第14話 めんどくさい銀白色

「おおー。やっぱり飲み込み早いじゃないか」

「わたしの手にかかれば、このくらい動作もありません」

「ははっ、最初は苦労してたくせに」


 夕食に入る前の時間。

 読書や休憩を間に挟むこともなく、算盤の使い方を教えられながらずっと計算に励んでいたクレアローナは、見事な上達を見せていた。


「ねえ、あなたみたいに頭の中で計算ができるようになりたいのだけど、今日中にできるようになる?」

「え? 別にそこまで身につける必要はなくないか? それができるようになったら俺の貴重な存在意義が一個なくなるんだが」

「はい。それがとても嬉しいことだからです」

「……どんだけ俺のこと嫌ってるんだよ」

 凛とした態度で『絶対にやり遂げる』という意志を見せてくるクレアローナ。

 ルビーのような真っ赤な瞳にも同じような気持ちが宿っているかのよう。


「今日はちょっとポイントアップしただろ? 算盤を丁寧に教えたんだから」

「『ポイントアップ』などと測っている時点でマイナスです。それにあなたは淑女の頭に許可なく触れましたよね。この程度で済んでいることに感謝するべきですよ」

「はいはい……」

 ポイントアップというのはただの比喩だが、ありのままの捉え方をされる。

 そして正論を放たれる。


「まあ困らない程度の計算を頭の中でするには、年単位でかかるから残念でしたと」

「それを早く言ってください。期待して損をしました。あなたが変に持ち上げるせいですよ」

「今度は八つ当たりか……。どんだけ可愛くないんだよ。その性格」

「吸血鬼ですから」

「はは、吸血鬼が算盤ぽちぽちは面白いけどな」

「……」

 怖がらせるための言葉を使えば、当たり前に笑われる。幼稚なワードを使われて笑われる。

 思わず恥ずかしくなるクレアローナ、もうこんなことを言わないと決意する。


 その代わり——。


「あなただけはいつか痛い目に遭わせてあげますから」

「それはそうと、飯食い出して元気が出てきたな」

「っ」

 話を聞いているのか、聞いていないのか、絶妙なラインを突いてくる。

 本当に効く、、ことを言ってくる男である。


「……べ、別にお食事を取ったからではありません。わたしはいつもこうです」

「そっか。まあそっちの方が安心するからいいんだけどさ」

「では、お食事を取ってから元気になりました」

「それはそれで嬉しいんだけどな」

「はあ。もういいです」

 手のひらで転がされている感覚だった。

 嬉しそうな顔を浮かばせているのが、その原因。


「……」

 算盤のたまを適当に指で弾くクレアローナは、一拍を置いて聞く。


「あの、お話は変わりますが、一つだけ質問をします」

「ん?」

「今さらとも言えますが、この算盤を購入したお金は一体どこから。あなたはこのお部屋を出た後、すぐに外出されていましたよね。この窓から偶然に見えたので」

「ああ、あんたの親に交渉してないんじゃないかって?」

「はい。偶然に見えたので、そう考えました」

 交渉というのは大事なもの。従者ならば特に大事なもの。

 交渉とは縁のないクレアローナでも、そのことくらいのことは知っている。


「偶然ね。それはタイミングが悪いことで……。お察しの通り交渉はしてない。だから自腹っていうか、俺の契約金でまかなった」

「算盤は高価な代物しろものでは」

「いーや? 普通だよ普通。俺が自腹で高価なもんを買うわけないだろ? 金は貯めれば貯めとくだけいいもんなんだから」

「こちらの算盤、見た目からも高価な代物に見えますが」

「安物だって安物」

 あっけらかんと当たり前に言う男だが、それがなおさら引っかかること。

「あなたは『いろいろな詫び』ということで算盤を購入しましたよね。その意味合いであれば、安物であるのは問題だと言えますが」

「そうなのか」

「そうですが」

「そりゃ悪かった」

 まるでこう返されることをわかっていたような即答。

 だらしなく、デリカシーもなく、いいところがないような男だが、一般常識を持っていることは知っているクレアローナである。


「意地でも嘘を突き通すつもりなのですね。であればお礼は言ってあげませんよ」

「お礼を言わせるために買ってきたものじゃないしな」

「……つまらない方ですね」

「ははっ、それは悪かった」

 簡単に流すように目を細める男。


『本当のことを言えばいいのに』

『隠さずに言ってくれたらいいのに』

 そんな感情がクレアローナを動かす。


「では、どうしてお父様に交渉されなかったのですか。交渉をすることで、自腹になることはなかったと思いますし、『いろいろな詫び』という名目も果たせたと思いますが」

「そんな気分だった」

「答えになってません」

「まあ……勝手な理由だけど、あんたが頑張ることとか、努力することを周りに教えたくないってこと」

「っ!」

 先ほどの件を詰めることで本当のことを言わせたかったクレアローナだが、『交渉しなかった』理由が、その目的がわかってくる。

 頭にあの感覚が襲ってくる。


「てなわけで、引き続き頑張れ? どんなことでも応援するやつはいるんだから」

「あの、二度目ですよ。頭に触れないでください。いい加減にしないと噛みますよ」

「ははっ、ちょうどいい位置にあるんだよな」

「……離してください」

 そう言っても、やめてくれなかった。


 いくら頑張っても、褒めてくれない。

 いくら頑張っても、認めてくれない。

 必要ないと一蹴される。冷めた目で見られる。


 なぜ、今までの環境がわかったのだろうか。



 そして、最初に頭に触れてきた時もそう。

『いいことをしたら、こうされるべきだって俺を拾ってくれた家族が言ってんだよな』

『てか、生きてるだけで迷惑がかかるなんて言うもんじゃないぞ? あんたの周りがおかしいだけなんだから、ほっとけばいいんだよ』

 慰める時にも頭に触れてくるのだ。


「もう一度言いますよ。離してください」

「はいはい」

「……ぁ」

 暖かく、大きな手が離されてしまった。

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