#18『登校』

『――悠介』


 ある女の子が、俺の名前を呼んだ。

 その子は、いつも1人で、儚げで……だけど、俺なんかよりずっと強くて……。

 俺は彼女にいつも憧れていた。

 そしていつしか、自分も彼女みたいに強くないたい。そう思っていたんだ……。


『わたし、ずっと待ってるから――』


◇◇◇

 

 ピピピピ……。

 聞き飽きるほど聞いた目覚まし時計の音が鳴って、俺は徐々に意識を覚醒させる。

 

「んん……うーん……」


 まだ眠い……。

 新しい生活が始まってもう3日も経ったが、未だにこの時間に起きるのは慣れていなかった。

 しかしこの時間に起きなければ、遅刻してしまいかねない。

 俺は何とか気合いでベッドから這い出て、まだ半分寝ぼけた頭で支度を始めた。


 俺の頭の家は、星琳学園から電車で1時間ほど掛けたところにあった。まあ、そこまで通えない距離ではないが……中学が徒歩圏内だったことを考えると、なかなかの変化だった。


 支度が終わった俺は、母親が用意してくれていた朝食を手早く済ませて、玄関に向かった。

 するとたった今起きたらしい妹の莉乃が洗面台から出てくるところに出くわす。


「おはよう、莉乃。今起きたのか」


「……お兄ちゃんか。早いね、もう行くの?」


「ばか、もう行かないと間に合わないんだよ」


「はは、そっか」


 お前は呑気で良いな。

 俺は朝起きるのに相当苦労してるっていうのに。

 いや……星琳学園に通うって決めたのは俺か。莉乃にそんなことを言うのは筋違いかもしれない。


「お前も急げよ。いくら学校が近いって言っても限度があるからな」


「はーい」


 莉乃は分かっているんだかよく分からない間の抜けた返事をする。


「……まあいいや、俺は行くからな」


 俺は玄関で靴を履くためにしゃがみ込む。

 すると、莉乃はそんな俺の背中に向かって話しかけてきた。


「ねえ」


「……なんだ?」


「陵華ちゃんには会えた?」


「……」


 陵華か……。


「いいや、まだだ」


 朱水院陵華。

 それは、俺がかつて仲の良かった女の子の名前だ。

 もうしばらく会ってなくて、連絡もつかないが……彼女について、ひとつだけ分かっていることがある。

 それは……彼女は、俺と同じ星琳学園の高等部に通っている、ということだ。


 と言っても、実際に星琳学園に通っている確証があるという訳ではなく……ただ単に、小学生の頃の彼女が星琳学園の初等部に通っていたから、そうなんじゃないかと思っただけだ。

 もちろん、通っていたのは初等部の頃だけで、今はどこか別の学校に通っている可能性もある。

 だけど……なぜか俺は、陵華がそこに通っているということを確信していた。


「……まだ入学して3日だぜ? 時間はたっぷりあるんだ。まだ焦ることはないだろ」


「ま、そうかもしれないけどさ……」


 莉乃は曖昧に呟いた。

 まあ、莉乃も陵華とは仲が良かったから、何か思うところもあるのだろう。

 靴を履き終えた俺は、立ち上がった。


「じゃあ、行ってくる」


「うん、行ってらっしゃい」


 そして俺は妹に見送られ、家を出たのだった。


◇◇◇


 通学中、電車に揺られながら、俺は考える。

 俺はもう1度陵華と会って……どうしたいのだろう?

 あの時の約束を果たしに行く――そんな大義名分を掲げてはいるが……実際に会って、強くなったところを見せて、それでどうする?

 昔みたいに、一緒に遊びたいのか?


 ……分からない。


 結局その答えは、学校に到着するまで、出ないままだった。


 俺は上履きに履き替えて、まだ慣れない教室に向かう。

 俺のクラスは1-Dだった。

 この星琳学園には、俺の中学校があった学区から通っている人間は殆ど居ないようで、クラスに知っている顔は居なかった。

 おかげで危うく教室で孤立するところだったが……そんな俺に話しかけてくる奴がいた。


「よ、おはよう。高宮」


「……小森か。おはよう」


 小森洋平こもりようへい。偶然席が隣になったのがきっかけで話すようになった奴だ。

 なんでも、小森も俺と同じで、高等部からこの学校に入学したらしい。それで、俺を話し相手に定めたという訳だった。


「なんか眠そうだね。何かあったのかい?」


「いや、別に……本当は通学中の電車の中でひと眠りするつもりだったんだけど、ちょっと考え事をしてたら着いちゃってな」


「ふーん、考え事か……悩みなんて無さそうに見えるけどね」


「……どういう意味だよ、そりゃ」


「そのままの意味さ。高宮、考えるよりも先に体が動くタイプだろ?」


「……」


 まあ……間違っちゃいないが……。


「そう言うお前は、悩みがあるのかよ?」


「悩みか……別に大したものはないけど、強いて言えば『高等組』の僕らが、この学校で上手くやっていけるか……少し不安ではあるね」


「高等組……?」


「知らないのかい? この学校には初等部、中等部、高等部の3つがあって、どこで入学したかによってスクールカーストが決まるんだ。で、僕らは高等組。要するに1番肩身が狭い奴らって訳」


「なるほどな……」


 まあ、俺らみたいな高等部からの入学者は全体で見ても少数派らしいし、そうなるのも頷ける。

 となると、陵華は初等組ってことになる訳か……。


「ところで小森。お前、何でそんなに詳しいんだ?」


 すると小森は、誇らしげに胸を張った。


「情報収集は、有利に生きていくための基本だからね」


「へえ……」


 基本ねえ……。

 いや、まてよ……?

 それなら、陵華のこと、小森に聞いたら何かわかるんじゃないか?

 俺は小森にダメ元で尋ねた。


「なあ、小森……お前、朱水院陵華っていう女子のこと知らないか?」


「朱水院……?」


「あ、いや……知らなかったら別に――」


「――知ってるよ」


「へ……?」


 今、なんて……?

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