第二幕
第11話 when?
さすが大都市・東京といったところか。都内の古本屋は、平日だというのに大勢の人で賑わっていた。人混みの間を掻き分けながら、ずらりと並んだ本棚の、『た』行を仰ぎ見る。
「えぇと……ああ!」
あった。あった。目当ての本は100円コーナーの片隅に並べられていた。黒を基調にした、顔の見えない男が半透明の銃を握りしめる表紙絵。間違いない。思わず顔が綻ぶ。
「あの……」
「え?」
埃か被った表紙を手に取ると、不意に声をかけられた。
「それ……手越光ですよね?」
「え? 嗚呼」
顔を上げる。見知らぬ男性がそこに立っていた。
「これですか?」
私は手に取った本を掲げて見せた。それは数年前、手越光という覆面作家のデビュー作
『見えない銃』
というハードボイルド・ミステリー小説だった。
「それ、面白いですか?」
男は興味津々と言った顔でこちらを覗き込んでくる。まだ20代くらいの、狐のように目の細い、頬の痩せこけた青年だった。もしかして彼もこれが欲しかったのだろうか。
「ええ……まぁ」
私は愛想笑いを浮かべた。さて、どうしようか。
私は迷った。
地元に大きな本屋がなかったから、高い電車賃を出してわざわざ東京まで出てきたのだ。これでもうすでに3店舗目だった。
『見えない銃』。
世間的には全く周知されていない。だがネット通販も軒並み売り切れで、どうやら既に絶版になっているらしい。
いわゆるカルト的人気本という奴だった。これを逃したら次はいつ手に入るのか分からない。欲しがっている人間は沢山いる。私だってその1人だ。簡単に譲りたくはなかった。
『見えない銃』は犯人側が主人公の、いわゆる倒叙小説だった。
主人公である犯人・『
どんな銃かも分からない。何処から、どうやって撃たれたのかさえ謎。
被害者は駅構内やホテルのロビーなど、衆人環視の中狙撃されるのだが、何故かどの監視カメラにも狙撃手の姿が映らないのだった。それどころか、撃たれた弾さえ動画には残っていない。
果たして犯人は何者なのか? そのトリックは? 動機は?
……と、読めば読むほど謎は深まっていくばかりなのだが、しかし残念ながら、現在は前編である『問題編』しか刊行されていない。この小説を出していた出版社も潰れ、『解決編』は絶望的だった。何より作者の手越光が『見えない銃』執筆後、表舞台から姿を消していた。
引退したか、それともトリックが思いつかず続きを断念したのか。彼(いや、それとも彼女?)は今何処で何をしているのか。真相は分からない。
だがこの、いわば『未解決事件』が密かに話題を呼び、一部の
要するに知る人ぞ知る、マニアックな推理小説なのである。
「中には『犯人は幽霊だ』とか、『透明人間だ』『超能力者だ』……とか。勝手に『解決編』を書いている二次創作もあるほどです。だけど、それじゃ面白くないでしょう。仮にもミステリーなのだから、何か合理的なトリックが仕掛けてあるに違いない」
気がつくと私は夢中で本の内容を喋っていた。かく言う私も、この本の魅力に取り憑かれたひとりだった。
「衆人環視の中、見えない銃で狙撃するだなんて……奇妙奇天烈で、真相は判らず終い。だからこそ皆、惹かれるのでしょうがね」
「知りたいですか?」
「は?」
青年は真面目くさった顔をして私をじっと見つめ返してきた。
「真実が知りたいですか?」
「何ですって?」
「実はボク、手越光のゴースト・ライターをしていたんです」
「えぇ?」
「その小説は、ほとんどボクが書いたんですよ」
「はぁ……?」
私は改めて青年を見返した。
突然現れて、この男は一体何を言っているのだろう?
全然知らない顔だ。だが、とても冗談を言っているようには見えない。
「キミが書いた? ゴースト・ライター? それ本当かい?」
「ええ」
「だったら作者の手越光知ってるの? 彼……いや彼女? 今何処で何してるの?」
「彼は今大阪にいます」
「え?」
青年があまりにもはっきりそういうものだから、私は思わず呆気に取られた。
「大阪のとある駅のホームで、携帯電話を片手に電車を待っています。信じられませんか?」
「いや、信じるも何も……大阪?」
……それを証明する手段がない。私たちは今、東京の古本屋の一角にいるのだ。
「何なら今から彼を狙撃して見ましょうか」
「何だって?」
「見えますか? 貴方には……この『銃』が」
「は……?」
青年は白い歯を浮かべ、右手を私の顔の前まで持ち上げて見せた。私は目を瞬いた。
何も見えない。彼の手の中には何もない。ただ、何かを持っているかのように、指が中途半端に曲げられている。
「一体何の真似だ?」
もしかして小説に当てられて、ごっこ遊びでもしているのだろうか? 変な奴に絡まれてしまった……と、その時は一瞬後悔した。
「まぁ見ててくださいよ。真実が知りたかったんでしょう?」
青年は笑みを浮かべたまま、ゆっくりと腕を伸ばし始めた。
正直意味不明だった。『見えない銃』というのは、あくまでフィクションの中の話であって、現実にある訳がない。
彼もこの小説のファンなのだろうか?
