第3話 why?
風紀委員・帆足真琴が犯人探しをしている。その噂は瞬く間に学校中に広まった。早くも生徒たちは『刃物を持った犯人に空手でどう戦えば良いか?』といった話題で盛り上がっていた。要するに皆刺激に飢えていたのである。十分に警戒しながらも、それから僕はしめやかに計画を実行に移して行った。
沢北楓の両手首を手に入れ、次の
毎日授業が終わると、僕は脇目も振らず教室をそっと抜け出し、住宅街へと急いだ。すでに外は真っ暗だった。吐き出した白い息が煙のように霧散して闇に溶けていく。外は暗ければ暗いほど。闇は深ければ深いほど。僕らのような人間にとっては、有難い。
沢北さんの家は住宅街の、坂道の一番上にある一軒家だった。
明るい4人家族。しかしその団欒の場所に、今や笑顔はない。
彼女の父親・沢北三郎(47)さんは警察官で、一体どうしてこんな強面の男からあんな可愛らしい娘が生まれてきたのかと首を傾げるほどである。三郎さんは捜査一課(つまりは殺人事件の担当)で、帰宅している方が少ない。
母親の和子(48)さんは午前中、1キロ先のスーパーでパートをしながら、二人の娘の面倒を見ている(見ていた)。
妹の椿(14)ちゃんは現在中学二年生で、楓さんに目元の辺りがそっくりで、つぶらな瞳が小動物を思わせて何とも可愛らしい。習い事のピアノとバレー・ボールを小学校に上がった時からずっと続けている、頑張り屋である。現在沢北家では芝犬を一匹、庭で飼っている。
僕は視線を外し、眉間の辺りを軽く揉んだ。風は夜が更けるほどに冷たさを増し、手袋をしていても指が
これくらいの個人情報は(たとえ探偵じゃなくても)ネットを検索するだけでいくらでも出て来た。むしろ自分から詳しいプロフィールを延々と書いている子もいるくらいで、住所やら電話番号やら、(これがもし悪い人に見つかったら大変だろうな……)と心配になるくらいだった。
そんなことを考えているうちに、道の反対側から椿ちゃんがやってきた。普段は(姉に似て)明るく人懐っこい性格なのだが、さすがに今は悲哀に満ちた、疲れた顔をしている。椿ちゃんは玄関先で立ち止まり、制服姿のまま複数の友人たちと何やら話し始めた。風の音で何を話しているのかまでは聞こえない。橙色の灯の下で、小さな影が寄り集まって蠢いていた。僕はいつも通り、塀の角に身を隠した。
顔を半分だけ出し、そっと様子を窺う。
たった一人の姉が行方不明になってしまったことで、沢北家は
(とはいえ……)
とはいえ、これほど大勢に囲まれていては、近づくに近づけなかった。出来れば一人きりになった時を狙いたい。そのために、僕はこうしてほぼ毎日此処に通っていたのだった。
悪目立ちしたり、誰かに顔を覚えられると言うのは当然避けたい。微かな痕跡も、指紋すら残したくなかった。手袋は脱げないし、髪の毛が落ちないようにラップを巻き、その上からニット帽も被っていた。
(今日も計画は中止か……)
そう思い、諦めてそっと踵を返した時、
「お前……確か」
ふと見たことのある顔が飛び込んできた。
「同じクラスの……指宿?」
「帆足さん……?」
僕は思わず目を見開いた。坂道を下からゆっくりと登ってきているのは、間違いない、風紀委員・帆足真琴その人だった。僕は一瞬息が詰まりそうになった。
「此処で何をやってるんだ、お前は?」
今日はいつもの取り巻きはいない。
真琴さんは眉をひそめ、奇天烈な現代アートでも見るような目で僕を見下ろした。
「ほ、帆足さんこそ……」
「私か? 私はただ帰宅してるだけだ。家がこの近くなんでな」
ただの帰宅というよりも、今から道場破りにでも行くような雰囲気だ。警戒心と殺気を隠そうともせず、彼女が大股でこちらに近づいてきた。僕の方が坂道の上にいたはずなのに、あっと言う間に見下ろされてしまう。
僕は息を呑んだ。近くに寄るとさらに威圧感がある(セーラー服よりも、学ランや道着の方が似合うと言ったら、怒られるだろうか?)。その眼力は、まるで相手を射殺そうとしているかのような鋭さだった。彼女に全力でぶん殴られたら、きっと僕の頭蓋骨は粉々に砕けるだろう。
「別に特に……」
僕はあまり表情を変えずに答えた。動揺が表に出てはいけない。此処は波風を立てず、出来るだけ穏便にやり過ごしたいところだった。
「ただ何となく……心配になったんだ」
風紀委員は険しい顔をさらに険しくして唸った。
「野次馬や冷やかしなら、悪いが帰ってくれ。今はそっとしておいてやってくれないか」
「そんなつもりは……」
「いずれにせよ、此処らは危ないぞ。犯人は現場に戻ると言うからな」
