第2話 why?

 次の日。


 教室に入ると、案の定クラスメイトたちは沢北楓さんの噂で持ちきりだった。

行方不明。

ここ数ヶ月、彼女は家にも帰っておらず、また一向に連絡も取れていない。ほんの数日前、町外れのゴミ処理場の近くで、沢北さんのものと見られる携帯電話が発見された。

 

 折しも世間では、ちょうど『女子高生連続誘拐殺人事件』だとか、若い女性を狙った連続通り魔事件が騒ぎになっていた。


 もしかしたら沢北さんも、何らかの事件に巻き込まれたのかもしれない。


 誘拐。暴行。殺人。通り魔。


 画面の向こう側だったはずの悲劇が、急に自分たちの側にその生々しい姿を露わにして、誰もが慄き、そして浮き足立っていた。

怖がる者。

面白がる者。

怒る者。

泣く者。

笑う者。

生徒たちの反応は実に多種多様で、だけど先生は何故か面白がる者や笑う者をあからさまに批難するのであった。どうやら大人というのは、皆が皆同じリアクションを取らないと不愉快になるらしい(全米が泣いたら、全員泣かなくてはいけないのだ)。


 かく言う僕は『バレるんじゃないかとドキドキしてる者』だったので、幸い先生には怒られずに済んだ。しかしこっちはこっちで、耳に飛び込んでくる様々な噂話に、とても生きた心地がしなかった。臭いが気になって気になって、少し消臭剤を掛けすぎたんじゃないか……とか、ずっとそんな心配をしていた。


 誰とも目を合わせないようにして、黙って自分の席に着く。幸か不幸か、僕はクラスでは物静かで目立たない、大人しい優等生だ。そう思われていたので、誰も僕が現れたことを気にも止めなかった。みんな噂話に夢中だ。席に着いてからも、雑音ノイズのような囁き声が、僕の頭上を延々と飛び交っていく。


 ……ねえ知ってる? 楓ったらさ、いなくなったあの日、知らない男と一緒に商店街を歩いてたらしいよ。

 ……俺、沢北の自転車駅で見たんだよな。もしかしたら、最後に沢北見たの俺かも知んねえ。

 ……警察がさ、この間隣のクラスの佐伯って生徒に事情聴取したんだって!

 ……家出じゃないの?

 ……私が聞いた話だと、駆け落ちだって。

 ……うそぉー!? 誰と? 誰と?

 ……やめろよ、彼女、まだ見つかってないんだぞ。

 ……そうだよ、もう殺されてるかもしれないじゃない。

 ……ちょっとやめてよ! そんな怖いこと言わないで……。


 それから朝のホームルームが始まるまで、興奮冷めやらぬ騒めきは止まることがなかった。会話の節々から察するに、どうやらまだ誰も真実には近づいていない。恐らく警察も。僕はようやく胸を撫で下ろした。


 彼女はもう、死んでいる。


 机の片隅の木の模様を見つめながら、僕は昨日のことを思い出し少しだけ感傷に浸った。沢北さんの……沢北楓の死体は、町外れのゴミ処理場ではなく、実際にはその反対側の私有地の山に埋められている。昔、都会の若い金持ちが一人キャンプにハマったとかで買い取った小高い山で、しかし数ヶ月後にはもう飽きたのか(『流行』とやらが過ぎて、『お金』にならなくなったのだろう)、今ではすっかり荒地と化している。最早野良犬しか出入りしていない、誰も近づかない不毛の土地であった。


 僕はその死体から両手首を切り落として持ち帰ることにした。

 沢北さんの、あの美しい指を、埋もれたままにしておくには忍びなかったのだ。


 死体は既に死後硬直が始まっており、刃物を振り下ろす度に手がジンと痺れ、まるで氷か瓦を叩き割るような感覚だった。思ったように行かず、途方に暮れていると、僕に代わって俺が腕を振るった。嬉々として。嗤いながら。渾身の力を込めて。まるで刃物を振るうのが愉しいとでも言わんばかりに。何度も何度も。何度も何度も何度も何度も……。


 ……僕はあの時のことを思い出して軽く身震いした。最期に見た、陶器でできた人形のような彼女の目は、虚ろで、何処までも仄暗く……。


「なぁ、お前はどう思う?」


 不意に耳元で声がした。驚いて顔を上げると、ちょうど一つ前の席から、興味津々の二つの瞳が僕を覗き込んでいた。陽に焼けた浅黒い肌。肩まで伸ばした茶髪。戯けた表情(最も本人曰く、ひょうきんを演じているのではなく「生まれつきだ!」という話である)。友人の加藤の顔が、僕の目と鼻の先に迫っていた。


