第22話 二人きりの空間と

「ああ゛〜。疲れた疲れた」

 別れの時間になり、サリアと共に部屋を出て最後までブルターニュ家を見送った男——ルークは、30分後にクレアローナの自室に戻っていた。

 自身を偽る必要はもうない。

 重苦しい声を上げながら椅子に腰を下ろして。


「遅くありませんか」

「ん?」

「この場に戻ってくることです」

「それはサリア嬢さんとかご家族と話したりしてて。あんたのこと引き続きお願いされたよ。心配もしてた」

「……そうですか」

『決して嘘を言っていない』と伝えるように目を合わせて言えば、視線を逸らして素っ気なく返すクレアローナである。


「嬉しい時は顔に出せばいいのに」

「うるさいですよ。サボり場を失いたくなければ、あまり調子に乗らないことですね」

「はいはい」

 サリアがこの場にいなくなってからはもう普段通りのやり取り。

 質素で冷えた会話が繰り広げられるが、これが二人の当たり前でもある。


「それにしても本当にいい子だったな、サリア嬢さん」

「そう言っていたでしょう。いい子であるばかりに、あなたのような裏表のある人に騙されないことを願うばかりです」

「はは、確かになんでも騙されそうなくらいに純粋だったな」

 あの年齢では年相応と例えることができるが、箱入り娘というだけあってひたむきな性格も引き継いでいくことだろう。

 また、時が経って大人びた顔立ちになれば、クレアローナのような綺麗な容姿を手に入れることだろう。


「子ども、好きなのですか? あなたは」

「と言うと?」

「文句の付け所もないほど面倒見がよかったので」

「これあれだろ。仮に好きって答えたら気持ち悪いって言われるやつ」

「今の発言でもうわかりましたよ」

「……」

「気持ち悪いと言ってほしいのであれば、気を遣って言いますが」

「そこは気を遣わなくていいだろ……」

 今の言い回しから、そのような目論見があったわけではないことを悟る。


「もしあなたに子どもが出来たのなら、だらしない子に育ってしまいそうですね。親の背中を見て育つと言いますから」

「それ以前に婚約者をちゃんと見つけられるか、なんだよな……。偽っている時ならある程度戦える自信があるんだが、素がこんなんなわけで」

「ふ、それもそうですね」

「笑うことないだろ、鼻で」

「すみませんね、芯に当たっていたので」

 思ったままのツッコミを当たり前に入れるルークだが、当時は一度も笑うことのなかったクレアローナである。

 距離が縮まっているのは間違えようもないこと。


「……と、実際にはわたしも他人事ではないのですけどね。この容姿なので婚約者どころか話す相手すら見つからない状況ですから」

「まあそこら辺は大丈夫だろ、きっと」

「軽口が過ぎますよ」

「もしもの時は本当の本当に仕方なーくもらってやらんでもない」

「死んだ方がマシです」

「ははっ、その気持ちがあればなんとかなるさ」

「意味がわかりません」

 ガラスのハートを持つ人物なら、今の返事で心が砕かれていたことだろう。

 しかし、ルークはいつも通り笑って流す。


「選ぼうとする“気”さえあればなんとかなるってことだよ。諦めたらもうなにも進展しなくなるんだから」

「……あなたが言うと重みはありますね」

「それはどうも」

 過去、孤児だったルーク。それも孤児院に預けられたわけではなく、路地裏での生活を送っていたのだ。

 劣悪な環境でも生きる気を失わず、諦めなかったからこそ今があるようなもの。


「……あの、お話を変えて今さらではあるのですが」

「ん?」

「これだけのおしぼりをこのお部屋に持ち運んだこと、問題はないのですか。サリアが帰宅した今だから言いますが」

 クレアローナはテーブルの上に置かれたおしぼり遊びの痕跡——果物や動物の形になったおしぼりを見ながら問いかける。


「あなたの立場であれば、何事にも用途以外の使い方をするのは好ましくありませんよね」

 繋げた言葉は全て正論である。

 一例を挙げれば、おしぼりを雑巾代わりに使う可能性も——。

 なんて不安を与えたり、推察までさせてしまうのだから。


「本音を言えば、めちゃくちゃ問題ある。これから俺に待ってるのはお説教だからな」

「家政婦長の許可も取っていないのですか……」

「聞くには聞いたんだが、無視された」

「はあ。それは『ダメ』と言われたようなものではありませんか」

「だから説教が待ってるって言ったんだよ」

「一つ、今後のアドバイスです。『サリアを喜ばせるため』等のことを言うだけで対応は変わりますよ。わたしが関わるような言い方をしないことですね」

「ははは、笑えないな」

「笑っていますけどね、あなた」

 膝を叩きながらのルークに半目を向けるクレアローナだが、自分自身で思うことがあるのは事実。


「——ですが、こればかりは本当に申し訳なく思います。わたしに仕えているばかりに」

「——さてと、それじゃあ俺は説教されてきますかねぇ」

 間延びした声を出して椅子から立ち上がるルークは、形になったを次々に戻して重ねていく。


 最後の一つ、ひよこの形をしたおしぼりをクレアローナに向けて言うのだ。


「このおしぼりの前でそんな顔をするべきじゃないぞ」

「え……?」

「これ、サリア嬢さんがあんたを喜ばせるために一生懸命作ったものなんだから。だからこれの前ではその気持ちには応えてあげるべきじゃないか?」

「……生意気ですよ」

「『申し訳ない』なんて思わなくていいことを思ってるから、生意気言うしかないんだよ。こっちは」

「……」

「俺の気持ちにもなってくれ」

「……わかりました。癪ですが、今はその言葉に頷いておきます」

「はいよ。それじゃ、あんたは俺が怒られてるところでも想像しててくれ」

 ポン。と、ひよこのおしぼりをクレアローナに近づけ、笑みを浮かべながら立ち上がるルークは、180度回転させてドアに向かっていく。


 そんな時だった。ルークのバックポケットから手帳のようなものが床に落ちたのだ。

「ぁ……」

 彼に声をかけようとすれば、もう部屋から出る瞬間のこと。


「……」

 再び一人になる空間。

 呆気に取られるように手帳を凝視するクレアローナは、ソファーから立ち上がって丁寧に拾う。

 この時、脳裏によぎるのはルークとの会話。


『見てみたいものですね。凡人というあなたが書く一日毎の記録を』

『ッ、それは絶対ダメ』


『えらく動揺をしましたね。そのような反応をされると、ますます気になります』

『いやその……愚痴とか文句も入ってるから』


『わたしに不満があるのであれば、直接言ってもらって構いません。もう今さらですし、気にしませんから』

『いやもう言ってる。『性格が可愛くない』って』


『……それだけ、ですか』

『それだけ』


 ——プライベートなもの。

 ——絶対に見てはいけないもの。

 それがわかっていても、なにが書かれているのか気になってしまう。

 自分の文句や愚痴が書かれているのではないかと考えてしまう。


「……」

 周りをキョロキョロ確認したクレアローナは、いけないことがわかっていながらも、その一ページ目を開くのだった。

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