第4話:近惚れの早飽き

 妃選びの親睦会の舞踏会は華やかに幕を上げた。

 婚約者候補の令嬢が招待され、王子ジルリアは今宵全員と踊ることになっていた。


 母である前王太子妃フィリパが背の高い女性を伴って広間へ入場してきた。フィリパは慎ましやかな青みがかった鳩色の薄物のローブを羽織った淡い鈍色のドレス、結い上げた髪にはサファイアのティアラが輝いていた。背の高い女性はやや淡い夕焼けの空のようなオレンジとピンクの間の色のすっきりした型のドレスを纏い、髪にはクラウン部分(後頭部の上の方)から紗の短いヴェールが後ろに流れるヘッドドレスを着けていた。扇で顔を隠していたが、そこから覗く渦巻く赤い髪に、ジルリアの首筋がチリチリとする。


 母と長身の女性が王太子ジルリアに近づいて来た。

 母フィリパはジルリアに

「前国王の遠縁のティアはご存じでしょう?仲がよろしかったもの」

 と傍に居る者達に聞こえるように紹介した。

 ヘッドドレスの女性は右手で扇を持ち顔を隠しながら、左手でドレスを摘まみ優雅に淑女の礼カーテシーをした。そして扇をずらした。


 そこには猫のような緑の瞳が鋭い光を放ち、次いで美しい顔が露わになった。次の瞬間可愛らしい唇から、べえっとばかりに舌を出して見せた。

「おっ…」

 大伯母上といいかけて言葉は止まった。


「最初のダンスはティアと踊りなさい」

 フィリパは命じた。

 デーティアはジルリアに優雅に微笑みかけて右手を差し出した。


 ふたりは音楽に乗って広間を滑るように移動し回転した。その優雅さに周囲からため息がもれる。


「顔は動かさずにご覧」

 優しい微笑の中で、デーティアが目で方向を指し示した。

「あれがあんたが言った"天使の如く無邪気な令嬢"の顔かい?」

 デーティアが指示した視線の先にはカンダリア伯爵令嬢アニータがいた。天使のようなあどけない笑顔がゆらっと揺れ、嫉妬で醜く歪んだ顔が現れ、またゆらりと戻る。

「あっちには」

 また目線で示す。

「あんたが"慈愛の化身"と言ったフェリシアだよ」

 フェリシアは扇で顔の下半分を隠していたが、柔らかな笑顔だった。しかしまたゆらりと像が揺れると、そこにはデーティアを睨みつけている鋭い燃える瞳ががあった。

「そしてあそこ」

 デーティアの視線の先には少し引っ込んだアルコーブがあり、椅子に座ったソムラニア侯爵令嬢ジャンヌがいた。ジャンヌは優しく微笑んで隣の老婦人の話に耳を傾けていた。像がゆらりと揺れるが、表情も態度も変わらない。


「大伯母上、これはどんな魔法ですか?」

 デーティアは唇だけでにっこり微笑んだ。

「真の姿が見える魔法をかけたんだよ。時々見えるっていう気まぐれなやつをね」

「大伯母上、意地悪をなさらないでください。真実の姿ならちゃんと見せてください」

「お断りだね」

 デーティアは美しい微笑のまま言い放った。

「あんたはたった1ヶ月だけど、あたしが育てた可愛い息子みたいなもんだからね。時々見られるようにしてやったんだ。それに…」


 少し間をおいて続ける。

「政治は男の仕事なんだろ?王家の婚姻は政治だっていったじゃないか。自分の実力でなんとかするんだね」

 うっかり言ってしまった言葉の上げ足をとられて、ジルリアは言葉につまった。


「謝罪します。取り消しますから」

「こぼれたミルクは元にもどらないよ」

 ジルリアの謝罪にデーティアは歌い、礼をした。曲が終わったのだ。


「さ、あんたに女は選り取り見取り。好きな女をダンスに誘いな」

 デーティアは歌うように言って、滑るような優雅な足取りでフィリパの元へ去って行った。


 その後ジルリアは、妃候補の令嬢全員と踊ったが、時々揺らめいて垣間見える像にうんざりする目にあった。


 結局、裏表のない、ジルリアだけに真心を捧げている令嬢はジャンヌしかいなかったのだ。


 しかもデーティアの行く先々で小さな騒動が起こった。

 ジャンヌとデーティアが扇の影で何やら楽しそうに話している所へ、アニータが近づいて行った。


 アニータは家格が下なのにも関わらず、何やらやらかしたらしい。

 デーティアが厳しく窘めているのが聞こえた。


「アニータ嬢、あなたは伯爵令嬢です。ジャンヌ嬢がソムラニア侯爵令嬢であることをお忘れですか?」

 そういえばこのような「家格がどうこう」と言った騒ぎが、何度かあった気がする。

「このような正式な場では、家格が上の者から話しかけるまで待つのが礼儀でしょう」

 デーティアが正しい。ジルリアは今更ながらに悔いた。今までこのような場合、自分は「まあ堅苦しいことはいいではないか」とアニータの肩を持っていた。

 なぜかアニータが可哀想な気がしてならなかったし、家格が身分がと言う周囲の者が煩わしかったのだ。


 デーティア達の方を見ると、アニータが手に持ったグラスを落とした。グラスの中身はドレスを濡らし、床に落ちたグラスはガシャンと音を立てて割れた。

「まあ、アニータ嬢はグラスさえも重いほど虚弱でいらっしゃるのですね。そんな虚弱な方ではとても王太子妃は務まりませんわ」

 デーティアはジャンヌの腕を引いて踵を返した。

 顔を半分向き直り言い捨てた。

「婚約者候補から外すよう進言しておきますわね」

 そして離れていく。


 アニータは例によって泣いていたが、ジルリが観ていると像がゆらりと揺れ、そこには憎悪に歪み燃えるような眼をした顔が見えた。


 ぼんやりと見ていたジルリアは、そこで強烈な視線を感じた。アニータだ。

 アニータはいつもの悲し気な顔でジルリアを見ていた。ジルリアが来てくれることを待っている顔だ。

 しかし、像がゆらりと揺れ、憎々し気な笑いを浮かべた顔に変わった。


 いつもならば庇いに行ったところだが、今はそんな気になれない。

 おそらく今までも、こういった騒ぎは自作自演だったのだろう。


 縋るような視線を感じるが、ジルリアは気づかないふりをした。


 ジルリアの心は冷え冷えとした。


 デーティアを目で追うと、今度はフェリシアが近づいて行くのが見えた。両手にグラスを持ち、2人になにやら話しかけながら。

 いつもならば、優しいフェリシアが気をきかせて飲み物を持って行くのだろうと思っただろう。

 また像が揺らめく。

 フェリシアの顔は意地悪く歪んでいる。


 フェリシアがデーティアとジャンヌにグラスを渡す寸前に転びかけた。グラスの中身を弧を描き、デーティアとジャンヌにかかった、と思った。

 ところが2人はグラスの中身がかからない場所に居て、フェリシアは自分がこぼしたもの、赤ワインだろうか、その上に倒れこんでいた。


 ジルリアの目に、ゆらりと憎しみの燃える目が映る。


 ああ。

 ジルリアは後悔した。


 今まで自分が見てきたと思っていたものはなんだったのだろう。


 ******


「まったく、おかしかったよ」

 面白くもなさ気にデーティアは言った。

 パーティー翌日の朝食の間だ。


「あのアニータって娘っこ、ジャンヌが特に頼んでいたモルド・ワインと知って、ジャンヌが手に取ろうとしたところを横から手を出してひったくったんだよ?行儀の悪い」

 高位の令嬢が手を伸ばしたものをひったくったと言う。

「しかもそれを手がすべった振りで、中身をかけようとしたのさ。自分にかジャンヌにか、はたまたあたしにかはわからないけどね。咄嗟に動きを封じたよ」

 デーティアは笑った。


「フェリシアもわざとらしかったね。すぐに目的はわかったよ」

 デーティアはジルリアを横目で見た。


「ねえ、王子様?なぜ"慈愛の化身"と"天使の如く無邪気な令嬢"を助けに来なかったの?」

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