第三幕

第18話 where?

 この指で、初めて蟻をすり潰した時のことを良く覚えている。


 そのを。

 

 正直、ぼくは何の感慨も抱かなかった。子供ながらにこう思った。命を奪うのは……生き物を殺すのは……こんなにも簡単で、あっけないものなのか、と。


 別に罪悪感も、躊躇いも、後味の悪さすら感じなかった。そういう社会性は大人になるに連れて学習していくものだ。


 子供は違う。人間は生まれつき、命を奪うことを少しも悪いと思っていない。

じゃあ、『子供は残酷』なのか?

きっと違う。大人だって大して変わらない。大人だって、今日も世界中で鳥を殺し魚を殺し……肉を削ぎ落とし骨までしゃぶって、何かの命を奪って人間は生き永らえている。


 蟻はぼくの足元で、すぐに汚いシミみたいになって動かなくなった。それからぼくは、時間があれば蟻の巣に水を流し込んだり、蝶々の羽を毟って動かなくなるまで観察したり、蛙を解剖したりして遊んだ。


 一人称ぼくがぼくから俺へと変わり始める頃、次に俺は、小動物を殺すようになった。

ネズミだったり、雀だったり。

だけどママは(その頃にはもう『お母さん』だったろうか? よく覚えていない)、ぼくがゴキブリを殺したらあんなに褒めてくれたのに、俺がネズミの首を部屋に飾ろうとしたら、あんまり良い顔はしなかった。それで、死骸は埋める癖がついた。どれくらい埋めたら蝿が寄ってこないとか、死骸がどういう過程で腐っていくのかとか、そういうこともその時学んだ。


 ネズミの首に飽きたら、次は猫だ。

 だけどその頃には、俺もある程度の社会性は知識として持っていた(身についていたとは言ってない)から、見つからないように慎重に行動した。こっそり夜中に家から抜け出して、奪われるためだけに生まれてきた命を探す。今まで大切に、大事に育てられてきた命を殺す。想像するだけで、射精してしまいそうだった。


 猫だ、犬だ、兎だ、鶏だ……と、およそ生きてるもので、俺の目に止まったものはみんな殺した。その頃には俺の中にも罪悪感が芽生えていた。その罪悪感が、堪らなくのだ。


 嗚呼、何て可哀想なんだろう。何て酷いことを……。俺は……俺は……。


 首の骨を折る時の鳴き声が、毎回俺の胸を締め付けた。まだ生きたかったろうに、徐々に光を失っていく瞳に、思わず俺も涙した。どんな傑作映画よりも、今話題のTVショーよりも興奮した。罪悪感や背徳感が、性的興奮の香辛料スパイスだと知ったのもこの頃だ。


 時が経ち、肉体も精神も成長していき、だんだんと俺だけじゃなく私や自分も使えるようになった。その頃には、私も立派な社会人の一員として、牛や馬など、さらに大型の動物を殺してみたくなった。初任給では炊飯器を買い、記念に豚の首を入れてお袋に送った。それ以来、お袋とは連絡が取れていない。


 殺すと言っても、獲物がこの大きさになると一筋縄ではいかない。牧場に忍び込むわけだが、だけどこればっかりはどうにも足が付きやすい。野生の動物と違って警備もあるし、成功したのは正直1〜2回ほどだった。これでは効率が悪過ぎる。私は考えを改めざるを得なかった。


 (私は一体何をやってるんだ)

 何処までも広がる無明の闇の中、錆びた金網フェンスにもたれ掛かり、私は自問自答した。

 

 牛肉なんか、別に危険を冒さなくても、スーパーに行けばいくらでも新鮮なのが拝見できるじゃないか。


 私が本当にしたかったこととは何だ?

 (ルパンの真似事か?) 

 偽電話で呼び出して警備の目を掻い潜り、こっそり建物に侵入して……それでお前は満足か?

 

 違うだろう。

 

 お前が本当にしたかったのは……だったはずだ。

  

 殺したかった。

 (命を奪いたかった)


 そうだろう?


