第56話

「うわっ!」

ガバッと伊月は飛び起きた。窓の外ではまだ煌々と月が輝いている。真夜中だった。

「はー…」

最近ずっと、同じ夢を見る。夢の中でぽつりと伊月は突っ立っていて、人に囲まれていた。いつも同じ言葉を繰り返している。みんな、伊月のことを責め立てるように口々に言う。

『お前のせいで』

『お前がいたから』

『お前さえいなければ』

『お前が』

『お前が』

『お前が』

だけど、誰の顔も見ることはできない。


「顔色が悪いようだが、大丈夫か?」

刑事に心配されるくらいにはひどい顔色らしい。

「あ、大丈夫です。最近ちょっと夢見が悪いだけなので」

「そうか」

それからまた、おなじみの質問を繰り返す。

「まだ何も思い出せないか?」

「みたいですね」

伊月は肩をすくめる。

「そうか。じゃあ、また」

まだ来るのかと顔には出さず、ため息を何とか飲み込んだ。さすがに同じことを聞かれすぎてイライラしてくる。

「睡眠薬を処方しますか?」

刑事と入れ違うようにして医者が入ってくる。

「いえ、大丈夫です」

医者も伊月の寝不足を心配しているらしい。

「あの、それより聞きたいことがあるんですけど」

「どうしました?」

「神崎凛さんの、その…遺体って…?」

ずっとベッドで横になっているのも良くないから適度に運動した方がいいと、医者から言われていたので、少しの運動も兼ねて病院内を歩いてみようと思ったのもある。

「あぁ、神崎凛さんは、霊安室にいますよ」


伊月は1人、医者から聞いた霊安室を目指し、廊下を歩いていた。久しぶりに体を動かすので、割とすぐに疲れそうだな、と思った。そして何故かこんなに人がいるのも久しぶりだ、とも思った。

「何でだろうな…」

自分は何を忘れているのだろう。思い出した方がいいものなのだろうか。そんなことを考えながら歩いていると、霊安室と書かれた部屋を見つけた。

「ここ、だよな…?」

そっと、霊安室に入る。心なしか、廊下よりも少し寒い気がした。部屋の中には台が1つ。凛という少女が横たわっている。そばまで行って、顔に掛けられている布を外した。凛の顔を見た瞬間に、伊月は頭を抱えて座り込む。


凛。神崎凛。浩、梓、結奈、透、海斗、佳奈。部屋の主の奴ら。ゲーム。銃。真っ白な部屋、真っ赤な血。のっぺらぼうの奴、狐面の男。


様々な記憶が一気に流れ込んできて、伊月は何度も大きく息を吸う。刑事から返された砂時計。確かにあれは、伊月が持っていたものだ。でもスマホは?あれは凛が持っていたはず。いやそんなことは今はどうでもいい。

「凛」

もう1度立ち上がって、凛の顔を見る。凛は目を閉じている。2度と開くことはない。目も、口も。手を握った。頬に触れた。当然、冷たくて。急に視界がぼやけ、凛の頬にぽたりと落ちる。今、俺は泣いているのか。初めて泣いてるんだ。伊月はしゃがみ込んで悲しげに笑った。

『あなたが殺したのよ』

後ろから声が聞こえた。よく知っている声。ゆっくり振り返ると、凛が立っていた。

『私を。みんなを』

凛は微笑んでいる、とても穏やかに。穏やかに伊月のことを責める。どうして、と聞こえた。後に続くのは、助けてくれなかったの、だろうか。

「あぁ、そっか」

台に背中を預け、呟く。やっと理解した。夢の中の人たちの、目の前にいる凛からの、言葉の意味。最期の瞬間まで笑ってみせた凛はきっと、こんなこと言わない。だから、これは。目の前の凛は。みんながみんな、同じ言葉を繰り返すのは。

「…こんな俺にも、罪悪感なんてものがあったのか」

全部、伊月が作り出した幻。想像の産物。目の前の凛は、偽物だ。もうこの世にいないんだ。



…だから何だ?



偽物でいいだろう。それでも伊月にとって凛は凛だ。何も変わらない。伊月は笑う。悲しげに、ではなく、心の底からの笑みを。

「あぁ、ここにいるじゃないか」

自分の思い込みであると、ただの幻と気付いた上で伊月はそれにすがる。“普通”でいるために。凛が望んで、願ったことを忘れないために。

「もう、行こうか。ここに用はなくなった」

端から見れば、間違いなく頭のおかしな奴だ。だって大号泣しているくせに笑ってる。満面の笑みで、だ。そして何もない虚空に向かって話しかけているんだから。

『あなたが殺した』

凛はずっと同じ言葉を繰り返しているだけで、返事もしてくれない。けど霊安室を出てからも、一定の距離を空けてついてきた。それだけでも十分だ。あぁ、俺は大丈夫だよ。大丈夫。もう普通に生活できる。廊下である家族とすれ違った。両親と娘が1人。母親とおぼしき人は泣き腫らした目をしているし、娘の方は心ここに在らず、といった感じか。父親は目の下にひどいくまが。とはいえ、伊月も人のことを言えるような顔ではない。寝不足のせいで当然くまはひどいし、ついさっきまで泣きじゃくっていたから目は赤いし、何よりろくに食事も取れておらず、丸3日は寝ていたのでかなり痩せ細っている。

『………』

ずっと同じ言葉を繰り返していた凛が、その家族を見てピタリと黙った。伊月は振り返りそうになるのをぐっと我慢してそのまま進む。角を曲がったところで、無意識に詰めていた息をそっと吐いた。誰か亡くなったのだろうか?

「ね、凛。誰だと思う?」

聞いてみるけど、凛はまた言葉を繰り返し始めていた。伊月は肩をすくめてまた歩き出した。

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