第5話 希望と羽

 一年前。

 俺のクラスメイトの女子生徒が死んだ。

 イジメられての自殺だった。


 俺はその時クラスの委員長だった。

彼女の扱いがクラスでよくないのは知っていた。何度か彼女に大丈夫かと聞いたが、彼女は大丈夫と答えた。俺はそれを鵜呑みにしてしまった。


 結果彼女は自ら命を絶つことになった。俺があの時もっと気にかけていれば、話を聞いてあげていれば彼女を助けられたかもしれない……。


「……くん。松坂くん……!」


「えっ、ああ、ごめん涌井さん、ちょっと考え事。どうかした?」


 もう放課後はこの生物室で涌井さんと過ごすのが日課になっていた。


「そ、その……だから、私とこんなに一緒にいていいのかなって……」


「いいって……そりゃ俺が好きで来てるんだからいいに決まってるじゃん」


「す、好きで!? ……そ、それなら私はいいんだけれど……その、あ、ありがとう……」


 涌井さんは聞こえるか聞こえないかくらいのギリギリの声量で俯きながら礼を言う。

 彼女は前髪も長く、目もあまり合わせてくれないので表情が分かりにくい。それに声もいつも小さく、感情が分かりにくいのが難点だ。


「ところで今は何を見てるの?」


「……ヤゴ。今朝登校するときに田んぼで捕まえた」


「え、自分で取ってきたの? すごいじゃん」


 彼女が見ている水槽を覗き込むと、水の入った水槽の底に茶色い虫がいた。


「ヤゴって確かトンボの幼虫……だよね?」


「そう。幼虫の頃は水中にいて、成虫のトンボになったら空を自由に飛び回る。……羽があるっていいよね」


 涌井さんは簡単にヤゴの解説をしながら違う水槽からメダカのような小魚を数匹網ですくい、ヤゴの入った水槽へ入れる。


「一緒に入れるんだ。寂しくないように?」


「ううん。これは餌。ヤゴは魚やオタマジャクシなんかを食べるの」


「へ、へぇ……そうなんだ……」


「残酷……って思った?」


 そう言った彼女の眼はいつもよりどこか鋭さを感じた。


「んーまぁ確かに少しは……でもそういうもんだろ? 自然界って」


「そう。自然界は弱肉強食。弱い者は強い者にやられるだけ……それが自然の摂理」


 彼女はそう呟くと今度は少し悲しそうな眼をしていた。今日の涌井さんはいつもより感情が豊かな気がした。といっても普通の人に比べると微かだが。


「まぁでも例外もあると思うよ。普段は天敵でも子供が襲われたら戦って追い払うとかあるじゃん? そういう愛するものを守る気持ち的な……」


「愛するものを……守る……気持ち」


「はは……なんかそう言われるとちょっと恥ずかしいな」


「そんな事はないと思いますよ。……でも……」


「でも?」


「…………」


 涌井さんは何かを言いかけて口を閉ざす。そしてカバンを手に取り立ち上がる。


「……もう帰る時間なので帰ります」


 俺はスマホを取り出し時間を見る。時刻は18時ちょうど。涌井さんは俺がここに来てから必ず18時になったら帰っていた。おそらく俺が来る前からもそうなのだろう。


「よかったら、今日は一緒に帰らないか?」


 涌井さんはいつも自分と一緒のところを見られると良くないからと、俺と帰る時間を合わないようしていた。


「……一緒の所見られると困るのは松坂くんなんですよ? もう知ってますよね、私のクラスでの扱い」


 確かにそれはそうかもしれない。

 転校してきてまだ4日目だが、涌井さんだけプリントを配られなかったり、ノートの回収を飛ばされたり陰湿なものが多い。暴力を振られたりとかは見てないが、無視するというのも立派なイジメだ。


「それはわかってる。でもだからこそ俺は……涌井さんを助けたい……!」


「……分かりました。いいですよ……その、一緒に帰っても……」


「ありがとう、涌井さん」


 彼女に俺の熱意が伝わったのかやっと了承を得ることができた。


「あ、あと!……その、名前、呼び捨てで呼んでもらってもいい……ですか?」


「えっ!? ……ユ、ユイって呼ぶって事?」


「あっ! え、えっと、そうじゃなくて苗字を、その呼び捨てで……さん付けで呼ばれるのが嫌で……ごめんなさい、変な要望で」


「だ、だよな〜! わかったよ涌井さ……涌井」


 こうして俺は涌井と帰る事になった。


 だがこの時の俺は知る由もなかった。この日がこれから起きる惨劇のキッカケになるのだという事を……。

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