第29話

突然呼ばれ、伊月は凛の方を向いた。

「何?」

凛は、ずいぶんと不安そうな顔をしている。まるで、言っていいのか迷っているように。

「あの…」

「……」

沈黙が続いた。

「…待つとは言ったけど、ずっとは無理だぞ」

「分かってる。ちょっと待って」

ふー、と凛は息を吐いて、パン、と両手で顔を叩く。

「あの女から言われたこと、言う」

結構気になっていたことなのでちょっとうれしいけど、そのことを顔には出さずに聞く。

「言われたことは1つだけ。もしかしたら、伊月が敵にまわるかもね、って」

何言ってんだ、というのが顔に出てたらしく、凛が付け足す。

「詳しいことは私にも分からないんだけど、たぶん伊月があの女とか、その前の部屋の人とかの仲間になるってことじゃないかな」

「そもそもなれるのか?」

「どうなんだろう。でも、ありえない話でもないなって思って」

「それであんなにショック受けてたのか」

「え、そんなに分かりやすかった?」

それはもう。急にしゃべらなくなるし、態度に出まくっていた。

「そ、そうなんだ…」

「ちょっと聞いてみる?」

「誰に?」

「そりゃもちろん、決まってるさ。ヒントくれるのなんて1人だけしかいないだろ」

凛がなるほど、とスマホを取り出した。

「みんな寝てるし、いいよね?」

「大丈夫だろ」

プルルル、と音がして数秒。のっぺらぼうの奴はすぐに出た。

『もしもし?』

「ちょっと聞きたいことがあるの」

『…今、何時かご存知ですか?』

「えぇ、知ってるわ。」

『もう少し常識というものをですね…』

「こっちは命がかかってるの。ヒントくらいくれたっていいでしょ」

命に関わる質問をするわけではないと思うのだが。

『それは失礼しました。それで、何をお聞きになりたいのですか?』

「部屋の主側のルールを教えてほしい。あ、あと私たち側から部屋の主側へ行くことってできるかどうかも」

なるほど、と電話の向こうで相手が笑うのが聞こえた。

『2つ目の質問ならすぐに答えられますよ。答えはYES、です。部屋の主に勧誘される、もしくは自分から伝えればですが。そして、部屋の主に承認されなければなりませんけど』

「1つ目の質問は?」

『それは残念ながらお伝えすることはできません』

「そう。ならいいわ。夜遅くにごめんなさいね」

全く悪びれることもなく凛が言ってのけた。

『次からはできればもう少し早い時間にお願いしますよ。では』

電話が切れる。

「承認されれば、ねぇ。伊月は勧誘されてたんだよね…」

「まぁ確かに。でも安心してくれ。向こう側に行くつもりは一切ないから」

そう言うと、凛は安心したように少しだけ笑った。

「もう1つ、これはただの雑談になるんだけど、普通に話したい」

「何を?」

「伊月は、家に帰りたい?」

「…うん、まぁそりゃ…」

帰りたいさ。“普通”の生活に。家族の待ってる家に。

「だよね。私も帰りたい。お母さんに、妹に会いたい」

凛が膝を抱えて言う。表情は当然だけど暗くて。残念ながら、そんな凛を元気づけられるような言葉を伊月は持ち合わせていないので、会話を続けることにした。

「妹?」

「うん。3つ下なんだけどね。私と結構似てるんだ。伊月は?兄弟とかいるの?」

伊月は首を振った。

「1人っ子」

「ふふ、そうね。なんか1人っ子っぽい」

「そうか?」

「うん。…不思議だよね。兄弟がいる人は1人っ子の人のことを羨ましがるし、1人っ子の人は、兄弟がいる人を羨ましがるんだから」

「確かに」

そういえば学校でも、互いに羨ましがってるのを聞いたりする。

「でも、私は妹がいる方がいいな」

「なんで?」

「だって、唯一の味方になってくれるでしょ?いくらお母さんでも、自分の子供の気持ちを100%理解するなんてできないじゃん。そういう時って案外、兄弟とかの方が分かってたりするんだよ」

そういうもんなのか。

「俺には分かんないな」

凛が笑う。

「1人っ子だもんね」

「あぁ。それに俺も、兄弟がいる人のことを羨ましいと思ったことないし」

「そっか」

「うん」

凛が伊月の方を見る。

「ここから無事に出れたらさ、もう会えなくなるのかな?」

「どうだろう。でも、無理、というわけでもないんじゃないか?」

「じゃあさ、無事に出られたらまた会わない?」

「…そういうのをフラグって言うんだけど」

くすくすと笑う。

「そうね。出られた時にまた言うわ」

「そうしてくれ」

ふあ、と凛が大きくあくびをした。

「眠い?」

「うん。何でだろう?さっきまでは全然眠くなかったのにな」

「それはきっと疲れてるんだよ。色々あったし」

「うん、そうだね。本当に色々あった。たった1日しか経ってないなんて、不思議な感覚」

「そうだな」

2、3日は経ってるような気がしてる。

「あぁ、本当に眠いや。おやすみ、伊月」

「おやすみ」

次の瞬間には、凛も眠りについていた。伊月以外は、全員が寝ている。しばらくは壁に寄りかかりながらぼーっと座っていたが、お茶を飲む。それから伊月は飲み干したお茶のペットボトルを捨てて、大きなあくびをした。そして小さく微笑む。

「きっと明日は、凛に怒られながら起きるんだろうな」

呟いて、眠りについた。

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