第7話 who?

「あ、帆足さん!」


 放課後。


 私が公園のベンチで2つめのクレープをほう張っていると、同級生の帆足真琴さんが、大股で坂道を駆け上って来た。相変わらず麗しい。大きく赤く燃える夕日を背に、肩に道着を担ぐその姿は、実に様になっていた。何処からともなくトランペットでも聞こえてきそうな雰囲気だ。


 帆足さんは1人で、まるで何処かに道場破りにでも行くかのような形相だった。今日はお連れの方はいらっしゃらない。額に光る汗を拭いもせず、口は硬く閉したまま、その両の瞳はじっと真正面を見据えている。

「帆足さ〜ん!」

 彼女に下駄を履かせ、口から葉っぱを咥えさせたらきっと似合うだろうな。なんて衝動に駆られつつ、私は小走りに彼女の元に駆け寄った。


「今、帰り?」

「ん……ああ」


 帆足さんは私をちらりと見下ろして、表情も変えずに低く唸った。その体躯と物腰に、彼女と初めて会う人は皆身構えてしまう。並んで立つと、大人と子供くらいの身長差があって、私の全身はすっぽり帆足さんの影の中に収められてしまった。


「……もう指は大丈夫なのか?」

「え? あ、うん。もう全然平気!」


 私は左手をかざして見せながら笑みを零した。帆足さんと私は、先日とある事件で知り合って以来、こうして顔を合わせると挨拶をする程度の仲になっていた。もちろん、嬉しくないはずがない。は、人付き合いと言うものを文字通り「しない」ので、私にとっての友人と言うのは中々得難い相手だった。


「お前……」

「え?」


 ふと気がつくと、帆足さんが怪訝な顔をしてこちらを覗き込んでいた。


「お前……大丈夫か?」

「な……何が?」

「何か……変わったな?」

「え? そ、そう? 私何にも……!」

「私?」

「あ! いや、じゃなくて、ぼ、……えへへ……!」

「…………」


 尚も帆足さんは疑り深い目を向けていたが、やがて腕を組み小さくため息をついた。変な奴だと思われたかもしれない。実は私の中には、僕だったり俺だったり、たくさんの一人称じぶんが住んでいる。薫さんと言うのは私の中の、もう1人の私だ。彼女が話しかけていた(と思っている)のは、の方……の方だったのだろう。


「まぁ良い。お前、一人か?」

「うん」

「そうか……」

「そうだ、帆足さん、良かったら一緒にクレープ食べない? 美味しいお店見つけたんだ」

「寄り道してそんなとこで油売ってたのか」

 好意のつもりだったが、風紀委員の帆足さんは、しかし良い顔をしなかった。

「真っ直ぐ帰った方がいいぞ。最近物騒だからな……」

「また?」


 私は思わず呟いていた。

 また、と言うのは、ついこの間、この町で殺人事件があったばかりだったからだ。殺されたのは私と帆足さんのクラスメイトだった。

はその女の子に片思いしていたらしく、傷心のため新たな『自分探しの旅』へと出かけてしまった(全く、これ以上勝手に自分を増やさないで欲しい!)。主人格が留守の間、私が代わりに表に出ているのだが……どうもの身体と言うのは、その……お手洗いとか……。


「どうした?」

「いや、何でも!」

「そうか……まぁいい。私は忙しいから、もう行くぞ」

「もしかして、また探偵の真似事してるの?」


 言い終わってから、しまった、と思った。どうしてこんな言い方をしてしまったんだろう? 帆足さんの顔色が見る見る強張っていくのが分かる。しばらくお互い、何も言わないまま見つめ合った。遠くの方でカラスが鳴いている。やがて帆足さんの方からフッと表情を緩めた。


「そうだ。厄介事に巻き込まれるのがどうも私の性分らしい。わざわざ首を突っ込まなければ良いのにな……と自分でも思うんだがな」

「あの、もし良かったら……」


 私は胸を撫で下ろしながらベンチを指差した。一体どんな事件を抱え込んでいるのか、興味が湧いた。彼女は少し逡巡した後、ゆっくりと頷いた。


「幸甚だ」

「あはは……」


 言葉の意味は良く分からないが、とにかく「イエス」と言うことだろう。それで私たちは並んでベンチに座った。

 季節は冬から春へと変わろうとしていた。夕方の公園では、犬を連れた老人が一人散歩しているだけだった。やはりその「事件」とやらで、子供たちも「あまり外に出るな」と通達があったのかもしれない。


 遠くビルの向こうで、残った夕日の先端がメラメラと燃えている。街は徐々に影を長く伸ばし、鮮やかな茜色から、薄暗い夜の色へと染まっていく。帆足さんが訥々と語り始めた。