「なぁ薫」


 薫。(指宿薫)それが僕の名前だった。(どうしてだろう? 今までそれを忘れていたような気分だった)。加藤の顔は半分ニヤついていた。


「俺としては、駆け落ちだったら一番笑えるし何だかんだハッピーエンドだと思うんだけどよぉ。やっぱ何か、危ない事件にでも巻き込まれたんかなぁ?」

「えっ……と」

「だけどよ。沢北って、別にこのクラスでも目立ってなかったよなあ? 特別美人って訳でもなかったし、勉強がずば抜けてるとか、スポーツが万能だとかでもねえじゃん。マジでフツーの何処にでもいるようなヤツって言うか。こういっちゃ悪いけどさ、もし犯人がいるなら、何で沢北なんか狙ったんだ?」

「それは……」


 それは違うよ、と僕は言いかけて、慌てて口を閉じた。

 彼女は他の誰よりも、世界で一番美しい指を持っている。僕はそれを知っている。あるいは僕だけが。天才ピアニストでも敵わない、唯一無二の指だ。あの指のためなら、僕はどんなことだって……。


「かぁぁぁああ。相変わらずテメーは自分の意見ってモンがねえなあ」

 加藤が半分呆れたような声で笑った。

 

 加藤は僕のことを、口数の少ない、可哀想な青年だと思っている。僕としてもそう思わせておいた方が何かと都合が良いので、今まで特に反論もしなかった。笑ったり泣いたり、いちいち感情を表に出すのは、僕にとっては非常に疲れる作業であった。何より、本当は頭の中にが13人くらいいるんだ……なんて言ったら、きっと彼もひっくり返るだろうから。


「何つーか犯人も物好きだよなあ。お前もそう思わねえ?」

「無駄話はそこまでだ」


 すると今度は僕の背後から、氷のように冷たい声が降ってきた。


 振り向くと、大柄な少女が腰に手を当て、険しい顔で仁王立ちしていた。

「帆足さん」

 僕は声を上擦らせた。そこにいたのは、泣く子も黙る風紀委員の、帆足真琴だった。


 短く切り込んだ黒髪。

 獲物を狙う猛禽類のような鋭い目つき。

 すらりと伸びた長身は、まるで天井まで届きそうなほど……と言ったら大げさだが……少なくともそこら辺の男子よりも悠々と高い。


 何より彼女は空手部の主将だとかで、怒らせると非常に怖いことで有名だった。何でも風の噂では、隣町のヤンキーを全員にして、舎弟にしている……とのことだった。本当かどうか知らないが。 

 ともかく、皆から恐れられている風紀女子が、まるで路上に落ちていた吐瀉物を見るような目で僕らを睨んでいた。頬に刻まれた傷の痕が、何とも生々しい。


「な……何だよ?」


 冷淡な目つきで見下ろされ、加藤が掠れた声を上げた。真琴さんの周りには、取り巻きの女子が大勢屯していて、それぞれ思い思いに僕らを睨みつけている。


「何だよ? このクラスじゃ、友人とのちょっとした会話も楽しめねーのかよ?」


 加藤が眉をヒクつかせながら唸った。こう言う表情の時の加藤は、内心ビビっている。長年の付き合いで僕にはそれが分かったが、あえて口に出すことでもなかった。


「確かに風紀違反ではないかもしれないが……」

 真琴さんは顔色ひとつ変えず低い声で唸った。

「生憎だが、楓は私の友人でね。友達を悪く言われて、気分を害さない人間がいると思うか?」

「ちょっと真琴、やめなって!」

「チッ……わぁったよ」


 加藤はイラついているフリをして、早々に背中を向けて会話を切り上げた。内心ではホッとしていることだろう。風紀委員の方も、周りの取り巻きに必死に止められて、どうやら僕らは鼻の骨を折られずに済みそうだった。


「彼女は……楓は私が見つけ出す」

「…………」


 気がつくと、瞳の奥を炎のように燃え滾らせて、真琴さんが僕をじっと見下ろしていた。(一体何故……?)僕は、自分に話しかけられていることに驚いて、目を何度も瞬かせた。彼女の内なる怒りで、ただでさえ大きな体が、何倍にも膨れ上がったように写った。


「もし彼女の身に何かあったとしたら……犯人がいたとしたら」

「…………」

「ソイツは、この私が絶対、許さない。犯人は何があってもこの手で見つけ出し、始末してくれる!」


 それだけ言うと、真琴さんはサッと身を翻して、再び次の噂話グループに突撃していった。僕はしばらく呆気に取られながら、その大きな背中を見つめていた。


「何だよアイツ……」

 加藤が僕の方に椅子を傾けながら、ボソリと呟いた。


「犯人を見つけるって……探偵気取りか?」

「…………」

「大体、自分から探偵を名乗るなんて、『警戒してくれ』って言ってるようなモンじゃねえか。なあ?」


 ……加藤に言われるまでもなかった。どうして彼女は、わざわざ僕にそんなことを言ったのだろう? (偶然か?)(それとも何か思惑があって……?)

 

 何れにせよ、はもう止められない。

 事件はすでに動き出している。


 その日から僕は(僕らは)、風紀委員・帆足真琴を十分に警戒することにした。

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