第16話 来訪まで

『明日は子爵家の当主、そしてサリア嬢が我が家にやってくる。くれぐれも怪我をさせるな』

 昨晩は伯爵家当主からキツい言葉を。


『本日はサリア様が訪れられます。普段以上に気をつけてクレアローナ様を見張るようなさってください』

『目を離すことのないようにお願いします。問題が起きたということは許されませんからね』

 今朝には家政婦長と執事長から念を押すような言葉を。


『かしこまりました』なんて答えるしかない立場の男は、心底気分の悪い気持ちに襲われながら、普段通りを装っていつも通りクレアローナと顔を合わせていた。


 * * * *


「お、今日は随分と気合いが入ってるなあ。髪型まで変えちゃって」

「サリアとお会いできるので当然です。もてなすにふさわしい格好をしますよ」

「はは、それもそうか」

 正論すぎる言葉を言われ、思わず笑ってしまう。


「……」

「……」

「ん?」

 そして、唐突に訪れる無言。

 男の視界に映るのは、真顔でこちらを見るクレアローナである。


「…………」

「…………」

 お互いに口を開くこともなく、何秒間顔を合わせただろうか。


「あ、ああ。普通に似合ってるぞ。髪型も服装も」

「そのようなお言葉を待っていたわけではありません」

「いや、今の絶対感想待ちだったろ」

「違います。勘違いしないでください」

 相変わらずの素っ気ない態度で、普段通り椅子に腰を下ろすクレアローナ。

 あの褒め言葉を聞いたのち、体を動かしたのは事実である。


「それはそうと、あなたも気合いが入っていますね。固める必要のない髪を固めていますし」

「来客があるのは一緒だしな。それなりの格好しとかないと、示しがつかないから仕方なく」

 首を45度回し、横目で見ながら伝えてくるクレアローナに対して、これまた当たり前の意見を返す男。


「一応お伝えしておきますが、サリアに色目をつかわないでくださいよ。あなたでは不釣り合いですから」

「いやだから来客があるからなんだが……。そもそも相手は13歳の女の子だろ? さすがにもっと成長してもらわないと」

 政略結婚という理由で若いうちから籍を入れることは一般的ではあるが、年齢差があった上での対応を間違えば、周りからは当然白い目で見られることになる。


「だらしないあなたのことですから、このくらい念を押さなければ不安です」

「まあ、言葉の裏を返せばそのくらい可愛いんだなー。サリアお嬢さん」

「今ここでたれますか」

「ちょ、いつも通りの軽いジョークだろ……。そんな本気にされても困る」

 珍しく動揺を出す男だが、今回ばかりはクレアローナからの強い意志を感じたのだ。

 それこそ『いいよ』なんて言えば、本気で実行しようとしていたほどに。


「サリアは箱入りの娘なので騙されやすいのですよ。特にあなたのような裏表がある方には」

「ほうほう」

 唯一の友人ともあって、それだけサリアのことを大切に思っているクレアローナなのだろう。


「つまり、あんたと違って可愛らしい性格もしてるわけか」

「よかったですね。わたしのようにひねくれた相手が増えなくて」

「別にそれはそれで悪くないとは思うけどな、実際」

「それほどまでの変わり者ですと、わたしも引いてしまいます」

「従者に対してよくもまあそんなことを」

「お互い様ですよ。あなたの場合は立場を無視したものですが」

「ははっ、それは確かに」

 契約上は問題ないことはいえ、そう言われたら言い返す言葉はない。


「ああ言い忘れてた。ここに淹れた紅茶と花の水置いてるから」

「ありがとうございます」

 いろいろな憎まれ口を叩くクレアローナではあるが、しっかりとお礼を述べてくる。

 引きこもりの主人に対し、男が好ましく思っている一つである。


「今回は忘れなかったのですね。お水のご用意は」

「毎日記録をつけるようにしてるからな。主にミスしたところとか、反省点だけど」

「外さないところは外さないですよね。あなたの優秀なところと褒めてあげますが」

「どうも。って、この仕事してるなら不思議なことじゃないけどな」

「プライドが邪魔をして、ということは聞いたことがありますが」

「元々が優秀ならそんなこともあるんじゃないか? 凡人だから工夫してるだけの俺には、遠いプライドだ」

「そうですか」

 偉い貴族には優秀な奉公人が集められるもの。

 英才教育を施された者が集められる分、自身を『凡人』だと考える者はいないだろう。

 そういう意味では、間違ったことは言っていないのかもしれない。


「見てみたいものですね。凡人というあなたが書いている一日毎の記録を」

「ッ、それは絶対ダメ」

「えらく動揺をしましたね。そのような反応をされると、ますます気になります」

「いやその……愚痴とか文句も入ってるから」

「……はあ。詰めが甘いと言いますか、本当に凡人なのですね」

「は、はは……。まあな」

 引き攣った笑みで頬を掻く男を見るクレアローナは、呆れのため息を吐く。


「わたしに不満があるのであれば、直接言ってもらって構いません。もう今さらですし、気にしませんから」

「いやもう言ってる。『性格が可愛くない』って」

「……それだけ、ですか」

「それだけ」

 本当に予想外の返事だったのか、宝石のように綺麗な赤の目を丸くしているクレアローナである。


「てか、自分が思ってる以上にあんたは良い女……って表現は立場的にもアレだが、俺なんかに仕えられてるのはもったいないだろ普通」

「……」

 それを一番に思っているのはこの男である。

『吸血鬼』なんて概念がこの世になければ、こちらに白羽の矢が立つこともなければ、絶対に巡り会えなかった人物なのだから。


「まあ、だからその……俺なりにやれることはやってるわけだけど」

「……どのようなお言葉をかけられようとも、あなたのお給料を上げるようにお父様にお伝えすることはありませんが」

「それは残念。ちょっと狙ってたんだけどな」

 その言葉が軽口であるのは、このタイミングで軽口を言う人物であることは、とうに気づいているクレアローナ。


 そんな彼女は立ち上がり——

「——本当に可哀想に思います。とても腹黒い方に誘拐されてしまったこの花々が」

 水の入った瓶を手に取った。


「あなたの瞳の色の……この黄色いお花を一番に枯れさせてしまいたいです」

「花に罪は……って、適量かよ」

「お言葉通り、お花に罪はありませんから」

 本当に相変わらずの会話を行う二人。

 そんな時間が何時間続いただろうか。


 この屋敷に子爵家が訪れる時間となるのだった。

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