幕間

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 大正8年ごろ、※※県※※郡※※村に住んでいた20歳くらいの男性Aが、ある日『オサキ』に取り憑かれた。それからAは錯乱状態に陥り、まるで動物のように四つん這いで動き回ったり、涎を垂らして油揚げが欲しいとか、寿司が食べたいとか、夜な夜なうわ言を言うようになった。


 Aはそれから約半年ほど苦しみ続けた。医者もどうしていいものやら分からず、お祓いや祈祷の効果もないため、家族は有名な稲荷神社にお札を貰い受けに行ったが、札が届くと同時にAは息絶えてしまった。Aの死体の腹には、無数の穴が空いていた。


 Aに取り憑いていた『オサキ』は生前、Aの口を通して「自分は隣のBの家から来た」と自ら語った。当時Aの家とB家は土地の所有を巡って争っていた。※※県には『オサキ持』と呼ばれる家があり、彼らの恨みを買うと、飼っている『オサキ』に取り憑かれ復讐されるという。なお、日本の法律では『呪殺』は当然認められておらず、村人も怖がって口を閉ざすため、こうした『憑き物事件』『憑き物信仰』が表沙汰になることは、ほぼほぼない。


『オサキ(オーサキ)持』

『狐憑き』

『犬神』

『筋の家』

『エズナ(飯綱)使い』

『悪い方』

『黒』

……呼称は各地によって様々だが、概ねこうした『憑きもの』を持っているのは、その村では得てして『成功者』であり、かつ『よそ者(入植者)』である場合が多い。


 同じ村の『内』に住む人々は幼い頃から気心が知れた仲であるのに対し、『外』の人間は未知の世界からやって来た、信頼できない危険な(だからこそ神秘的な)存在と見做される。こうした扱いは何も日本固有のものではなく(外敵から身を守ろうとするのは動物の本能で)たとえばヨーロッパやアフリカなどに広く伝わる邪視(見ただけでその者に災いを与えると言う信仰)もまた、同じような風俗と言える。


 こうした精神衰弱状況は、単なる心身分離現象かそれとも……あるいは『憑き物筋』は、人間の嫉妬や排他的感情が生み出した『呪い』と呼べるかも知れない。


 1973年に映画『エキソシスト』が公開されてから人々に広く知られるようになったのが、悪魔憑き、悪魔祓いの儀式である。こうして書くとまるで虚構フィクションのようだが、現代でも悪魔祓いの儀式は続けられており、かつてローマ法王は「悪魔は実在する」と公言している。


 映画の元ネタになったのは1949年、ワシントンDCで実際に起きた『セントスイス(もしくはメリーランド)悪魔祓い事件』である。被害に遭ったのはメリーランド州コテージ・シティに住む13歳の少年Aで、彼はある日、家の中で天井や壁を何かが這いずり回ったり、引っ掻いたりする音を聞くようになる。


 初め家族はネズミの仕業だと思っていたが、しかし駆除業者を呼んでも一向に事態は改善せず、天井を革靴で歩き回る音や、挙げ句の果てには皿や食器が勝手に動いたりし始めた。


 その後Aと仲の良かった叔母が亡くなると、彼はウィジャ盤と呼ばれる、日本の『こっくりさん』のようなものにハマり始めた。ウィジャ盤は悪霊を呼び寄せるとしてキリスト教会からは危険視されており、心配になった母親が一度神父に悪魔祓いをお願いするも、そこでも大した効果は得られなかった。


 それどころかポルターガイスト現象は日に日に酷くなる一方で、その頃からAの人格も凶暴なものへと豹変した。階段を四つん這いで這いずり回ったり、顔がやつれ目が痩け、Aの体には「助けて」「閉じ込められた」と言った文字が浮かびあがるようになった。


 やがてAは病院で精神鑑定を受けるが、病室で彼は大人を投げ飛ばすほどの怪力で暴れ回り、さらにその腕に突如血が滲んで「セントルイスに行け」という文字が浮かび上がった(セントルイスは叔母が亡くなった地でもあった)。慌ててセントルイスに向かったAとその家族は、そこで神父たちと2ヶ月以上、30回にも及ぶ悪魔祓いの儀式の末、ようやく悪魔に打ち勝つことができた……。

