第17話 (Now) what?
外は雨が降っていた。
窓ガラスを叩く雨粒が、止めどなく降り注いでは透明な表面を滑っていく。暗号らしき紙から目を離し、自分は帆足さんに泣き付いた。
「全然分かりません! 何なんですか、これ?」
「ふむ。文字の横に数字が書いてある。つまりこれは、この数字通りに文字を動かしていけ……という暗号なのだろう。君は『こっくりさん』を知っているか?」
「『こっくりさん』?」
「嗚呼。漢字で書くと狐狗狸さん……要するに降霊術の一種なのだが。机の上に、五十音の書かれた紙が敷いてあってな。みんなで呪文を唱えると、その上をコインが滑ってこっくりさんが返事をしてくれるんだ」
「はぁ。一体何時代の話ですか?」
「元々『あ』の位置にあった10円玉が、勝手に動いて『ま』の位置に行ったり……まぁ良い。『おかえりくださる』なんて言い回しは、降霊術の終わりに『こっくりさん』を帰す時、良く使われる言葉なんだ」
「なるほど、それで」
「要するに将棋のコマのような感じだ。【た8二】というのは、『た』の位置から横に8つ、縦に二つスライドさせよ、という指示だろう」
「ははぁ」
文字をずらす……かの有名な戦国武将・上杉謙信が編み出した『上杉暗号』の変形版と言ったところか。自分は唸った。随分と面倒臭い手紙の書き方をしたもんだ。死の間際、よっぽど余裕があったと思われる。
「だからダイイング・メッセージじゃないと言ってるだろうが。良いか?」
そう言って帆足さんは、机の上に『あ』から『ん』まで書いた表を敷いた。ポケットから10円玉を取り出し、その上に置く。
本来ならこの上に、「はい」とか「いいえ」とか、神社のマークが描かれているらしい。その他、紙の下には1〜0まで数字が描かれていたり、地域によっては『お供物』をしないといけなかったり、やたらと指示の多い、ルールに厳しい霊のようだ。巷の風紀委員みたいな感じだろうか?
「何か言ったか?」
「いえ、何も!」
「フン……良いか? 『た』の位置から横に8つ、縦に二つ移動させると……」
「最後の行まで行ったらどうするんですか?」
「ふむ。その場合は、また1に戻るんじゃないかな。ほら……」
そう言いながら帆足さんは10円玉をスライドさせていった。『わ』行まで行ったら『あ』行に戻り、『お』段まで行ったら『あ』段に戻る、と言った具合だ。五十音は横に10行、縦に五行なので、数字が横、漢数字が縦になる。
「【た8二】を動かしたら『き』だ。メモしてくれ」
「はい」
それから帆足さんは10円玉を動かし、次々にひらがなを読み上げて行った。【お9三】は『ん』、【あ4二】は『に』と言った感じに。そうして出来上がった文字が……
『き ん に ん み
の さ り た す
ら に た か き
く き ひ ほ み
さ み ほ に の』
「……全然出来てないじゃないですか!」
解読した、新たに紙に書かれた文字を見て、自分は嘆いた。これでは何の意味も成していない。横から読んでも意味不明だし、縦から読んでも『みすきみの……』となり、さっぱりだ。
「落ち着け」
だが帆足さんはまだ余裕のある笑みを浮かべていた。
「『こっくりさん』というのはな、大抵数名でやるんだ。机の周りを上下左右から、3人くらいで囲んでな」
「はぁ」
「つまり逆さに読むんだろう。もしプレイヤーが反対側にいたら、五十音の表も逆さになる」
なるほど、『こっくりさん』をやっている人物が正面にいるとは限らない。帆足さんは紙をひっくり返した。少し読みにくいが、この文字を逆さに読んでいくと(左下から順に、上に向かって読んでいくと)『さくらのき』と読めた。
「『さくらのき』!」
「どうだ、ちゃんとした文章になっただろう?」
帆足さんが得意げに鼻を擦った。そうして解読した暗号の全文がこちらである。
『さくらのき みきにさん ほひたりに にほかたん のみきすみ』
「濁点がないから読み辛いが……『桜の木、右に3歩、左に2歩。かたん……これは花壇だろう……花壇の右隅』だ。確か、校庭に古い桜の木があったな。これはそこに行け、という暗号に違いない」
