第12話 when?
此処にもいない……。
空は久しぶりに晴れ間が広がっている。再び都内の古本屋を巡りながら、私は周囲の客に目を走らせた。あの時の狐目の青年は、まだ見つかっていない。出来ればもう一度会って、あの時の真相を話してもらいたかった。
警察では事故か自殺の可能性が高いと見て捜査していたが、一部の週刊誌が誌面を埋めるついでにあることないこと囃し立てた。いくら作家とは言え、自分の書いた(ゴースト・ライターがいなければ、だが)小説そっくりに死を遂げるなど、滅多にあるものではない。もしかしたら現実でも、小説さながらのトリックが使われたのではないか……と邪推するものがいてもおかしくはなかった。
しかし問題は、その小説が未完であると言う点だ。
発行されているのは『問題編』のみで、誰も『解決編』を見たことがない。しかも有名な作品ならいざ知らず、『見えない銃』は一部の
あの青年が私を
しかしそれなら、向こうも私を(証人として)探しているはずだった。でなければ何のためにあんな巫山戯たパフォーマンスをしたのか。出会える確率は決してゼロではないはずだ。それで私は、ここ数日せっせと古本屋に顔を出しているのだった。
それにしても……。
次の本屋に向かいながら、私は頭の中で、もう何度も反芻した推理を捏ねくり回していた。
遠く離れた人間を狙撃するなど、実際に可能なのだろうか?
調べたところ、スナイパーライフルの現在の最長記録は、カナダ軍がTAC-50を使用した際の3540m……と言うことになっている。大体東京駅から上野駅くらいの距離だ。発射から着弾まで10秒以上かかったらしい。狙撃距離記録は2000年以降次々と塗り替えられており、今後も技術の発展でさらなる飛躍が期待(?)できるだろう。
しかし……今回は東京から大阪まで、約500kmの距離がある。これではいくら技術革新が加速度的だろうが、現状全く足りていない。現実的に考えて、狙撃手が東京にいたとは考え辛い。
ではミステリー的に考えて、この場合どんなトリックが成立し得るか?
まず思い浮かぶのは、共犯者がいると言う推理。交換殺人など、実行犯が別にいるパターンだ。被害者と結びつかない無関係の殺し屋に仕事を依頼し、犯人は遠く離れた地で不在証明を作る……これなら何万キロ離れていようが狙撃可能だ。
しかし……私は自分で自分の考えを打ち消した。
それなら実行犯があの時駅近辺にいたはずだ。あれほどの群衆の中、誰にも見られず、カメラにも映らず被害者を狙撃することが可能だろうか? 仮に近くのビルから狙撃したとする。しかし、弾丸が映っていないと言うのはやはりおかしい。小説じゃないんだから、『見えない弾丸』など現実にあるはずもない。
あるいは銃以外を使ったとしたらどうか?
たとえば遠隔操作や、自動発射装置はどうだ。
思えばあの時、青年はやたらと時間を気にしていたではないか。今は腕時計からでもボタン一つで電話が掛けられる時代だ。小型ドローンなどを使えば、空調の効いた会議室でモニターを見ながらピンポイントで
群衆に紛れ、カバン型の隠し銃で狙いを定め、ホームの向かいから起動スイッチを押す……何やらスパイ映画地味て来たが。
私はまたしても頭を振った。やはり、映像に弾丸が映っていないのがネックになる。最近のカメラの精度は凄まじく、真正面から撮影されて映らないでいるなど、たとえ幽霊やUFOであっても不可能だ。
私はスマホを取り出し、もう一度事件直後の映像を再生した。あれからもう3日以上経っている。動画はネット上にアップされ、もう何十万回と再生されていた。私ももう何度も見返していた。
再生ボタンを押すと、四角い画面の中であの日の時間が動き始めた。被害者はホームで誰かと通話している。周りには大勢の人がいるが、不審な人物は見当たらない。背後に忍び寄る影なども発見できなかった。確かに酷い雷雨で、時折映像がフラッシュを焚かれたように白くなったが、それでも弾丸を見逃すほどじゃない。いくらでも一時停止できるし、スローで再生できるのだ。雷雨で発砲音は消せても、弾自体は消せまい。
その後、被害者はまるで腹部を撃たれたかのように体を曲げ、口から血を噴き出し、線路へと転がり落ちていく。
私は小さくため息をつき、一時停止ボタンを押した。何度目を凝らしても、弾丸が飛んできた様子は映っていなかった。被害者を撃ち抜いたのは銃ではないのか? しかし線路には弾丸が落ちていたと報道されている。
ミステリーなら……この場合、最も
なりすまし……つまり、犯人は被害者を東京の自宅などに監禁する。その間に被害者になりすまし、あたかも手越光のフリをして大阪へと出かけるのだ。
ホテルに
こうしておけば、被害者は大阪で死に、そして死亡推定時刻に犯人は東京にいるわけだから、理論上は完璧な
しかし今回の現場は駅のホームだった。
これほどの衆人環視の中、この手のトリックは使えない。
本日5軒目の古本屋を出て、私は肩を回し、大きく伸びをした。店先の道路は相変わらず大勢の人で溢れている。この中から特定の人物を探し出すのはとても至難の技に思えた。
あるいはあの青年は、私を探していないのかもしれない。私は不安に駆られた。
未だ警察から続報はなく、事件ではなく事故として処理したのかもしれなかった。その場合不在証明のための工作は必要なくなる。
第一、腹に撃たれた跡があるからと言って、あの時撃たれたとは限らないではないか。もしかしたら過去に何処か外国に行った時に撃たれた跡なのかもしれない。未完の小説の見立て殺人だと騒いでいるのは私だけで、本当は事件でも何でもないのかもしれなかった。
私の考え過ぎなのだろうか……いや、しかしあの時の青年の言動は……などと物思いに耽っていると、不意に後ろから肩を掴まれた。
「誰かと思えば、指宿じゃないか。どうした? そんなに眉間に皺を寄せて……お爺ちゃんみたいだぞ?」
「……帆足どの」
「どの!?」
学友の帆足真琴女史が、私服姿でそこに立っていた。無地のTシャツにカーキ色のテーパードパンツ。決して派手な格好ではないが、学生服姿とは違う、おめかしをした彼女の姿というのは何とも新鮮であった。よくよく見ると、顔にはしっかりと化粧が施され、唇や頬にはほんのりと紅を差していた。私は目を丸くした。思えば彼女とて一応
「デート? いや違うぞ。来週この辺りで空手の大会があるんでな、会場の下見を……そういうお前こそこんなところで何をしてるんだ?」
気がつくと私は、若者が、しかも女性が大勢集まる路地へと迷い込んでいたようだった。周りには女性向けの化粧品専門店やランジェリーショップで溢れている。私は自分の頬が熱くなるのを感じた。
「いや、ワシはただ……」
「ワシ!? 今日は随分と年齢が高めだな」
私の中には私以外にも大勢の
「それで? お前も口紅を買いに来たのか? まさか下着じゃないだろうな?」
「ち、違うんじゃ! ワシはただ……!」
明らかに揶揄われていた。慌てて言い繕おうとして、そこで私ははたと立ち止まった。
「そうか……」
「何? どうした?」
「口紅……それに下着か! その手があったか!」
「何だと?」
私の大声に周囲の若者たちが怪訝そうに振り返った。帆足女史が呆気に取られたような表情を浮かべる。本気で警察に通報しようかどうか迷っている帆足女史に、私は慌てて事件のあらましを説明し始めた。
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