蟻ではない。


 次の日。


 どうせ碌に眠れやしないからと、今日も早めに職員室へと赴く。今日も空はぐずついたままだった。


 警察は未だ、犯人の足取りも、帆足真琴が今何処にいるのかすら掴めていないようだった。唯一、その帆足真琴がプール脇で発見した白骨遺体だけが証拠だ。


 しかしそれも、果たしていつどこでどうやってどのように殺した獲物かさえ、私には思い出せなかった。白骨化しているのだから、少なくとも相当前の話だろう。


 彼女が悪いのだ。帆足真琴が、私のことを探ったりするから。下手に探偵の真似事さえしなければ、こんな目に遭わずに済んだものを。


 てっきり一番乗りだと思っていたが、職員室には先客がいた。それも教師ではなく、生徒だ。私が職員室の扉を開けると、陰鬱な顔をした男子生徒が、ちょうど私の席の前で立ち上がるところだった。私は体を強張らせた。


「……そこで何をしている?」


『仮面』を被っているはずなのに、思わず自分でもびっくりするほど低い声で唸った。まるで個性のない、ありきたりで印象に残らない容姿。部屋で爆弾でも作ってそうな目つき。思春期独特の、斜に構えた、如何にも『自分醒めてますよ』と言った態度。そこにいたのは私のクラスの、指宿某に間違いなかった。私は驚いた。


「何をしている?」


 慎重に近づきながら、私はもう一度彼に問いかけた。彼はちょうど、私の席の前で屈んで何か探していて、立ち上がったような格好だった。大体この年頃の高校生は何故かいつも斜めに傾き、意味もなく小刻みに体を揺らしているものだが、指宿は真っ直ぐ私を見上げ、身じろぎひとつしなかった。ただ口を真一文字に結んで、例の死んだ魚のような目でこちらを観察している。


 静まり返った職員室の中で私たちは一対一で向かい合った。雨粒が風に合わせてパラパラと音色を奏でる。


「……授業開始にはちょっと早過ぎじゃないか?」

「すいません、昨日宿題を教室に忘れて帰ったので、それで」

「どうやって職員室に入ったんだ?」

「…………」


 指宿は答えなかった。表情すら変えない。まさか管理人の目を盗んで、鍵を掠め取ったとでも言うのか?

 ……いや。

 マッチ棒のように華奢な彼の体をじっと見ながら、私は自分の考えを即座に否定した。無理だ。この軟弱そうな餓鬼に、とてもそんな真似できそうもない。きっと女子と喧嘩しても負けてしまうんじゃないか。少なくとも帆足真琴の方が、何倍も強そうだった。実際、彼女はそれなりに健闘した……。


「……学校に来る前に中川先生のとこに寄って、鍵を借りて来ました」

 指宿はボソボソと、感情のこもらない声でそう言った。

「中川先生? どうして担任の私じゃないんだ?」

「藤木先生の家を知らなくて……連絡先も」

「……まぁ良い。答案用紙を盗もうってのならあまり感心はしないな。今時は全部データだ」

「別にそういうわけじゃ」

「もしかして……帆足のことか?」

「…………」

「君は私のファイルから彼女の自宅の住所や電話番号を調べ……彼女を捜索しようとした。違うかい? そういえば君は帆足真琴と、何だか最近仲が良かったからな」


 まさか私を犯人だと疑っているわけではあるまい。ありえない。私は疑われようもなかった。一連の殺人事件と、私を結びつけるものは何ひとつない。警察でさえ手をこまねいているのに、一介の男子生徒が真相に辿り着けるはずもない。


「その心がけは立派だが……しかし私が昨日何を言ったのか覚えているかな? 危ない真似はよすんだ。そう言うことは警察に任せなさい。下手に犯人を刺激したらどうするんだ」

 よく聞け。

 これは犯人からの警告だ。今私はの最中なんだ。邪魔をするな。そんなに死にたきゃ私が殺してやろうか、この糞餓鬼が。


 ……そんなことはおくびにも出さず、『頼れる教師の仮面』を被り優しくほほ笑む。


「鍵は私が預かっておこう。もう行きなさい」


 私が右手を差し出すと、指宿は蝋人形のように顔を白くしてポケットから鍵を取り出した。それから彼がフラフラと職員室を後にするまで、私はじっとその背中に視線を送っていた。


 彼がいなくなったのを確認してから、何か無くなっているものはないか、盗聴器や発信器が仕掛けられていないか、念入りに確認する。今時の若いのは何をしでかすのか分かったものじゃなかった。


 机の裏まで調べたが、盗聴器や発信器の類は見つからなかった。その代わり……

「うわっ!?」

 足元の書類の束の中にを見つけて、私は思わず尻餅をついた。


 は、ネズミの死体だった。干からびて、ドス黒く変色したネズミの首。乾いた血がべっとりと顔全体を覆い、油のように固まっている。両目の部分から白い蛆虫がウネウネと這い出してきて、私は思わず吐きそうになった。


 一体どうして、こんなところにネズミの死体が……偶然だろうか? 


「どうしたんですか?」

「!」


 気がつくと、いつの間にか出勤して来ていた中川春美が、怪訝そうな顔でこちらを覗き込んでいた。

「い、いえ……ペンを落としちゃって」

 私は苦笑いを浮かべ、何とかその場を取り繕った。


「あ、そういえば中川先生、今朝はうちの生徒がご迷惑おかけしました」

「……?」

「鍵、借りに来たでしょう」

「鍵?」

「職員室の……」


 上手く話題を変えたつもりだったが、どうも反応が悪い。私はポケットに手を突っ込んだ。だが中川春美は、一体何のことか分からない、といった顔でポカンと口を開けるばかりであった。


「私……別に誰にも鍵なんて貸してませんけど」

「え……?」


 私は思わずその場で固まった。右ポケットから、ゆっくりと預かったものを取り出すと、鍵だったはずのものが、いつの間にか首なしネズミの胴体へとすり替わっていた。私は息を飲んだ。


「藤木先生……?」


 中川春美に気づかれる前に、急いで死体をポケットに戻す。胃の奥から苦々しいものが込み上げてきた。急いで職員室の入り口を見たが、当然指宿の姿はもう何処にもなかった。


 やがて始業時間になり、私は剥がれ落ちそうになる『仮面』を必死に被り続け、教室に向かった。だがそこにも彼はいなかった。どうやら授業をサボって帰ってしまったらしい。その日以降、指宿薫は学校に姿を見せなくなった。


 その日から、ウサギの首が家の前に置かれる事件が発生するようになった。

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