 私が……自分が……俺が……ぼくが……本当に殺したかったのは……。

 

 人間だ。


 人を殺したい。この手で人を殺したい。

禁忌だからこそ。

不文律だからこそ。


正義感の強い人間を。

道徳心の高い人間を。

未来ある若者を。

幸福の絶頂にある人々を。


 一体どれほどの罪悪感だろうか? どれほどの達成感だろうか? 咽び泣いて、許しを請うてももう遅い。この手で、斬って、割って、裂いて、砕いて、抉って、千切って、潰して、壊して……。


 ……夜が明ける頃には、私は泣いていた。哀しいからではない。むしろその逆だった。気分は非常に晴れやかだった。心にかかっていた暗雲が消え去ったみたいだ。自分自身と向き合って向き合って、自分の心を何処までも掘り進めて行って、ようやく私は自分の本音を見つけることができた。


 危険だから……どうせ無理だから……と無意識に諦めて、閉じ込めていた感情。だけど人生は、自分のやりたいことをやるためにあるのだ。だから私は、人を殺すことにした。


 そこからは一人一人、神経質なくらい綿密に計画を練った。

難しいことは最初から分かっていた。人間なんて、牛や馬の比じゃない。何せ今どき、誰もが録画機能付高性能カメラを持ち歩いているような時代だ。GPS機能で、世界中何処にいても居場所が分かる時代だ。


 だが同時に、家出や夜逃げなど、身元不明の失踪者も世の中には数多くいることを知った。それに、カメラが世に溢れているからこそ、人はその情報に頼りがちになる。誰もが見えているもの……四角い画面の中……に夢中になって、見えていないものには注意を払おうとしなかった。


 それで、初めて人を殺した時は……感動や興奮よりも、疲労感の方が強かった。殺すその瞬間よりも、殺した後の方が大変だった。死体の処理。警察だって馬鹿じゃない。初めて殺した少女は、山奥のさらに奥の奥に運んで埋めた。死体に土を被せながら、私は幼い頃初めて蟻をすり潰した時のことを思い出していた。あの時と同じだ。やはり私は無感動だった。


 殺すならやはり若い女だ。


 そう思った。古来より人身御供伝説、供犠、人柱……生贄に捧げられるのはいつだって年端も行かない少女だ。


 だが、毎日学校に通っている子が急に来なくなったら、当然大騒ぎになる。だから不登校児や家出少女を狙い、バレないように細心の注意を払っていた……はずだったが、巷では『女子高生連続誘拐殺人事件』などと呼ばれ、それなりに世間を騒がせることになってしまった。


 それでも私は殺人をやめなかった。ダメだと分かっているからこそやってしまう。危険だからこそ唆られる。それが人間というものではないだろうか?


 やがて死体が3つになり、4つになり……2桁を超える頃には、徐々に私も殺人を愉しむ余裕が出てきた。それまで半日以上かかっていたものが、数時間で終わるようになった。人間を殺すのは、やはり牛や馬の比じゃあない。


 埋める場所もだんだんと大胆になっていった。無論、見つけて欲しい訳じゃない。見つかるか見つからないか、そのギリギリを攻めるのが堪らなく愉しいのだ。時に死体の場所を示す暗号をわざと残したりして、私は1人ほくそ笑んでいた。


 殺しの方法も洗練されていった。すぐには殺さない。まずは監禁して……蝶々の羽を毟るように……弱っていく様を観察する。それから色々な道具を使って……蛙を解剖するように……反応を愉しむ。だった。どんな名作小説よりも、何億回再生された動画よりも興奮した。気がつくと私は射精していた。


 くひっ……。

 くひひひひひ。


 嗤いながら、子供の頃を思い出していた。

 初めてネズミの首を斬り落としたあの時のことを。


 あの時の感動を……あの時の興奮を。


 誰だって同じだろう。


 初めて映画に感動した日。

 初めて漫画で大笑いした日。

 初めて小説に胸を打たれた日。

 初めて音楽に、ギターに触れた日。

 初めてゲームで夜更かしした、あの日……。


 TVで、ネットで、舞台で、動画で……胸を焦がしたあのときめき、止むに止まれぬあの衝動。同じだ。私はそれがだっただけの話だ。


 ……私がなぜ人を殺すのか、少しは分かっていただけただろうか?

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