#9『怒り』
「――ついにやっちまったな……俺たち……」
陵華を車の後部座席に寝かせた男は、この犯行を計画したもう1人の男にそう言った。
もう1人の男は、眠る陵華の姿を見ながら、震えた声で答えた。
「ああ……この嬢ちゃんは、朱水院陵華……朱水院財閥のご令嬢だ」
「この娘を人質に、身代金を要求すれば……」
「俺たちは、たちまち大金持ちって寸法だ」
おまけに、現在の朱水院家当主は、かなりの子煩悩であるという調べはついていた。つまり子供を使って脅せば、ほぼ確実にそれに従うだろう。
男たちの中で、失敗の二文字は、既に消え失せていた。
ただ、ひとつ……不安材料があるとすれば……。
「このガキ……一体どうするんだ?」
ターゲットである朱水院陵華と一緒にいた子供……。
彼らはその子供も、陵華と一緒に後部座席に横たわらせていた。
「同じ場所にいたから、一緒に連れてきたはいいけどよ……」
「フン……このガキだけ逃せば俺たちの計画の邪魔になりかねなかったからな……。だが結局、攫うのが2匹になろうと俺たちのやることは何も変わらんさ」
「そうか、ならいいけどよ……」
「それじゃ、さっさとここからズラかるぞ」
「お、おう……」
男たちは車の運転席と助手席に乗り、車を発進させた。
その後ろに、2人の子供を乗せたまま――。
◇◇◇
「ん……んうぅ……」
私は徐々に覚醒する頭の中で、ぼんやりと思考を巡らせていた。
なんだ……?
一体、何があった……?
確か……見知らぬ男に睡眠薬のようなものを嗅がされて……。
うす暗さに慣れて見えてきた視界の中で、ここがどこなのかを探る。
特に見覚えのある場所ではない。
打ちっぱなしのコンクリートに、積み上げられた段ボール。他には何もない。残りは、埃っぽい空気が充満しているのみだ。
どこかの倉庫か何かだろうか……?
「うぅ……」
隣で唸る声がして、私はそちらを見た。すると私のすぐそばに、悠介が横たわっていた。
悠介は両手を後ろで縛られて身動きを封じられていた。私はまさかと思い、自分の手を動かそうとしてみるも、背中にピッタリとくっついた状態で動かせなかった。
「……なるほど」
私は今の状況で、全てを理解した。
つまり私たちは……誘拐されたのだ。
犯人の目的は不明だが……普通に考えるならば身代金目的が妥当だろう。となると……ターゲットは私か。
そうか……。
これが……恵まれた環境に生まれたことへの代償か。
少しでも思考を巡らせば、分かることだったのかもしれない。
裕福な家の子供が勝手に出歩いていれば、それを良からぬことに利用しようとする者たちが出てくることくらい。
しかし、私はその可能性を完全に度外視していた。
これが私の落ち度であることは、言い逃れのしようがない事実だった。
「……陵華……?」
私の名前を呼ぶ声がした。
どうやら、悠介が目を覚ましたようだった。
「ここ、どこだよ……? しかも手、縛られてるっ……な、なんで……!?」
悠介は突然の事態に、ひどく混乱しているようだった。
だが、それは仕方のないことだった。
訳も分からず手を縛られれば、誰だってそうなる。ましてや、それがまだ小学生の子供であれば、尚更だ。
「落ち着いて、悠介」
「陵華! でもっ!」
「私がついてるから」
「……うん……」
私の声という聞き馴染みのある声が聞こえてきたお陰か、悠介はすぐに落ち着きを取り戻していた。
よし……いい子だ。
やはり悠介は私が見込んだ通り、見どころのある少年だった。
しかし、依然として手や足は恐怖で小刻みに震えている。今まで経験したことのない恐怖が、彼を襲っているのだろう。
私は、ポツリと呟いた。
「……ごめん、私のせいだ」
「え……?」
「私なんかと一緒にいたせいで、悠介も巻き込まれた」
この状況は……どう考えても私を狙っての犯行だ。
つまり、悠介は……私なんかと一緒にいなければ、こんな目に遭うことはなかったのだ。
それが、私には申し訳なかった。
「……」
悠介は、私が言い終わったあともずっと黙りこくっていた。
それが単に恐怖によるものなのか、それとも私へのある種の非難のようなものを孕んでいたのか、それは分からなかった。
だが、少なくとも……その沈黙が、私の罪悪感を増幅させていたのは確かだった。
そして同時に――私には、ある感情が沸々と湧き上がっていた。
それは……怒りだった。
私は、ただ平穏な生活を求めていただけなのに。
そのたったひとつの願いを、こうも簡単に破壊するのか――。
――ガチャリと。
ドアノブを回す音が聞こえた。
そしてその音が聞こえたドアが開き、そこから2人の男が出てくる。
こいつらが、犯人か。
私から、平穏を奪った……。
私は、この2人を絶対に許さない。
私から平穏を奪ったことを、その身で後悔させてやる――。
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