第6話 why?
「何を言って……?」
激しい雨音が森全体を包み、周囲で太鼓が鳴り響いているような、足元が震えているかのような騒ぎだった。椿ちゃんはその場に立ち尽くしたまま、戸惑ったようにこちらを見下ろしていた。
「あなた、確か指宿薫さん……?」
「僕のメッセージ、読んでくれましたか」
僕は包丁を構えたまま、ゆっくりと種明かしを始めた。
紙袋の中に、ちょっとした
『死体の埋めた場所を知ってるぞ』
……これだけで犯人には十分に伝わるはずだった。
女子高生の行方不明事件。警察はまだ死体すら見つけていない。そんな中、不意に紙袋が届けられたら。切断された指とともに、こんなメッセージが添えられていたら。普通は通報するだろう。だが、犯人だったらどうするか? もし本当の犯人なら、埋めた死体を確かめずには要られないと思ったのだ。
それで僕は仕掛けを施し、
「死体を発見したのはたまたまでした」
僕は顎から雨を滴らせ、表情を変えずにそう言った。
「僕はそう……彼女のことが好きだった……それでその、ストーカーじゃないんですけど、彼女の行動範囲は逐一把握していたのです」
「ひ……ッ!?」
椿ちゃんが、僕をストーカーを見るような目で蔑んだ。そうじゃないのに。僕はストーカーじゃないのに。ただ純粋に彼女の指が好きだったのだ。
「それである日、彼女に指輪をプレゼントしようとした……」
「い……っ!?」
「知っていますか? 指輪には付ける場所によってそれぞれ意味があって……たとえば左手の薬指なら、『愛を深める』という意味が」
「いやぁあああっ!?」
そんなに叫ぶことだろうか? まぁいい。
「だけど断られたので……こっそり近づいて、バレないようにカバンの中に入れておきました」
「あなた何ッ……何なのッ!?」
「その指輪に、発信器を仕込んでおいたのです」
これは一体どういうことか?
しかし、その発信器のおかげで僕は彼女の死体を見つけたのだった。
沢北楓は何者かに殺され、山の中に埋められていた。
死体を発見した時、僕は彼女の指先にもう体温がないの知って、涙を流した。このまま朽ち果てるのは忍びないと思った。せめて指だけでも僕のものにしたい。それで僕は、家から出刃包丁を持ってきて、彼女の手首を切断した。
家に帰って、泣きながら手首を抱いて寝た。死体のことを警察に言おうかと思った。しかし、それでは犯人は捕まるだけだ。それに、通報すれば楓さんの手首も没収されてしまうだろう。それじゃ自分の気が済まない。
許せない。許さない。捕まえるだけじゃダメだ。警察に頼らず、いや警察が見つけるよりも先に、彼女の指を、美しい彼女の指をこんな目に遭わせた犯人を、この手で復讐したい。指を僕のモノにしたい。そう思った僕は(俺は)(私は)(ワシは)密かに今回の計画を立てた。
犯人を……
切断した指を、犯人に見せつけるのだ。
それで僕は、あの時、花屋の前で、椿ちゃんのカバンに指を仕込んだ。
「どうして……!?」
椿ちゃんはまだ戸惑っていた。
どうして僕は、彼女が犯人だと分かったのか?
「……いいえ、分かっていませんでした」
僕はゆっくり首を振った。
「はい……??」
「ただ、発信器の履歴から、楓さんが最後にいたのは自宅だと分かりました。だからまず貴女たち家族に目をつけた訳です」
それから僕は椿ちゃんの目をじっと見つめた。
(だけど、もし椿ちゃんが犯人じゃなかったら?)
……その場合、椿ちゃんは当然驚いて指を警察に持っていくだろう。警察は公表し、大騒ぎになるかもしれない。
だがそれで良かった。
犯人に指のことが伝わりさえすれば良い。誰かが死体の場所を知っている。そう焦らせることができれば。たとえ指を届けられても、警察は死体の場所をまだ知らない。知っているのは、犯人と(たまたま発見した)僕だけだ。
犯人しか知り得ない情報。
此処に来る人間が、犯人だった。
僕は犯人じゃない。
僕の行動を不審がり、後を追ってきた真琴さんもまた、死体の場所までは分かっていないようだった。
「……そして貴女が此処にやって来た。死体の場所を知っているのは……犯人だけです」
「私が!? 犯人ですって……!?」
「言っておきますが、僕の覚悟は本物です。誰にも邪魔させるつもりはない、僕は本気だ」
「あなた……さっきから何言ってるの!?」
「つまりこういうことです。『貴女を殺して僕も死ぬ』!」
だが、そう言い終わらないうちに僕は後頭部にガツン!! と強い衝撃を受け、気がつくと地面がすぐそばまで迫っていた。(一体何が?)最初は何が起きたのか分からなかった。息が詰まって、呻き声も出ない。頭の中が割れたように、グワングワンと回り続け、僕は頭から地面に突っ伏した。
「馬鹿な真似はよせ、指宿!」
背後から野太い女性の声がする。揺れる視界の端で……帆足真琴が……向こうから足早にやって来るのを捉えた。(恐らく投石か何かだろう)見事後頭部に硬い石飛礫を喰らった僕は、呆気なくノックダウンされた。僕の本気の『覚悟』は、そこら辺に転がっていた石によって、脆くも砕け散った。
「お前もだ、椿!」
真琴さんは倒れた僕には目もくれず、鋭く僕の前方に警告を飛ばした。今度は椿ちゃんが、これが反撃の
「無駄な抵抗はよせ! 話は全部聞かせてもらった!」