至極真面目な表情で彼女はそう言った。どうやら本当に探偵の真似事をしているようだった。だとしたら、僕としても放っては置けない。簡単に捕まる訳には行かなかった。
「じゃ、じゃあ沢北さんは、何かの事件に巻き込まれたと?」
「そうだな……できればそうであって欲しくないと願ってはいるが」
僕が思い切って尋ねると、真琴さんは目を伏せた。
「楓が……あの子がいなくなる直前、私に連絡をくれたんだよ」
「え?」
「メールでな。『明日約束の映画見に行こう!』って」
「映画……」
「そう言う奴が、急にいなくなったりすると思うか?」
僕は黙って悲しそうな顔をして見せた。
(実際には、そう言う奴はいる)
(昨日まで元気一杯だったのに、何の前触れもなく自殺してしまったり)
(予定が詰まっているのに、突然蒸発してしまったり)
(それに、たとえ本人にそんな気は無くても、悪い奴に見つかって、呆気なく命を奪われてしまったり……)
……もちろんそんなことは、ただの一言も言わなかった。変に饒舌になって、墓穴を掘るような真似や、こちらを詮索されるような隙は一切見せるべきではない。それくらいは心得ていた。
「少なくとも楓は、私に何も言わずいなくなったりはしないさ」
僕は頷いた。
そうでは無く、今はこちらから相手の懐を探る
(彼女はどれだけ掴んでいるのか?)
(この事件にどれだけ深く入り込んでいるのか?)
(探るべきよ)
冷たい風が頬を撫でる。もしかしたら……僕は慎重に言葉を選んで話し始めた。
「……沢北さんは何処にいると思う?」
「さぁ……思い当たる場所は、あらかた回ってみたんだがな」
苦しそうな真琴さんの前で、僕も同じように顔をしかめた。
「お気に入りの場所とか、思い出の地とか……」
「そうだな……町の外までは、確かに全てを回り切れた訳ではない……」
真琴さんが顔を上げた。その目は爛々と輝いていた。
「そうだ。もし良かったら、一緒に探すのを手伝ってくれないか?」
「え?」
「一人より大勢だ。皆にも今、色々な場所を探してもらっているんだ。今はとにかく人手が要る」
突然の申し出に、僕は一瞬言葉に詰まった。沈黙の中を風の音が駆け抜けていく。
「……いやか?」
「いや、って訳じゃないけど……」
僕が返答に困っていると、彼女はフッ、と力を抜いたようにほほ笑みを浮かべた。
「まぁ、な。『そんな危ないことは警察に任せておけ』と言われれば、それまでの話だが」
「…………」
「だけどやっぱり、何かをせずにはいられないんだよ」
「…………」
再び沈黙。僕はしばらく黙ったまま、じっと彼女を見上げて、
「もちろん、喜んで協力するよ」
気がつくとそう口走っていた。まるで僕の中にいる僕じゃない別の誰かが、僕の口を借りて喋っているみたいだった。
「……本当か?」
「もちろん」
「ありがとう……恩に着る!」
真琴さんは顔色を明るくさせ、まるで野武士のように律儀に頭を下げた。ご丁寧に伸ばしてきた大きな右手を、少し躊躇いながらも、そっと握り返す。
全く可笑しなものだ。
僕みたいに正反対な奴と、あの真琴さんがこうして手を組むことになるなんて。これじゃまるで、殺人鬼と探偵が肩を組んで笑っているようなものじゃないか。
実際、僕は戸惑っていた。こうして喋ってみると、真琴さんは表情が子犬みたいにコロコロ変わる、感情表現が豊かな人だと思った。今まで僕が持っていた近寄り難いイメージと全然違う。思えば僕は今まで彼女について何も知らなかった(もちろんネットを検索すれば、出身校は何処だとか、家族構成は如何だとか、
「ん?」
「……どうかした?」
「いや……」
真琴さんは僕の目をじっと覗き込み、やがて軽く首を振った。
「……何でもない」
(気づかれただろうか?)表情は変えてないつもりだった。
(……帆足真琴も、『×××
月夜の下で握手をしながら、僕の中の誰かが、そんなことをぼんやりと考えていた。僕は僕で、彼女のことを……沢北楓さんのことを……僕は本当の意味でどれほど知っているのだろうか? という思いが頭を離れなかった。
寒さは一層厳しさを増して。帰り道の足取りは重くはなく、だけど決して軽くもなく。
帆足女探偵と別れ、早々に家路に着く。
家の中は真っ暗だった。共働きの両親はともかく、妹はすでに帰宅しているはずだが……不意に妙な胸騒ぎを覚えた。急いで自分の部屋に戻ると、
「あ! 兄ちゃん!?」
薄暗い部屋の中で、妹の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます