第26話 庭園①

 玄関を出て、月明かりに照らされた花々が咲く庭園に着いた矢先のこと。


「すごい……ですね」

「ん?」

「こんなにも外の空気を肌で感じたのは……本当に久しぶりのことですから」

「……そうかい。そりゃよかった」

 なにか思うところがあるのか、月を見上げながら目を潤ませているクレアローナがいた。


「案外スッキリするもんだろ? 空気も澄んでるし」

「そうですね。お部屋の中の空気とは全然違います……。鈴虫の鳴き声もこんなに大きく聞こえるのですね」

「うるさいくらいだろ?」

「……ふふ、そうですね」

 周りが作り出した環境のせいで、10年以上も外に出ていなかったクレアローナなのだ。


「……」

「……」

 当たり前のことが当たり前だと思うことができない。

 そんな環境で過ごしていたことを再認識すれば、もうなんと声をかけていいのかわからない。


 ——ただ、感傷に浸っているクレアローナを見れば、しみじみとした空気を作り続けるよりも、“普段のようなやり取り”を広げながら外の世界を……と、判断したルークである。


「——で、結局見ただろ?」

「なにをですか?」

「俺の手帳」

「見ていませんよ」

「見たヤツにしかさっきのことは言えんだろ。『マイナス1万点』って。今までそんなこと言ってなかったんだから。あんたは」

『白状しろ』と言わんばかりにランタンをクレアローナの横顔に近づければ、意に解さぬ表情を浮かべられる。


「点数式の評価方法はよくあることですよね。状況証拠としては弱いのでは」

「……そりゃそうだけどさ」

 正直、これを言われたら返す言葉がない。


「じゃあ正直に答えなくていいから聞いてくれ。もし見たんなら、内容は誰にも言わないでくれ。恥ずかしいから」

「それだけで……構わないのですか?」

「俺にとってはそれだけのレベルじゃないってこった」

 クレアローナに仕えているだけで、周りから警戒されている現状。

 この家に必要のない者として扱われているような現状。

 仲間として見られない現状。


 皆の共通の敵のようになっているルークだからこそ——手帳を見られた瞬間、さらに状況が悪化するのは間違いない。

 それでも、自分に降り掛かる悪口や嫌味ならなにも問題ではないのだ。


 問題なのは、クレアローナにまで悪影響が及ぶ恐れがあるということ。ただそれだけである。


「あの……怒るような素振りも見せないのですね。あなたの想像通りならば、わたしはそれほどの手帳を勝手に覗き見たことになりますよね」

「落としたのは完全に俺の落ち度だからな。てか、もし俺があんたの立場なら絶対覗いてる」

「そう、ですか。でしたら安心しました」

「お? ようやく自白する気になったか?」

「そうではありません」


 首を横に振り——。


「ただ、怒られるのは苦手なのです。仮に悪いことをした自覚があっても」

「それは皆同じだろうな。そもそも俺はあんたの味方だぞ? よっぽどのことがない限り怒ったりするかって」

 実際に説教ができるような立場にもない。


「念のために聞いておきますが、あなたはどのようなことをわたしにされると怒るのですか」

「そりゃ自分で自分を傷つけた時と、自ら命を絶とうとした時の二つ」

「即答……ですか。それはお父様やお母様から恵んでいただいた体だから、ですか?」

「そんな綺麗ごとを言われてもモヤモヤするよな。頭の中じゃわかってても」

「……」

 家族からこんな環境を作られているのだ。

 クレアローナの立場からすれば、『まずはあなた達がわたしを大事にして』というところだろう。


「まあ、俺も綺麗ごとにはなるんだが、生きてたらいつか必ず幸せなことが起きるんだ。路上暮らしの孤児だった俺がそう言うんだから、それは間違いない」

「あなたに怒られないためには、まずは幸せを感じてから、というわけですね」

「その幸せが50年後に訪れるとすれば、その分ずっと生きとかないとだけどな」

「それはもう断たせる気がないではありませんか」

「悲しい思いをする人間が必ずいるわけだしな。あんたの場合はとりあえずサリア嬢と俺」

「しれっと余計な人物を入れないでもらえますか」

「はあ……。本当、失礼なヤツで」

  

 嬉しそうな顔を浮かべるどころか、辟易へきえきとした顔を向けられる。

 多少なりにお世辞を言ってくれてもいいだろ? と感じてしまうほどである。


「って、今さらだがこんな暗い話はするもんじゃないか。サリア嬢を喜ばせるためにもこうして外に出たわけだしな」

「確かにそうですね」

 サリアに見立てた花をあの部屋に飾る。

 その約束を叶えるために、夜中に抜け出してここにきたわけである。


「あの、新しい植木鉢はどこにありますか」

「そこに用意してる」

「準備がよいですね。プラス3点です」

「……用意してなきゃ愚痴愚痴言われるだろうと思ってな」

「愚痴愚痴言われたところで、あなたは平気でしょう?」

 点数のツッコミはもう入れない。触れたら相手の思う壺だろう。


「それはそうだが……まあなんだ。せっかくの外なんだ。そんなやり取りをするくらいなら、少しでも普通の会話をした方がいいだろ?」

「一理ありますね」

「たったの一理かよ」

 今の言葉を『一理』で済ましてくるのは、将来を通してもクレアローナしかいないだろう。


「で、花はなにを選ぶんだ? 庭師には許可取ってるから好きなの選んでいいぞ」

「ありがとうございます。ではまずはサリアの髪色の……薄紅のお花をわたしが選ぶので、あなたは青のお花をお願いできますか」

「ん? 全部あんた一人で選んだ方が喜ぶと思うぞ?」

「女心がわかっていませんよね、あなたは。モテませんよ」

怖がられてるモテないあんたに言われても」

「……頬、つねりますよ」

「嫌」

 クレアローナのことだ。絶対に手加減しないことはわかっている。

 頬をつねり千切られないように立ち回る。


「では、頬をつねり千切られたくないのであれば、ランタンでわたしの周りを照らしてください」

「はいはい」

 心が読まれたことはすぐ水に流すことにする。

 そうして、クレアローナの隣に立つルークは、付近の花を照らしていく。

 

 二人の距離は肩が触れ合うか、触れ合わないか。

 憎まれ口を叩き合う二人だが、その信頼関係は自然と厚いものになっていた。 

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