「チッ……どけよ! このデカブツがぁッ!!」
椿ちゃんは鬼の形相になり、構えた刃物を無茶苦茶に振り回しながら、真琴さんの方に突進していった。真琴さんは無表情だった。一度コキリと首を鳴らし、ふわりと右手で宙を掻いた。彼女の手についた小石や泥が、椿ちゃんの顔面目掛けて飛んでいく。
「う……!」
目潰し攻撃を受け、一瞬相怯んだ隙に真琴さんは一気に間合いを詰め、
「ひ……!?」
全力で相手の顔面に右拳を叩き込んだ。
「ぴぎッ……!?」
殴られた方は奇妙な叫び声を上げ、まるで枯れ葉のように、軽々と数メートル吹き飛ばされた。派手な音を立て古木に激突した犯人が、そのまま気絶して、ズルズルと地面に崩れ堕ちていく。僕は倒れ込んだまま目を見開いた。一撃必殺。
「全く……どいつもこいつも」
真琴さんはもう一度首をコキリと鳴らし、それから小さくため息をついた。
「無茶をするな。私より弱いんだから」
その言葉を聞いて、地面に寝っ転がったまま、落とした刃物によろよろと手を伸ばしかけていた僕は、諦めて気絶することにした。自分でいうのも何だが、僕はたとえ女の子と喧嘩しても絶対に負けるという自信があった。だから刃物まで用意したのだが……。
「もういいんだ……もう」
真琴さんが誰に言うでもなく、ポツリとそう呟いた。誰も応える者はいなかった。後にはただ、雨の音が、大粒の涙のように森全体に響くだけだった。
それから3日後。
哀れ路傍の石に敗北し、検査入院をしていた僕の元へ、真琴さんがお見舞いに来てくれた。今日は取り巻きも誰も連れていない。だが、彼女が一人来ただけで、急に部屋が狭くなった気がした。
「沢北椿が自白したよ」
真琴さんは持って来た地方紙を僕のベッドの上にポンと置いた。彼女の方は、かすり傷一つ負っていなかった。
あれから3日経ち。事件は無事解決した。
犯人は……沢北椿は殺人容疑で逮捕され、(一応)犯人に襲われた(と言うことになっている)僕は、しばらくの間病院で寝泊まりすることになった。
「動機は思春期ゆえの悩みだとか、若気の至りだとか……まぁ良くありがちなものに落ち着きそうだ。彼女なりに家族との関係を悩んでいたみたいだな」
「そう……」
僕は寝っ転がったまま窓の外を見つめ、素っ気なく声を漏らした。
そもそも僕は犯行動機というものに興味がなかった。
他人の理由なんかどうでもいい。ただ、彼女の指が好きだった。僕の中にあるのはそれだけだったのだ。
あの日、僕は刺し違えるつもりだった。もちろん(あわよくば)あの妹の指もモノにしてやろうと思っていたけれど……どうやらどちらももう叶いそうになかった。僕は落胆した。
「それにしても、君も無茶をするものだな」
真琴さんは半分呆れたように肩をすくめた。窓の向こうからは、久しぶりに顔を覗かせた太陽が、弱々しくも暖かい光を部屋の中に届けていた。
「まさか警察にも相談せず、自ら犯人に復讐しようなどと。挙句楓の指を切断し……」
「彼女の指?」
ベッドに横になったまま、僕は首をひねった。何を言っているのか分からない。それは真琴さんも同じだったようだ。
「そうじゃないのか? 指を紙袋に入れ、カバンに隠したのはお前だろう?」
「そうだけど……」
僕は上半身を起こし、
「だけど、僕が楓さんの指を切断なんかするはずないじゃないか。僕はあの指が大好きだったんだよ」
「何を言って……?」
「切ったのは、僕の指だ」
そう言って僕は手袋を取った。
僕の左手には、人差し指が欠けていて……4本しかなかった。
「お前……」真琴さんが目を見開いた。
あの日、僕は自分の指を切った。楓さんの手首は、今でも机の引き出しに大事に保管してある。僕は彼女の指が好きだった。だから彼女の指だけは傷つけたくなかったのだ。
「……時間が経って、少し黒ずんでくるのを待ってたんだ。そしたら見分けがつかないと思ってね。要するに、犯人が死体の指だと思い込んでくれさえすれば良い。誰の指だって良かったんだ」
真琴さんは少し気後れしたように目を泳がせたが、やがてじっと僕の方を見据えて言った。
「……曲がりなりにも犯人逮捕に協力してくれたことに、お礼を言おうと思っていたんだが」
「別にいらない。僕は協力したつもりもなかったから……それより」
「何?」
「ありがとう」
「何がだ?」
「手首のこと……黙っててくれて」
僕は真琴さんの目を見てお礼を言った。
「おかげで警察に取られずに済んだ」
「フン……」
真琴さんは肩をすくめ、不敵な笑みを浮かべた。
「別に……私は探偵じゃないからな。事件が解決しさえすれば、犯人がどうなろうが知ったこっちゃない。友人のために何かしたかっただけだ。礼などいらんさ」
「そう……じゃあ」
「嗚呼。邪魔したな」
それだけ言うと、真琴さんは颯爽と踵を返して病室を出て行った。去り際、ひらひらと振る彼女の指が、僕は少し(綺麗だな……)と思った。
……これが僕と真琴さんの出会い。【最初の事件】のあらましだった。
限りなく犯人に近い僕と、限りなく探偵に近い彼女が、それから本当の意味で協力して難事件に挑むようになるのは……それはもう少し、先の話である。
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