第15話 見る目がない

 翌日になる。


 会話する頻度が増えたとは言え、昨日の命令は健在——。

 寝室に入ってクレアローナを起こすわけでもなく、髪を整えるわけもなく、園庭から持ってきた花がある一室で、紅茶を用意しながら待機する男。


 信頼関係が成り立ってないと言えるが、今日も今日とて同じ空間を共有する。

 なにも変わらない普段通りの会話を広げていた。


「な」

「雑な呼び方ですね。なんですか」

「算盤そんなに楽しいか? なんかずっとパチパチしてるけど」

「楽しいですよ。上達をすればするだけ、あなたの特技を封じられますから」

「はは、なんだそれ」

 クレアローナが弾く算盤の音を聞きながら、隣で読書をする男は苦笑を浮かべていた。

 いかにも自然な距離感にいる二人だが、初日であれば考えられないことだろう。


「『自腹な分、少しでも早く上達をー』なんて考えなくていいぞ? 嫌々買ったわけでもないし、交渉しなかった俺が悪いだけなんだから」

「……っ、自惚れないでください。そのような気持ちはありません。ただ楽しいだけです」

「そうか。ならいいけどさ」

 一瞬、息を詰まらせるクレアローナは、そっぽを向いてまた手を動かし始める。

 サラサラとした銀白色の髪が広がり揺れて、甘い匂いが漂ってくる。


「あ、紅茶のおかわりとか焼き菓子はいるか? 朝食ってないから、小腹空いてるだろ?」

「いえ、お昼のお食事が取れなくなってしまうので要りません」

「そっか」

「あなたが飲食したいのであれば、お好きにどうぞ」

「俺は朝食ってる」

「そうですか」

 会話も短く、側から見れば冷めた関係の二人だが、『隣同士にいる』という距離感はそう示していない。


「そう言えば、あんたの友達のサリアお嬢さんが来るのは明日だっけ?」

「はい。本日、お父様からもご連絡があるかと思います」

「ちなみにどんな子?」

「お父様にお聞きすればよろしいのでは。その機会があると思いますから」

「あんたから聞きたい」

「嫌です」

「クレアローナお嬢様からお聞きいただきたく存じます」

「……」

『教えていただく』という立場を汲み取って丁寧な口調を変えれば、すぐに睨まれる男。


「あなたの素の口調に慣れてしまったせいで、そのお姿がとても気持ち悪いです」

「でしたら教えていただけますか? ……実際、俺も俺で気持ち悪くてなぁ」

「……はあ」

 口調も声色も表情も元通り。

 見事な変わり身を見せて本音を話す男に呆れるクレアローナである。


「サリアは偏見がなく、とても心優しい女の子です。わたしと違って明るくもあります」

「容姿は?」

「なぜそこまでお聞きになるのですか」

「……え?」

 こう聞いた途端である。なぜか睨むようにして真っ赤な瞳を向けられる。


「『なぜ』って言われても、人相がわかってた方がやりやすいから」

「そうですか。薄紅色の髪色に、丸みを帯びた青の瞳の容姿をしています。年齢が年齢でもあるので、幼げな顔立ちもしています」

「へえ。別にサリアお嬢さんの容姿を隠そうとするほど、不思議なところは見つからないけどなぁ」

「わたしの友人を狙っているものかと思っただけです」

「なんでそうなるんだか……」

 一応は仕事のスイッチが入っている男なのだ。私情はなにも入っておらず、必要となる情報を聞いただけ。


「まあ、あんたが俺に冷たくしすぎたら……いい子ちゃんらしいサリアお嬢さんに目移りしちゃうかもなー」

「狙ったところであなたでは絶対に不可能ですけどね」

「失礼だな」

「そもそもあなたの場合、女の子を惚れされること自体不可能ですけどね」

「さらに失礼だな」

 これからはもう軽口の言い合いである。


「まあそれはそれとして、恋愛する余裕ができたらあんたの友人を紹介してもらおうかな。ああ、紹介するにしても友達はサリアお嬢さんしかいなかったか」

「……ちますよ」

「ははっ、『噛みちぎり』じゃないんだな」

 ——この勝負は引き分けというところだろう。


「あなたにだけは効果がありませんから」

「そりゃちょっと特徴的なだけで普通の人間だしな、あんたも」

「……」

「ん?」

 当たり前のことを言えば、突然な無視。ではなく、考え込みだった。


「もう一層のこと、断髪をしてもよいかもしれませんね。こんなにも目立つ長い銀髪のせいで誤解されてしまうこともありますから」

「ああ。その時は手伝うけど、オススメはしないぞ?」

「誤解される可能性が低まるというのに、ですか」

「どうせ変に勘繰られるだろうしな。馬鹿馬鹿しいことだが、『溶け込めるような工夫を凝らしてきた』って」

「確かに一理ありますね」

 髪を触っていた白魚のような手を離し、ほんのり肩を落とすクレアローナ。

 大きな落胆が見えないのは、すでに割り切っている部分があるからだろう。


「まあ、長い髪は淑女の特徴でもあるんだから、さっきの理由を抜きにしても大事にした方がいいと思う。これもあんたの個性なんだし、せっかく綺麗な髪してるんだからもったいないだろ?」

「……」

 隣を向けば、無言のままに綺麗な目を合わせてくるクレアローナがいる。


「お、おいおい。別に無視することはないだろ……? 褒めてるんだから」

「鳥肌が立っただけです。あなたに褒められてもなにも嬉しくありませんから」

「鳥肌がどこに立ってるんだか」

「ジロジロと腕を見ないでください。叫びますよ」

「チラッとしか見てないだろ……」

「見てました」

「ちょっとだって本当……」

 理不尽な文句を言われるばかりの男だが、これは日頃の行いとも言えるだろう。


「もういいです。お話は変わりますが、あなたはお水を用意してきてください」

「水?」

「あなたが誘拐をした花々にまだお水を与えていないではないですか。このお部屋にお水を運ぶのはあなたのお仕事でしたよね」

「あ、それは悪い。すぐ用意する」

「お願いします」

 いろいろと考えていることがあったのか、ただ呆けていただけか、すっかり抜け落ちていたことを証明するように、慌てて本を閉じて部屋から退出する世話役。


 騒がしかった空間が、あの男がいなくなっただけで静かになる。


「……まったく」

 うんざりした小声を漏らすクレアローナは、ゆっくりと視線を動かして自身の髪に再び触れ、目を細める。


「可哀想としか言えませんね。あんなにも見る目がないというのは」

 そして机上に閉じた本——男が読んでいたページを開き直し、優しく置くクレアローナだった。

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