それは有り得る。『見えない銃』を手に取った見ず知らずの人間に声をかけてくるくらいだ。作品の中で使われているトリックを、再現するフリをして楽しもうということか。
「撃つのは何処が良いですか? やっぱり腹ですかね? 頭や心臓だと即死でしょうが、腹を撃たれたらたっぷり苦しんで死にますから。悪人には非業の死がふさわしい……」
青年は片目を瞑り、得意げな顔で、伸ばした右手をピストルの形にした。それから私の腹部に指先を当てがう。私はどうして良いか分からず、呆然とその様子を眺めていた。馬鹿馬鹿しい。まさか本当に透明な銃を持っているはずもあるまいし。
「安心してください。『見えない銃』の先は今大阪まで繋がっています」
「…………」
作中でも、主人公が東京駅のホームから『見えない銃』を使い、大阪の駅にいる追っ手を撃ち殺した場面がある。とはいえこれは些か悪趣味が過ぎるというものだ。それから彼は腕時計を覗き込んだ。左腕に巻かれたスマート・ウォッチの液晶がキラリと光る。16時34分。文字盤の表示がこちらからも確認できた。
「ええと……もうすぐだ」
「あのねえ。キミ、良い加減に……」
「バァン!!」
突然彼は大声を出し、私は危うく悲鳴を上げそうになった。周囲にいた客が驚いてこちらを振り向く。青年はまるで銃の反動があったみたいに右手を跳ね上げ、カラカラと笑った。
「あははは。撃った、撃った。死んでる。いい気味だ。死んでる。あはははは……」
乾いた笑い声が通路に響き渡る。笑いながら、彼は踊るようにステップを踏み、古本屋を出て行った。私はその間、呆気に取られるしかなかった。
もちろん、誰も撃たれちゃいない。床にも本棚にも、どこにも血の一滴も見当たらない。銃なんてないし、弾がそこらに転がっているわけでも無かった。
やがて、人々は何事もなかったかのように通常運転に戻った。東京ではこんなことが日常茶飯事なのだろうか? 全く、世の中にはおかしな人間がいるものだ。狐に抓まれたか、白昼夢を見ている気分だった。狐目の男。彼は一体何がしたかったのだろうか?
それから数時間後。
私は昼下がりに起きた『銃撃事件』が、果たして現実だった事を知る。
今思うと、一連の奇怪なパフォーマンスこそが、彼の巧妙な
【関西在住の小説家・手越光、死亡】
【駅のホームから転落。事故か? 自殺か?】
夜中のニュース番組に、そんなテロップが踊る。私は思わずテレビ画面に首を伸ばし、急いで音量を上げた。
『……警察によりますと、今日16時30分ごろ、関西にある※※駅ホームから男性が転落し、入ってきた特急列車に跳ねられて死亡しました。
死亡したのは手越光さん26歳。
現場に残された身分証から、数年前に『見えない銃』でデビューした、作家の手越光さんであると判明しました』
「何……!?」
私は画面を食い入るように見つめた。
『※※駅にはこの時間多数の利用者がおり、目撃者の証言では、転落する直前に口元から血を流していた……とのことで、警察は事故と自殺の両方で捜査を進めています。繰り返します。今日16時30分ごろ……』
……聞き間違いだろうか。私は眉をひそめた。ニュースはすぐに次に移ったので、チャンネルを回し、他の報道番組をチェックする。
『手越さんは突然苦しみだし、そのままたたらを踏んで線路内に突っ伏していった……との事です。たまたま利用者が撮影した映像がありますので、視聴者の皆様はこれからそちらをご覧いただきます。なお、一部過激な映像がございますので、あらかじめご了承ください』
そういって映し出されていたのは、スマートフォンか何かで、向かいのホームから被害者の様子を綺麗に撮影した映像だった。
その時大阪は酷い雨だった。被害者・手越光と見られる私服姿の男が、ホームのギリギリ、白線の向こうに立っている。ホームには柵やドアのようなものは無かった。手越は仏頂面で右手を耳に当て、どうやら誰かと通話しているようだ。周りには大勢の利用客の姿もあった。雷が時折空を白く照らし、周囲に爆音が轟く。
変化はすぐに訪れた。
突然、手越が体をくの字に曲げたかと思うと、慌てて腹部を抑え込む。その後、口から噴水のように赤い血を吹き出し始めた。そのまま手越はホームに転落し、1秒も待たずに特急列車が突っ込んできた。
私は息を飲んだ。
雨で滑ったようには見えなかった。まるで銃で撃たれたみたいに……いや、しかし……。
『……駅のホームには監視カメラも設置されていました。周囲に不審な人物はなく、また目撃者もいません。なお、被害者の遺体……バラバラになっておりますが……からは、銃弾で撃たれた跡も見つかっており、警察は事件と事故の両方で捜査を進めています。なお電車は22時現在運転を再開し……』
撃たれた跡。
アナウンサーは確かにそう言った。
しばらくして、番組はスポーツ特集に流れていった。テレビを消してから、私は椅子に深く座り直し、ぼんやりと天井を見上げた。
ミステリ作家が殺された。
これは事故や自殺ではない。殺されたのだ。私には分かる。私にだけ、分かる。今日の昼間、古本屋で出会った狐目の青年。彼に撃ち殺されたに違いない。まるで小説と同じような殺し方……ある意味見立て殺人と言えるだろう。
……しかし、一体いつ、どうやって?
これは小説の話ではなく、現実の殺人事件なのだ。肝心の小説はまだ解決編が世に出ていない。それに、彼は間違いなく同時刻私と東京にいた。物語じゃあるまいし、東京にいる人間が、大阪にいる被害者をいつどうやって撃ち殺すと言うのだ?
まさか本当に、『見えない銃』があるはずがないし……頭の中は混乱し続けていた。私はため息をついた。
東京と大阪。2つの大都市、およそ500kmの距離を撃ち抜く弾丸。
そんな方法があるだろうか?
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