第5話 一日の終わり

「あの、いつまで着いてくるのですか」

「え?」

 時刻は20時過ぎ。

 湯浴みを終えたクレアローナは、寝室の前で責める目を作っていた。


 適当で、面倒くさがりで、デリカシーがなくて、サボり癖があって。

 悪いところしかない世話役の男に、真っ赤な瞳を向けていた。


「『え?』ではありません。いつまで着いてくるのですかと聞いています」

「その寝室の中だけど」

「同性ならまだしも、本日会ったばかりのあなたを寝室に入れるわけがないですが」

「ちゃんと一人で寝れるのかなーって」

「……血、全て吸い取りますよ」

「へえ、人間の真似が上手だこと」

『人間が吸血鬼なんかの真似して』と揶揄した返し。

 ニヤニヤと余裕そうな顔で言い返す男だが、すぐに表情を変える。


「あとさ、そんな冗談誰かに聞かれたら洒落にならんぞ?」

「平気ですよ。この時間、使用人がこの廊下に来ることはありませんので」

「え? なんで?」

「日が沈むにつれて、わたしの不気味さが増すようです」

「はは、なるほど。どうりでこんなに静かなんだな」

「はい」

 人気ひとけもなく、唯一聞こえるのは、風が窓を揺らす音だけ。


「それはそうと、今否定しませんでしたね。『わたしの不気味さが増す』の言葉に」

「馬鹿馬鹿しい内容にいちいち反応するのは疲れるんだよな」

「……」

 この言葉に一瞬だけ胸が温かくなる感覚を覚えるクレアローナだが——目の前にいる男は適当で、面倒くさがりで、デリカシーがなくて、サボり癖があって。どうしようもない人間である。

『気のせいだ』と結論づけるように、口を閉ざす。


「てか、あんたは本当もったいないよなー。そんな綺麗な顔してるのにもかかわらず、変な物語一つで周りから距離を置かれるんだから。本来ならめちゃくちゃ求婚される側だろうに」

「……隙あらばと口説かないでもらえますか。あなたに興味はありませんから不快です」

「何言ってるんだか。どうせ口説くなら、もっと可愛げのある子を口説くに決まってる」

「そうですか。それでしたら助かります」

「可愛いさの欠片もないな、マジで」

 周りを取り囲む環境は、性格に大きな影響を与えるもの。

 クレアローナがこうなるのは自然なことである。


「自身のことを棚に上げていますが、それはわたしのセリフですよ。一応は主人であるわたしに対し、その態度や口調を取っているのですから」

「旦那様から許可が出てるんだから、別にいいだろ」

「許可が出ていたとしても、形式を守るのは当たり前ですが」

「ははっ、じゃあ仲間だな。変な者同士」

「……」

 今言われたことは確かに間違っているわけではない。

 ただ、あまりにもスムーズに言われたことが引っかかった。


「もしかして、わざとこの話に持ち込みましたか。『仲間』だと言いたいがために」

「そんなに頭がよかったら、人生もっと楽になってただろうな」

「それはそうですね」

「即答かよ」

「正しいと思いましたから」

『考えすぎた』と考えを改めるが、スッキリはしない。

 しかし、これ以上の深掘りをすることはない。

 もし本当に当たっていた場合、癪なのだから。手のひらで転がされていたことが。


「あの、このタイミングでなんですが、二つ言い忘れていたことがありました」

「お?」

「明日は9時に起床しますので、夕食をいただいたお部屋に紅茶を用意をお願いします」

「ん。わかった」

「加えて、わたしを起こす必要はありません。一人で起きますから」

 伝えていなかった連絡もこれで終わる。


「以上になります。では、また明日あす

「はいよ。おやすみー、クレアちゃん」

「っ! 今すぐに殺されたいのですね……」

「あははっ、殺される前に逃げるとするか。それじゃあ失礼して」

「早く去ってください」

「はいはい。それじゃ改めておやすみ」

「……」

 最後の最後までなにも変わらない男である。

 眉を寄せてその背中を睨むクレアローナは、すぐに寝室のドアを開けて中に入る。


「……」

 相変わらず静かな、月明かりに照らされた室内。

 足を一歩一歩動かしながら大きなため息を吐くクレアローナは、大きなベッドに力なく倒れ込む。


「…………今日は本当に疲れました」

 ボソリと漏れた本音の言葉。

 体力を削りに削られたように目を閉じるクレアローナ。


 こんなにも疲れを感じたのはいつぶりのことだろうか。


 こんなにも会話をしたのはいつぶりのことだろうか。


 疲れがあるからだろうが、寂しさを感じないのはいつぶりだろうか。


 いつぶりにあの言葉をかけてもらえただろうか。


 クレアローナの頭には、あの男の、このセリフが何度も繰り返されていた。


「……おやすみ……ですか……」

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