第57話
「ね、ねぇ君!」
誰かが慌てたように言っているが、どうかしたんだろうか。
「えっと、高村伊月君!」
「…え?」
思わず立ち止まってしまった後に、後悔した。知らないフリをして歩き続けていれば良かった。
「あ、やっぱり君が」
振り返ると、さっきすれ違った家族がいた。
「どちら様ですか?」
「そうだね。私たちは神崎凛の家族です、って言ったら分かるかな?」
「……」
伊月は黙った。その様子を見て、凛の父親は続ける。
「凛から、君のことを聞いたんだ」
知ってる。だってその電話をかけたのは伊月だから。内容は聞かなかったけど。
「それでね、すれ違った時に君が伊月という人なんじゃないかと思ったんだ」
「どうして」
「何となく、かな。お礼をしたくて。君は凛を助けてくれたと。だからこうして電話もできたんだって」
伊月は黙って聞いていた。だけど今さら、そんなことを知ったって。
「ありがとうも、もう言えないのに」
伊月だって、凛に助けられた。凛の優しさにたくさん。
「どうして」
黙って聞いていた凛の母親が、伊月の両腕を掴んで聞いてきた。
「どうして、助けてくれたのなら最後まで救ってくれなかったの?」
その言葉が、伊月の胸に刺さる。
「どうして?どうしてあなたは生きてるの?凛は死んじゃったのに。何で?ねぇ、どうして?」
思わず手を握りしめる。
「何で凛は死んじゃったの?悪いことなんて何もしてないのに。凛は、あの子は優しい子だったのに」
伊月にすがりつくように、凛の母親は崩れ落ちて泣き出した。
「お母さん」
凛の妹が口を開く。
「その人を責めないでよ。その人がいたから、お姉ちゃんと最後に話すことができたんだよ。その人だって苦しんでるよ」
妹が、伊月のあちこちに巻かれている包帯を見ていた。父親が、母親の肩を抱いて立ち上がらせる。
「ほら、もう行こう?凛に会いに行こう」
母親は頷く。
「ありがとうございました」
父親と妹に、深々と頭を下げられる。そんな筋合いはないのに。結局は助けられなかったのだから、むしろ責められて当然なのに。そしてそれは、思っていたよりも辛くはなかった。
「…こんなものか」
冷え切ってんなぁ、と思った。全部思い出した。それだけだ。特に何か変わったようには感じない。
「病室戻るか」
呟いて、伊月は歩き出した。
刑事である
「どうだろうな」
と呟いた。ここ最近で頻繁に起こるようになった、行方不明者が突然急増している事件。しかし何人かの行方不明者は後日発見される。そして揃いも揃って同じことを証言するのだ。どこで何をしていたのか、という質問に対して、
『ゲームをしていた』
と答える。体には鋭利な刃物による刺し傷や切り傷、伊月という少年にもあった銃による傷。間違いなく何らかの事件に巻き込まれたと見られる。しかし、証言をした者からさらに詳しい事情を聞くことは困難だった。ほとんどの人が精神に異常をきたすからである。殺される、とうわ言のように何度も呟く者や、ずっとにこやかに笑っているだけの者、言葉を話せなくなった者もいる。伊月という少年は、その事件に巻き込まれたと見てまず間違いない。しかし、事件の記憶を取り戻したとして話を聞けるだろうか?医者によれば、ふとしたことで記憶が戻ることもあるそうなので、できるだけ早く取り戻してほしい。事件の情報が少なすぎて捜査が全く進展していないのだから。
「あまり急かさないでください。記憶を失うほど、精神的ショックが大きかったのでしょうから」
そう言われたのだが、こうして待っている間にも事件は起きているかもしれない。
「あれ?」
もう1度話を聞こうと、伊月という少年の病室のドアを開けるが、当の本人が見当たらなかった。
「伊月くんなら、凛さんの遺体に会いに行きましたよ」
「そうですか」
それなら待つか、と椅子に座る。
「先生は、伊月君のことをどう見ますか?」
「どう、とは?」
「記憶がないことによる影響、とかですかね」
「そうですね…。夢で誰かに責められている、という話は聞きました。何らかのストレスが夢に現れているのでしょう。ある程度落ち着いてきたら、カウンセリングを薦めようと思っています」
誰かに責められている?あぁ、夢見が悪いと言っていたことか。確かに、思わず心配になるくらいにはかなり顔色が悪かった。
「あれ、刑事さん」
伊月が病室に入ってくる。
「凛さんには会えましたか?」
「はい」
すたすたと歩いてくる伊月を見て、泰人は心の中で首を傾げた。何も変わっていない、そのはずなのにどこか違う。雰囲気が変わった?
「今日も話を聞きたいんだが、いいかな?」
「はい。あ、思い出しましたよ」
「そ、それは本当か⁉︎」
「本当ですよ。ついさっき」
泰人の勢いに、伊月が若干引いているのが分かるが、泰人は気にもしなかった。これで、事件が解決に近づくかもしれない。
「どこにいたのかは?」
「それは分かんないですね」
「なぜ?」
「あの場所には窓がなかったから」
今のところ、精神に異常をきたしている感じはない。
「そうか。それじゃあ、何をしていたかは?」
「…」
伊月が俯いた。
「言いたくなかったら無理にいう必要はないからな」
そう言うが、伊月は窓の方を見た。いや、窓なんて見ていない…?どこか虚空を見ている。それから微笑んだ。伊月という少年に会って初めて見る笑み。それからまた泰人の方へと向き直って口を開いた。
「ゲームです」
泰人は思わず唾を飲み込んだ。
「内容は?」
「言えません」
言えない?言いたくない、ではなく。
「君の他にも人はいた?」
「いましたよ。最初は…あー、そうですね、大体100人くらいだったかな?数えてないから分かんないですけど」
100人だと?そんなにいたのか?年間の行方不明者がもともと多いとはいえ、そんなにたくさんの人間を誘拐した奴らがいるのか。しかも未だにその犯人の手がかりは何ひとつ掴めていない。
「生き残ったのは君1人なのか?」
「…そう、ですね。結果的には俺1人になりました」
伊月の表情が暗くなる。
「他の人たちがどこへ行ったのかは?」
「知りません」
「犯人について何か覚えていることは?」
「んー、犯人なのかは分かんないですけど、お面つけてましたよ」
淡々と答える伊月を見て、泰人はやはり違和感を感じていた。記憶を取り戻す前には、記憶がない不安や恐怖といったものが表情に出ていたのだが、今はそういった感情が全くと言っていいほど感じられない。およそ感情というものが読み取れないのだ。さっき、思わず微笑んでいたがなぜ微笑んだのかも分からない。伊月には、何が見えていたのだろう。そしてそのゲームというものは、一体何をこの少年にさせたのだろうか?
「もういいですか?」
「あ、あぁ。ありがとう」
「いえ」
ちょうどその時、泰人の後輩の刑事が病室に入ってきた。
「伊月君の母親と連絡が取れて、今、この病院に向かっているそうです」
「そうか」
伊月はそれを聞いて、喜ぶこともなく他人事のようにぼんやりとしていた。うれしくないのだろうか?
「もうすぐ、君の母親が来るそうだよ」
「そうですか」
冷めた反応。母親に会えるというのに、安堵する様子もない。やはり、どこかおかしい。が、気がするというだけなので泰人は黙っていた。
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