第5話:縁の目には霧が降る

「ねえ、王子様?なぜ"慈愛の化身"と"天使の如く無邪気な令嬢"を助けに来なかったの?」

 デーティアがこの上もない優しい笑顔で問う。

「可哀想に、意地悪婆の嫌がらせに泣いていたのにさ」


 ジルリアはがっくりうなだれた。

 自分は今まで女性たちの掌で躍っていたのだ。

 どれだけの人が自分を見て笑っていたのだろう。


「だいたいねえ、政治は男の仕事とか言っていたけど、女には女の政治があるんだよ」

 デーティアは足を投げ出して、ぞんざいな姿勢で言い募る。表情も言葉も刺々しくなった。


「フィリパやジャンヌがやっている慈善事業。あれの報告書はどうせ読んでいないんだろう?」

 デーティアの指摘にジルリアはたじたじとなる。

「あれは母上の道楽と、ジャンヌの家の予算で…」


「ばか!!」

 デーティアの叱責が飛ぶ。叱責と言うより罵りだ。


「フィリパの道楽?予算がフィリパの手当から出ているからかい?国の公式事業でないからかい?」

 起き上がってジルリアに迫る。


 ジルリアは長身だがデーティアの背も高い。

 普通の令嬢ならばジルリアの肩ほどに届くくらいだが、デーティアはジルリアと楽に視線を合わせることができる。


 パンと音を立ててデーティアの両手がジルリアの顔を挟む。力を込めて頬をむにむにとしてくる。

 小さな頃に他人に危害を加えるような悪戯がみつかったり、してはいけない危険なことをみつかったりした時によくやられた。


「あのねえ、ジルリア」

 デーティアがため息をつく。

「フィリパの慈善事業は回り回って国のためになっているんだよ。ジャンヌの方も同じくね」

 デーティアが呆れかえっているのがジルリアには恐ろしかった。

 怒ってぎゃんぎゃんと罵ってしまえば、あとはコロっと優しい大伯母上になるが、この人が穏やかに淡々と諭す時は、自分が相当に悪いことをした時だ。


「少しでも慈善事業の書類に目を通しておけば、"慈愛の化身"の大嘘に気づいただろうに。そもそも国王の執務の一旦として、その報告書が上がってきたこと自体、国の政治と関係するって気づかないばか王子ってのが問題だよ」

 とうとう静かな表情と口調で「ばか王子」と言われてしまった。感情が見えないのが恐ろしい。


「あんたも小さな頃に、フィリパの手伝いをしただろう?あの時の事を忘れたのかい?」


 確かにジルリアは12歳くらいまで母親の慈善事業について行った。

 こざっぱりとしているが簡素な衣服、町の商人達の普段着を着て、孤児院や貧民院や病院を回った。

 滅多に行けない王都の町々に来た楽しさに浮かれていると、母に叱責された。


 あの時、母はなんと言っていたかをまざまざと思い出す。


 ******


 あなたはこの国の王太子で将来国王の座に就くのです。

 なぜ母がここに連れて来たかわかりますか?


 ジルリアはわからなかった。

 フィリパは言った。


 国王は民の苦しみを知らなくてはなりません。

 国とは民です。民あってこその国家です。

 民によってわたくしたちは毎日衣食住に困らない生活を送れるのです。

 民がいなければ、わたくし達は1日も生きられません。

 孤児達が大人になれば、貧しさにあえぐ人々が立ち直れば、病や怪我に苦しむ人々が癒されれば、民として立派に立ち働いてくださるのです。

 わくしたち王族や貴族は、ただ地位に甘んじて徒食してはなりません。

 常にわたくしたちの国を支える民の存在を忘れてはなりません。

 わたくし達に課されたものは、国を動かし民を守る政治です。

 いいですか。政治とは民を第一に考えて行うものなのです。


 ******


 ジルリアは忘れていた自分が恥ずかしかった。


「思い出したかい?」

 再びデーティアはジルリアの両頬をパンと音を立てて叩いた。


「まったく25にもなって親に反抗して」

 事実なので何も言い返せない。

 ジルリアはジャンヌに好意を抱いていたが、自由にも憧れていた。

 母フィリパによく似たジャンヌを娶れば、なんと言われるかが恥ずかしくて選べなかった。


 そこでジルリアはふと思った。


 "ジャンヌを娶ればなんと言われるか恥ずかしい"?


 これは誰に対しての恥ずかしさだろう?


 ああ、思い出した。

 アニータが言ったのだ。

「"ご母后殿下と同じ方"をお求めですか?私には"ジャンヌ様のよう"に立派なことはできませんわ」

 そう言って泣いたのだが、言葉の中に「まだ母親離れできないなんて」という嘲笑が含まれていなかったか?


 フェリシアに言われた。

「"ご母后殿下に倣って"おりますの。殿下に見合うように。"ジャンヌ様にはかないません"が」

 まるでジルリアが母親と同じだと言う理由で、ジャンヌと結婚したいかのような言い回しではなかったか?


 なんてことだ。

 ジルリアは愕然とした。


 デーティアが笑った。


「あんた、男がどうこうって偉ぶっていたくせに、やっぱり女の掌で転がされていたね」

 デーティアの言う通りだ。


 あの2人は言葉の端々に毒を仕込んで、優しい風でジルリアを操っていたのだ。

 自分はといんでもない愚か者だ。


 ジルリアはがっくりと肩を落とした。


「せめもう1回、ジャンヌと話をするんだね。それでも嫌なら仕方ないさ」

「嫌じゃない!!」

 デーティアの言葉に、ジルリアは思わず本音を大声で言ってしまった。


「めでたいこったね。じゃあさっさと求婚しておいで」

 しっしとデーティアが手を振る。


「大伯母上!そんな容易なことではないのです!!」

 つい言ってしまったジルリアに、デーティアはきょとんとした顔をする。


「なんでだい?結婚してくれ。これで済むんだろう?」

 さらっと言うデーティアにフィリパは苦笑いする。

「伯母上、これは繊細な問題なのですから」

 デーティアはフンと鼻をならした。

「だからあたしには色恋なんかわからないって言っただろ」

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