第28話 ナニカ

 夜の庭園を楽しんだその翌日のこと。


 いつもの部屋で椅子に座りながら、読書で時間を潰すクレアローナがいた。


「……」

 そんな彼女は一ページを捲り、室内ドアを一瞥。

 もう一ページを捲れば、また室内ドアを一瞥。


 ドアが開閉されるその時を待っていた。


「……わたしの従者とあろうものが遅刻ですか。いい気なものですね」

 あまり集中できていない状態で、文字に目を走らせながら、ボソリと。


 今、この場にはいないのだ。

 クレアローナが寝室からこの部屋に足を運ぶ前から必ずいる従者、ルークが。


 さらには寝起きの紅茶も用意されていない。

 窓枠に置いた花々にお水を与えるための花瓶もない。

『仕事の放棄』をされたのは明白なこと。


「……とうとうわたしの奉仕に対してもサボり癖が出てしまいましたか」

 これも独り言。

 今度はドアの奥にまで聞こえるくらい、少し大きめの独り言。


 だが——反応はなにもみられなかった。


『彼のことだからからかっている可能性も……』

 なんて考えもあったクレアローナだが、これで近くにいないことが証明された。

 今のセリフでツッコミを入れないルークではないのだから。


「本当……つまらないことをしてくれますね」

 今まではこの“一人の空間”での生活するのが普通だったクレアローナだが……最近はもう違うのだ。


 デリカシーがない代わりに、なんだかんだ楽しませてくれる人がいる。

 怖がることなく、一人の人間として接してくれる人がいる。

 そちらの生活に慣れてしまった今、この生活がどうしても味気ないものに感じてしまう。

 埋めようのない寂寥せきりょう感が襲ってくる。


「……はあ」

 落胆のため息。

 それから一人静かな時間が何十分と経っただろうか——。


「いやあ、悪い悪い! 本当悪い。ちょっと……寝坊的なやつしちまって」

 ばつが悪い顔を浮かべながら、紅茶、軽食、水入り花瓶を台車に乗せて運んでくるルークがいた。


「わたしに連絡をすることもなく、これだけ待たせるとはいいご身分ですね」

「は、はは。こればかりは言い訳のしようもないな。本当にすまん」

「あなたのこと、ますます嫌いになりました」

「……」

 言いたいことをキッパリ言い終えたクレアローナは、台車に近づきながら言葉を続ける。


「……まあ、過ぎたことをグチグチ言っても仕方がありませんので、もうやめにしますが」

「それは助かる。本当に」

「この程度の注意で済んでいることを感謝してください。本来ならば厳罰ものですよ。今ここでわたしがあなたに暴力を振るったとしても、文句は言えないほどですよ」

「理解してる」

「そうだとよいのですけどね」

 ここで花瓶を手に取ったクレアローナは、自分の仕事——普段よりも遅くなった花の水やりを丁寧に始めていく。


「……」

「……」

 罪悪感があるのだろう、今日だけは普段のルークは見えない。

 珍しく無言の空間。

 花に与えた水が土に吸収されていくその様子を目にしながら、クレアローナは口を開くのだ。



「……それで、どうされたのですか」

「ん?」

「“一体なにがあったのか”と聞いています。今までのあなたを見る限り、ただの寝坊だとは考えられませんよ」

 メモ帳に反省点を記していたり、奉仕に関してのサボり癖を一切出さなかったり、なによりこの環境を変えようとしてくれる努力を見せてくれたり。

 人間は誰しも失敗をするものだが、それでもこんな人物が寝坊をするとは考えられない。


「んなこと言われても本当に寝坊だしなあ」

「別の使用人があなたを起こしにいくということもないのですか。朝の集会がありますよね」

「それは……まあ。なんて言うか、それにすら気づかなかったんだよな」

 まばたきを多くして、どこか落ち着きなく視線を右上に動かしたルーク。

 やはり怪しい反応が見受けられる。


「一つ言いますが、わたしはあなたの主人ですよ」

「ん」

「なにかトラブルがあったのであれば、わたしに相談をするべきでは」

 目を見ながらしっかり言い切る。


 これは心配しているわけではない。

 紅茶が出されないのが不便だから。

 決まった時間にお水がもらえない花々が可哀想だから。

 ただそれだけのこと。


「まあ……どうも。そんなことがあったら、ちゃんとあんたに相談してるけどな。相談しないってかできないのは、完全に非のあることをこっちがしたからで」

「そうですか。であればもう構いません」

 口を割る気がないのなら、これ以上はなにを言っても無駄だろう。

 だが、きっとなにかがあったのだろう。


「……では、いつか聞かせてもらえますか」

「なんのことだか」

「そこまでとぼけるのであれば、寝坊でなかったと判明した際、わたしの言うことをなんでも聞いてもらいますよ。読書をする時間を無駄に消費させられてしまったので」

「ほう? じゃあ本当に寝坊だった時は?」

「無論、疑ってしまった責任を取ってあなたの言うことをなんでも聞いてあげますよ」

「随分な強気で」

「そう自信がありますから」

 余裕のある態度を見せているルークだが、今までの働きぶりが仇となっていることを理解していないようだ。


「……これに関しては、わたしの勘違いであれば嬉しいのですけどね」

 ボソリとした一言はルークの耳にしっかり入っていた。


「俺のこと心配してくれてるのな」

「寝言を言うには早いですよ。あなたのことを心配する理由がありません」

「じゃあなんでも言うことを聞くのを嬉しく思ってるわけか。……案外むっつりだなぁ、あんた」

「っ! この花瓶で殴りますよ。本気で」

「じ、冗談だって」

 そう睨めば、すぐに両手を上げて降参を示す彼だった。




 少しずつ軽口が言えるように直ってきたが、クレアローナは未だ心の引っかかりを覚えていた。

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