「おぉ……!」
「あるいはそこに何か埋まっているのかもな。よし、行くぞ」
まさか本当に解けるとは。『こっくりさん』の暗号を解読した自分たちは、早速校庭へと向かった。
「それにしても……」
「ん?」
「帆足さん、呪いや心霊現象はあれだけ否定してたのに、占いとか、そーいうのは好きなんですね」
「うっうるさい! 別に良いだろう!?」
「いてぇ!」
文字に起こしてしまうと社会問題になってしまいそうな所業を受け、泣く泣く校庭へと走る。おそらく人とは、矛盾を抱えて生きていく生き物なのだろう。
昼間だと言うのに外は薄暗く、雨を嫌ってか人影はなかった。ここ数日雨続きだったが、おかげで地面がぬかるんでいて、掘るのは思ったより容易かった。何だか宝探しをしているみたいで、少し興奮した。目当ての物は、思ったより断然早く姿を現した。
校門の横に植った古い桜の木、其処から右に3歩、左に2歩。花壇の右隅を掘り続けると……比較的新しい、缶のようなものが出てきた。
「ほ、ほ、本当にあった……!」
「タイム・カプセルみたいだな」
「勝手に掘り出して良いんでしょうか……?」
「しかし、暗号を解いたのは我々だ。此処まで来て引き返す訳にも行くまい」
帆足さんが腕を組んでいる元で、自分は恐る恐る缶に手を伸ばした。中々開かない。爪を引っ掛け、何とかこじ開けると、中から茶封筒が出てきた。茶封筒は何重ものビニール袋に包まれていて、ちょっとやそっとのことじゃ濡れたり破れたりしないようになっていた。
「随分厳重に保護されてるな」
「一体何が入っているんでしょうか……?」
封筒を開くと、今度はA4のコピー用紙が顔を表した。
「これは……!」
『4 9左 5下 2下 6上
5左 2 7上 6上 10右
5右 6上 2下 1右 9上
7上 5下 1上 10上 5下
9上 3左 2左 3上 8下』
「こ、今度は文字がありませんよ!?」
「落ち着け。これも結局、パターンは同じだ。特定の対応表に照らし合わせれば解けるはずだ」
余談だが、暗号は大きく分けて2種類あり、文字を一対一で変換しているもの(ABCD→WXYZ)を『換字式暗号』、文字の順番を入れ替えたもの(ABCD→DCBA)を『転置式暗号』と言う。有名なシャーロック・ホームズの『踊る人形』などは『換字式』で、本名を入れ替えてペンネームなどを作るアナグラムは『転置式』と言えよう。
今回もまた、『換字式暗号』のようだ。だが、難易度が上がったのか、今回は横にひらがなが付いていない。代わりに方向の指示がしてあった。
「ふぅむ……数字は最大で10、だが横の漢字は、これは方向か? 上下左右の4つしかないな……」
帆足さんが和紙と睨めっこしながら、ブツブツと何かを呟いた。
「10……と言うことは、また五十音でしょうか?」
「しかし……上下左右だけで日本語の全てを網羅できるものだろうか? よく見ると方向の指示がないものもあるな」
「上下左右……」
パッと見、自分が思い出すのは、格闘ゲームのコマンドだった。しかしそれにしては入力するボタンの数が少ない。これでは必殺技は出せないだろう。
考えてみれば、業界の専門用語とか符牒などは、何だか暗号めいている。たとえば警察関係者が犯人のことを『ホシ』と呼ぶのはドラマなどで有名だ。『お侍』と言われて、土木用語で『建築材料をごまかすこと』と分かる人が何人いるだろうか? 別に自分だって知ってた訳じゃない。ネットを検索すればいくらでも……。
「あ! もしかして!」
「なんだ?」
自分は慌ててポケットからスマホを取り出した。
「『フリック入力』じゃないでしょうか?」
「『フリック入力』?」
「知らないんですか!? 今時スマホじゃ、指で弾いて文字を打てるんですよ」
たとえば指を『あ』の位置に合わせ、そこから右に弾くと『い』が入力される。
『あ か さ
た な は
ま や ら
わ 』