「……空手部の主将なんかをやってると、引越しの手伝いだとか、荷物運びだとか何かと駆り出されてな。ま、私も体を動かすのは嫌いではないし。それで、この間とある富豪の家に呼ばれたんだ」


 とある富豪の家で起きた怪事件。


 その資産家は、帆足さんの父親の知り合いとかで、町の近くの山奥に豪奢な屋敷を構え、世俗を断ち隠居しているらしい。すでに現場を退いてから何十年も経つ高齢者で、家族も皆体を悪くしているので、何かと手を貸して欲しい……と言う話だった。


 帆足さんにはその家族と面識はなかったが、特に断る理由もない。彼女は早速山に登った。件の屋敷は、鬱蒼と生い茂る緑に飲み込まれるかのように、ひっそりと山奥に立っていた。やがて玄関先に現れた老人は、なるほど確かに齢80にもなる白髪のお爺さんだった。


「彼の名前は高木啓介。息子である家主の慶彦さんの、義理の父だった」

「お義父さん……」

「ご病気で既に目が見えず、私を出迎えた時も、明後日の方角を見つめていたな」

「他の家族はどうしてたの?」


 私は少々憤りながら尋ねた。そんな人に客人を出迎えさせるなんて、ちょっと酷な話ではないか。帆足さんは小さく首を振った。


「気持ちは分からんでもないが、他の家族も似たようなものなんだ。高木家はその時四人暮らしでな。

 母親の高木春子さんは、77歳で、彼女は耳が悪く、もう何年も寝たきりで過ごしている。

 弟の恭二さんは、こちらは45歳だ。生まれつき足が動かず、車椅子生活だ」

「じゃあ慶彦さんは?」

「慶彦さんは殺されていた」


 帆足さんが声を潜めてそう言った。


「私が家を訪ねた当日、屋敷の敷地内にある離れでな」


 死因は失血死。享年46歳。正面から、胸を一突き、凶器の包丁は刺さったままだった。

 

 離れの周りには足跡が残されており、足跡は外の塀から続いていた。

 窓ガラスは外から割られており、部屋の中では争った跡と、金品がいくつか無くなっているのも確認された。警察は強盗殺人……外部の者の犯行と見て捜査を進めているが、犯人は未だ捕まっていなかった。


 いつの間にか夕日は西の空の向こうに沈み、深い青が周囲を包んでいた。人里離れた山奥で起きた強盗殺人事件。私は肌寒さを覚え、小さく身震いした。


「警察の人も、最初はすぐ捕まるとタカを括っていたらしい」

 帆足さんは肩をすくめた。

「何せ堂々と足跡が残されていたからな。靴の型番も、販売経路も分かってる。しかし犯人だけが一向に上がらない。今は誰かに恨みを買っていなかったかとか、動機のセンを洗っているようだ。一緒に暮らしていた家族にも疑いの目を向けているらしいが……」

「でも……」

「そう。確かに被害者が殺された時、一番近くにいたのは家族3人だ。それと私」


 それで合点がいった。

 どうやら帆足さんは、警察から容疑者の一人として挙げられているようだ。自分の疑いを晴らすため、犯人探しに乗り出しているのだろう。


「しかし……さっきも言った通り、家族は皆何処かしら体を不自由していた。


 ①義父の高木啓介は目が見えなかった。

 ②母親の春子は耳が悪く、寝たきりだ。

 ③弟の恭二は生まれつき車椅子生活を強いられている。


 ……家族の中で、唯一自由に動けたのは、殺された被害者のみだったんだ。皮肉なことにな」

「なるほどね……」


 私は口元に手を当てて唸った。ふと視線を感じ、顔を上げると帆足さんがじっと私を見下ろしていた。すがるようでいて、何処か挑発的な……さすがのお前でも、この謎は分かるまい。そんな空気を感じ、私はニッコリとほほ笑んだ。


「一つだけ質問していい?」

「何だ?」

「帆足さん、クレープは何味が好き?」

「? ……どういう?」


 いつも強面な彼女が鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしているのを見て、私は満足した。


「ね、クレープ食べに行きましょうよ。早くしないと、閉まっちゃう」

「だが……」

 立ち上がり腕を引っ張る私を制し、帆足さんが首を振った。


「ダメだ。悪いがそんな暇はない。今はすぐにでも事件を解かないと……」

「解けたら良いの?」

「何?」

「決まりだね」


 帆足さんは目を丸くし、私は目を細めた。

 話を聞く限り、謎はすでに解けていた。登場人物の特徴を良く聞いていれば分かる。犯人は、あの人だ。

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