第13話 すること

「ははっ」

「……今の笑いは失礼な笑いですよね」

 昼食を食べ終えた後、自学に取り組み始めるクレアローナ。

 その隣に立ち、勉強光景を覗き見た男は、早速と言わんばかりの笑い声を上げていた。


「言いたいことがあるのであれば、言ってください。モヤモヤしますから」

「いや、もうちょっと頭いいもんかと思ってただけ」

「っ!」

 いきなり飛ばされるのはこの言葉。


「……首、噛みちぎりますよ」

「お、かかってこい」

 両手をクイクイと嬉しそうに挑発してくる男。脅しが効かないことを改めて悟るクレアローナは、落ち着きを取り戻すように息を吐く。

 そして、睨みながら口を開くのだ。


「飲み込みが悪い自覚はあります……。ですが、仕方がないではありませんか。教えてくれる人は誰もいないのですから」

「あ、別に責めてるとか悪意があったわけじゃないぞ? ただの感想」

「『もうちょっと頭いいもんかと思ってた』なんて発言が、責め言葉でも悪意があったわけでもないと言うのですか」

 さらに睨みを効かせるクレアローナだが、本心を伝えただけの男は、怯んだりすることもない。


「そりゃあ、当時の俺は文字すら読めないくらいに頭悪かったからなあ。そんな過去があるのに、自分のことを棚に上げられるわけがない」

「……そうですか」

 孤児だったという過去を擦り合わせれば、口にしていることに偽りはないのかもしれない。


「であれば、半分程度は信じてあげます」

「どうも。言葉がストレートすぎたのは謝る」

「謝罪を受け取ります」

「それは助かる」

 普段から落ち着き払っているクレアローナで、読書をしている印象も強かったのだ。

『才女』という印象を男が持っていたのは、なんら不思議なことではないだろう。


「にしても、算術をやり始めたのは意外だったよ。計算するの好きなんだな」

「いえ、一番嫌いですよ。難しいので」

「ほ、ほう?」

「一番嫌いな内容ですが……計算が苦手な方が多い世の中ですので、算術を身につけることができたなら、誰かの役に立つことができるかと思いまして」

「なるほど。自分自身でそう考えたわけか」

「はい」

 伯爵家——高貴なクレアローナの立場であれば、買い物をするにしても会計などは全て従者に任せる側。

『算術を学ぶ必要はない』と言えるわけだが、それでも自学していた理由を知る。


「あまり口にはしたくないことですが、わたしは生きているだけで、、、、、、、、周り迷惑をかけてしまう存在なので、その分、誰かの助けになれたらと思っていまして」

「……そう、か」

 息を吐き出すように言葉を返す。

 普段からおちゃらけている男だが、この時ばかりは声色が変わった。表情も引き締まった。

 過去の自分と似た境遇で——似た思考を抱いているクレアローナだと悟ったことで。


「……」

「……」

 無言が生まれ、空気がどんどんと暗いものになっていくが、それを防ぐのもこの男である。


「それは偉いなあ。一人で腐らずに頑張り続けて」

「っ」

「本当偉いよ」

「……あの、頭に触れることを許可した覚えはありませんが」

「まあまあ。今だけは大目に見てくれ。そんな気分なんだ」

 腰を下ろしているクレアローナの頭は、ちょうどいい位置にある。

 ふっと笑いながら、ポンポンと雑に頭を撫でる男がいる。


「つくづく気持ちが悪いです」

「いいことをしたら、こうされるべきだって俺を拾ってくれた家族が言ってんだよな」

「……」

「ちなみに、馴れ馴れしくすんなとか、子ども扱いすんなとか、俺も最初は思ってた」

 それでも同じことをするのは、自分自身で思うことがあったから。


「てか、生きてるだけで迷惑がかかるなんて言うもんじゃないぞ? あんたの周りがおかしいだけなんだから、ほっとけばいいんだよ」

「呆れてしまうほどの綺麗ごとですね」

 クレアローナの頭が動く。自然と上目遣いになって目が合う令嬢に対し、男は首を横に振る。


「俺は本心でそう思ってるだけ。なにを信じようが信じまいかは人の勝手だけど、ただの憶測であんたはこんな環境になってるわけだろ? 俺からすれば、生きてるだけで迷惑をかけてるのはどっちなんだって話」

「その言葉、誰かに聞かれてほしいものですね。わたしの頭に勝手に手を置くような人は、一刻も早く解雇されるべきですから」

「ははっ、偉いことをしたあんたも悪い」

「……はあ。理不尽ですね」

 ポンポンと頭を刺激する手はなおも止まらない。どんどんと鬱陶しい気持ちが高まっていく。


「ああそうだ。算術ってことなら、俺が算盤の使い方教えるぞ? 本の説明でわかるようなら、誰も苦労してないだろうし」

「癪です」

「はは。使い方を覚えて、俺よりも上手くなればいいだけの話だろ?」

 全員が全員、こんなことは言えないだろう。

 人間というのは、嫉妬やプライドがあるものなのだから。


「勝手に進められていますが、算盤はこのお部屋にはありませんよ」

「そっか。なら今から買ってくる」

「そこまでする必要はありません」

「まあまあ。いろいろな詫びってことで。それじゃ、すぐに買ってくる」

「ぁ……」

 そうして会話が終わるのは、いきなりのことだった。

 頭に置いていた手を戻し、時間を無駄にしないようにとすぐに部屋から出ていった男。


「……」

 今日、この部屋で二回目の一人きり。

 頭にはまだあの感覚が残っている。


「…………」

 誰も見られていないその状況で、自分の両手を頭の上に乗せるクレアローナだった。








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