第4話 why?

「何やってるんだ? いつき……」

「ご……ごめん兄ちゃん! 私、私……!」


 暗闇の中で、妹が目を泳がせるのが分かった。心臓が大魚と化し、胸の中を暴れ回った。僕は入り口の前で立ち尽くしたまま、しばらく息を殺して妹を見下ろしていた。震えているのは、寒さのせいだけだろうか?


「あのさ……ゲーム! ゲーム機探してて……ほら、こないだのテストの点数悪かったから。私、お母さんに取り上げられたじゃん。それで……」

「…………」

「それで、お兄ちゃんのスウィッチ貸して欲しいな〜って」

「…………」

「……兄ちゃん?」


 樹が小さく首をかしげた。

 僕の頭の中で、大勢の勝手な奴らが、とても表には出せないような言葉を喚き続けている。しばらく逡巡したのち、僕はやがて小さくため息をついた。引き出しには鍵が掛かっている。鼻をヒクつかせてみたが、消臭剤がバッチリ効いていて、気づかれようもなかった。何よりここで不審な態度を取ると、藪蛇になりかねない。


 おそらく妹はまだ気がついていない(本当にそうか? もし気がついていたら、その時は……)。いや、真偽はどうあれ、今はあくまでその程で接し続けて、やり過ごすのが得策だろう。


 部屋の明かりを点けると、樹が床に這いつくばっているのが写し出された。いかにも罰の悪そうな顔を浮かべてこちらを見上げる。


「勝手に入ってごめん……でも」

「ゲーム機はそこじゃないよ。天井裏に隠してある」

「天井裏……? あっ」


 樹が目を輝かせた。僕は椅子に足を乗せ、天井の、外れるようになっている板に手を差し込んだ。如何にも「見つけてください」と言わんばかりの隠し場所だが、親に見つかっても構わないようなあれやこれやは、全部天井裏に保管してあった。言わばダミーだ。


「ちゃんと返せよ。僕もまだ、クリアーしてないのあるんだから」

「うん……ありがと! 兄ちゃん」


 妹は急いで僕からゲーム機を奪い取ると、もう用はないと言った感じでそそくさと部屋を出て行った。誰もいなくなった扉をしばらくじっと見つめる。妹が自室に戻る音を確認して、僕はそっと引き出しに手を伸ばした。


 やはり鍵は掛かっている。

(考え過ぎか……?)

 だが、やはり此処に保管していてはリスクが大きい。

早く計画に移った方が良さそうだ。

一人きりになった部屋で、僕はしばらく同じ体勢のまま、頭の中を駆け巡る様々な声を聞いていた。




「じゃあ……陽花たちは北の住宅街に聞き込み、椿ちゃんは指宿と、ショッピングモールを頼む」

「分かったわ」

「分かりました、帆足様」


 日曜日。


 真琴さんの指示に、集まった令嬢の面々が力強く頷く。総勢20名ほどだろうか。皆表情が引き締まっていた。今日こそ友人をこの手で見つけるのだと鼻息を荒くしている。寒さは相変わらずだ。白い息が幾つも、湯気のように立ち上っては消えていった。太陽はまだ昇りきっていない。中天には薄暗い雲が広がっていた。


 そんな中、学校近くの公園に集合した僕らは、今日も今日とて人海戦術で行方不明者の捜索を続けていた。もう何日も、休みの日は……いやたとえ平日だろうと……ずっとそんなことを繰り返している。だけど未だに楓さんは見つかっていない。それもそのはず、彼女はすでに死んでいるのだ。この中で僕だけがそれを知っているというのも奇妙な感覚だった。


(ようやくこの時が来た!)


 それはそれとして。僕の中で俺たちが息巻いた。


(この時を待っていた)

(沢北椿と二人きりになるこの時を)


 沢北楓がいなくなってから、すでに二ヶ月近く経っている。切断した人差し指は、既に腐りかけ黒ずんでしまっていた。残された時間は思っているよりも少ない。


 妹の……樹の動向も気になるところだった。樹が引き出しの前で跪いていた時は肝を冷やしたものだが……(あの時アイツは、親に没収された携帯ゲーム機を探していると言っていた。だが、果たして本当のことを言っているかどうか)……とにかく早めに動いた方が良いのは確かだった。


 やはり真琴さんと手を組んだのは正しかった。帆足組(僕が勝手に名付けた)は毎回二人か三人組になり、町中を聞き込み・捜索に当たっていた。僕も何度か会合に参加して、じっくり時間をかけて彼女の信頼を獲得して行った(この日が来るまで、本当に何日も無駄に過ごしてしまった。見つからないと分かっているものを探すフリをするというのは、いつもの倍は疲れる作業だった)。


 そして今日。

 捜索隊に加わって約一ヶ月。

 僕はようやく、ようやく楓さんの妹・沢北椿と二人きりになれたのだった。


「指宿」

 真琴さんが僕の肩を叩く。

「今日も頼んだぞ」


 僕は絵に描いたようなほほ笑みを浮かべて軽く頷いた。彼女も、その取り巻きも、こちらを疑うような素振りは一切見られない。本当にここまで、短いようで長い道のりだった。もう少しで、次の指を切ってしまおうかという衝動に抗えないところだった。


「落ち込んじゃダメよ!」

「今日こそお姉ちゃんを、見つけてあげるからね!」


 皆が椿ちゃんを励ましていく。椿ちゃんは疲れた顔をしていたけど、気丈にもほほ笑んで見せた。


 やがてそれぞれ散会し、僕らは近所の寂れたショッピングモールへと入った。人気は懸念していたほど多くなかった。椿ちゃんは僕の横にくっついて、キョロキョロと店内を見回していた。いるはずのない姉の姿を見つけようと、必死に。


 僕も僕の方で上の空だった。

ようやく二人きりになれた……千載一遇のチャンスだ。貴重なこの数時間を無駄にするつもりはない。僕は潜ませた紙袋を、カバンの外から何度も手触りで確かめた。しばらく店内を回りながら、僕は眈々とその機会チャンスを窺っていた。


 指……彼女の指はやはり、姉と同じような形をしているのだろうか?

 

 歩いている間、僕はずっと指のことが気になってしょうがなかった。

 視線がどうしても伏し目がちになる。


 触り心地はどうだろうか? 

(匂いは?)

(長さは?)

(色は?)

(刻まれた皺の数は?)

 姉の指と妹の指を、並べて比べて見ると言うのはどうだろう? 舐めたらどんな味がするだろう? やはり違うのだろうか? それとも……嗚呼……早く……その指を自分のものにしてしまいたい……!


「あ……金盞花キンセンカ


 とある花屋の店先の前で、彼女はふと立ち止まった。鮮やかな黄色やオレンジ色の花弁から(樹が腐ったような)特徴のある匂いが漂う。出来るだけ匂いの強いところを歩こうと言うのは、僕なりのささやかな戦略であった。


「その花がどうかした?」

「お姉ちゃんが……楓お姉ちゃんが、この花、好きだったんです」


 そう言って少女は少し寂しそうな顔をした。

 僕の方はと言うと、視線はずっとその白い指先に注がれたままだった。一瞬、その指を掴んでしまいたい衝動に駆られるも、必死に堪える。


「早く……会えると良いね」

(もうすぐ会わせてあげる)

「……はい」


 僕はさりげなく少女のそばに近づき、指の入った紙袋をそっと取り出した。一瞬、臭いが漂ってきたような気がしたが、しかし周囲に立ち込める花の香りで、それほど気にならない。それから僕は急いで彼女のバッグの中に滑り込ませた。


 

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