スマホ画面のように、『あ』行から『わ』行まで順番に1〜10までの数字を当て、其処からさらに上下左右に指を動かせば。
「知らん。スマホは持ってないからな」
「嘘でしょ!?」
「本当だ。何か人に伝えたいことがある時は、直接会って話すか、もしくは手紙だな」
「『こっくりさん』は知ってるのに『フリック入力』を知らないなんて……あなた本当に何時代の人……いてぇっ!?」
危うく新たな事件が起きかねない所業を受け、慌てて暗号を解く作業に戻る。
「えぇと……」
4は『た』、9左は『り』……8下は『よ』。
「できた!」
そう叫んで、自分はメモした紙を掲げた。
『た り の こ ふ
に か む ふ ー
ね ふ こ え る
む の う ん の
る し き す よ』
「出来ました……『10右』は、五十音じゃないですけど、自分のスマホじゃ『ー(伸ばし棒)』になりました。他のスマホも大体そうなんじゃないですかね?」
「これも濁音が無くて読み辛いが……なになに。『るむねにた』……」
「これは多分右から順に、下に読むみたいですよ。『ふーるのよこ』……『プールの横』でしょう。ね!?」
『ふーるのよ こふえんす のむこうき りかふのし たにねむる』
「『プールの横、フェンスの向こう、切り株の下に眠る』……こう言うことか」
「ですよきっと! 謎が解けましたね!」
「やれやれ。随分と振り回してくれるじゃないか、この出題者は」
帆足さんがため息をついた。本当に解けた。自分の手で暗号が解けて、ささやかな達成感に包まれる。暗号というのは、解けると楽しいものだ。
「でも……」
雨の中、早速プールの方向へ向かおうとする帆足さんの背中に、自分は思わず声を漏らした。
「『フリック入力』は……スマホ時代ですよね?」
「それがどうした?」
「もしかしたら……」
「何だ?」
「いえ、何だか気になって。最初の暗号は古びた紙でしたけど、2問目は新しいな、って」
「……それが?」
「もしかしたら……1問目と2問目は、別々の人物が出したんじゃないかって。たとえば、たとえばですよ。自分たちの前に、先に1問目を解いた生徒がいて……」
「…………」
「それで、2問目の箱を発見して、中身をすり替えておいたとしたら……だって、2つ目は何だか趣向が違いますよ。紙の材質も、保存方法も。誰かが……」
「誰か?」
帆足さんの目がキラリと光った。
「一体誰が? 何のために?」
「それは……」
……分からなかった。
しかし……今思えば、何だかここまで上手く行きすぎ……簡単に見つかり過ぎだったような気がする。それに2問目が収められていた缶も、妙に新しかった。
漫画や小説じゃあるまいし、こんなにもテンポ良く話が進むものだろうか? 雨雲の向こうで、白く稲光が瞬いた。
「……どっちみち、切り株の下に眠っているものを見れば分かるさ」
帆足さんは小さくため息をつき、校庭を歩き始めた。何だか言い知れぬ不安を感じ、自分は小さく身震いした。考え過ぎかも知れない。最近身の回りで嫌なニュースが続いているから、思考がネガティヴな方向へと引っ張られているのだろうか?
そうではなかった。
自分の嫌な予感は、最悪な形で的中してしまった。
切り株の下から、白骨死体が発見されたのだ。
実際に見るナマの頭蓋骨と言うのは、想像していたよりも一回り小さく見えた。後から聞いた話だが、発見された骨は10代の女子のもので、つい最近殺された可能性が高いのだという。
掘り起こされた頭蓋骨を見た時、自分は呆然とその場に立ち尽くしていた。その瞬間、まるで時が止まったみたいだった。背中を冷や汗が滑り落ちていくのが分かる。足を動かすスイッチがオフになったみたいに、動かない。だけど視線はしばらくそれから離せなかった。気がつくと周辺の森に、甲高いサイレンのような叫び声が響き渡っていた。
その叫び声が自分の声だと気づくのに、数秒かかった……。
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