 

 悪魔関連の事件は現在も年々増え続けていて、イタリアだけでも年間50万を超える事例が報告されている(ヴァチカンでは儀式の前に精神鑑定を受けさせ悪魔が原因でない者は除外するため、ふるいをかけてなお、この数である)。今もなお全世界に800人を超えるエキソシストが存在している。


 一方で、これらの症状は脳炎や精神疾患と類似性があると指摘されてもいる。また、悪魔に取り憑かれた被害者は性的虐待を受けている可能性がある、との声もある。エキソシスト(神父)が悪魔祓い中に性的暴行を加えたとして逮捕される事件も度々起こっていることから、悪魔の正体は実に皮肉なものであるかも知れない。


 もっと現実的に、物理的に性格をガラッと変えてしまう方法としては、『ロボトミー手術』というものがある。


1935年11月、ポルトガルの神経科医が世界で初めて『ロボトミー手術』を行なった。重度の不安発作に悩まされ、精神障害者施設に収容されていた患者の頭蓋骨にドリルで穴を開け、そこから前頭葉にスプーン一杯分のアルコールを注入した(前頭葉は主に運動や思考、感情や言語化といった役割を担っている。前頭葉のがん患者は自発性や意志が失われ、無感動になったり子供っぽくなったり、抑制が効かなくなる場合が多い)。


 手術は30分ほどで終了し、数時間後患者は人が変わったように大人しくなり、不安障害と妄想は消え去っていた。手術の成功を確信した医者は歓喜し、新たに6人の患者に同様の処置を行なった。


 こうして新たに精神というジャンルが誕生した。


 新たな医療技術の発明で、人類はもはや不安や躁鬱、幻覚や妄想に悩まされなくなったのである。1949年、『ロボトミー手術』はノーベル賞を与えられ、その後40年で約4万件の手術が行われた。


 次第に慣れてくると徐々に『ロボトミー手術』は簡素化され、メスも錐も使わず、全身麻酔もせずに家庭用のアイスピックを目の上部から突き刺して、ハンマーで叩いて文字通り脳を破壊した。新しいやり方は、それまで4時間かかっていた手術が約7分で終わる画期的なもので、『ドライブスルー・ロボトミー』と呼ばれ、医師によれば『歯を抜くのと変わらない』『正式な外科訓練を受けていなくても、誰にでもできる手術』であった。


 ある精神科医は12日間で228人の患者を手術した。1人あたりの平均手術時間は6分だったと言われる。この画期的な発明により、自殺志願者は絶滅危機にさらされ、うつ病は過去の遺物と化した……はずであった。


 少なくとも1960年代までは、『ロボトミー』は栄光に満ちていた。有名人も噂を聞きつけ、何人の人々がこのノーベル賞お墨付きの手術を受けた。アメリカ大統領の娘Aもその1人である。彼女には元々軽度の精神遅滞があったが、しかし(少しばかり他人に遅れを取るからといって)Aはいたってまともであり、読み書きもできたし、1人で海外旅行に行ったりヨットレースを楽しんだりもしていた。


 だが妹の症状を案じていた大統領は、周囲の反対を押し切ってこの『新しい手術』を強行した。Aは頭の両側に2カ所の穴を開けられ、最終的に脳の4カ所が破壊された。


 ほとんどの患者は術後すぐに家族の元に帰ることができた。しかし家に着いた彼らは、全員精気がなく、無気力で、人格が一変していた。Aもまた、歩けるまでには回復したものの、文字が読めなくなり、短い言葉しか発することができなくなり、また家族と友人の全ての記憶を失っていた。


 1970年代には、『ロボトミー』は救世主ではなく廃人製造機として扱われるようになり、2000年代にはもはやホラー映画のジャンルのひとつになった。実際に『ロボトミー手術』が行われた精神病院の一部は、現在心霊スポットとしてティーン・エイジャー達に親しまれている。

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