第10話 殺意

 静寂に包まれた渋谷センター街で、私は適当な店の壁に寄りかかって考えていた。


 この黒いリンゴを食べるべきか否か。実際、私の意思は食べてもいいという方に傾いていた。

 だが、懸念していることが1つだけあった。それは『代償』のことだ。これが私の「ひとりでいたい」という望みを妨げるものになる、それが気がかりだった。


「このゲームの性格の悪さは既に何度も見たしなぁ……」


 前例がある以上どうしても躊躇してしまう。

 ひとりでいることに邪魔が入った時、それを跳ね除けられる程度の強さは欲しい。だからといって、強さを求めた結果私に人が寄ってくることがあれば本末転倒だ。

 そんなことを考え込んでいると、どこかから人の話す声が聞こえた。


「どこから……って、うわ」


 辺りを見回すと、ゲームを始めた初日にしつこく絡んできた女の人が、誰かもう1人と一緒に歩いている姿が遠くに見えた。

 前のときもこの辺りだったことを思い出し、早く移動しておけばよかったと少し後悔した。


 2人の姿が見えない場所まで角を何度か曲がりながら離れた。

 これで絡まれることはないだろうと一安心……と思ったのも束の間、何故か上方から聞き覚えのある声がした。


「ちょっとー、私の顔見て逃げるなんてひどいことしないでよ」


 からかうような声のする方を見ると、黒髪ポニーテールの女が何故かグライダーを使っているかのようにゆっくりと上から降りてきた。


「何の用ですか、鬱陶しいんですが。そもそもどうやって上から……」


「上から来たことについてはスキルだね、高層ビルの多いここで役立つようなね。それと用件については前に会った時と同じようなものだけど、今は――」


 さっきまでと違いかしこまった表情で何かを言おうとしたその時、後ろから目の前の彼女を呼ぶ声がする。


「はぁ、はぁっ……。ちょっとリサぁ! 少しは私のことも考えて頂戴よ!」


 振り向くと、さっき一緒に歩いていたもう1人の方だった。


「あ、私の名前はリサね。よろしく」


 目の前の彼女――リサはフッと微笑んで言う。こちらにも自己紹介をして欲しいような目で見てくるが、わざわざ名乗る理由も無いので軽く睨んで黙る。


「まぁそれはいいや。ところで君、今このゲームに2つの異常が起きてるって、知ってる?」


「異常? 知りませんけど」


「そうか、なら良かった。まず1つ、昨日までは使えてた『ログアウト』のボタンが反応しなくなってる」


 メニューの端の方に『ログアウト』のボタンがあったことを思い出す。さっき見た感じでは何も不審な点は無かったが、その時から既に使えなかったらしい。


「熱心な人達はまだ気付いていないみたいだけど。……まぁ、それはいいとして伝えておきたかったのはもう1つの方だ」


 一瞬の間の後、深刻そうな顔でもう1つの異常が何か話し始めた。


「それは、死んだ後に誰もリスポーンをしていないこと」 


「つまり何が言いたいんです? 伝えたいという理由がピンと来ないんですが」


「ごめんごめん、単刀直入に言おう。――死んだ人が戻ってこないんだ」


 リサはそう言うと、続けて何がおかしいか説明し始めた。

 仮に死んだと同時にログアウトしていたとしても、ログインして戻ってこればいい。それにも関わらず、誰1人帰ってこないという。

 このことに気付いた人たちの間では『エリア』から帰る手段がクリアしか無くなっていることから、今のところは動くのを避けている状況らしい。


「なるほど……」


 そう言って少し考え込む。死んだらゲームに戻ってこない、それが何を意味するかを。


「君と前に会った時、すぐに舌を噛んで死ぬなんて行動に出たから、こうなったことを知らないままだと大変と思ってね」


「そうだったんですか、わざわざありがとうございます」


「ああ、だから死ぬようなことはしないで――」


「つまり、今あなたを殺してしまえばいいということですね」


「なっ……ちょっと待っ!?」


 今死んだらゲーム内に戻ってこない、とはいえ自分が死んだら元も子もない。

 ならどうするか。答えは簡単、殺せばいい。

 その考えに行きついてすぐナイフを取り出し、目の前の彼女の胸元めがけて飛び出す。


「今死ぬのはまずい! だから一旦止まって!」


「何故です? わざわざ貴女の方から言ったことじゃないですか」


「っ……しょうがない」


 後ろに距離を取っていたリサは、突然立ち止まって私の後ろ上方に向かって腕を伸ばす。

 何かの前フリであることは明らかだったが、実際に隙を見せているのは事実だった。


「っ、らぁっ! ……ってどこに」


 刃が刺さるほんの一瞬前、リサの手から光が発される。そして刃を掠めること無く、腕の向ける方向に吸い寄せられるように飛び上がった。

 リサは3階くらいの高さまで上がると、なびく髪の毛を押さえながら、ゆっくりと滑空するように降りていった。


「止まりなさい。何を思ってかは知らないけど、リサに手出しするようなら――」


「先に手出ししてきたのは貴女の隣にいるリサさんですよ? 私はむしろ関わってこないで頂きたいんですけどね、それで矢を向けられるのは心外ですよ?」


「カンナ、一旦止めて」


 リサは私に向かって弓矢を構えている人――カンナにそう一言伝え、今度は私に向き直って口を開く。


「ごめん、そこまでとは思わなかった。私は……君にとって何をするのが1番良い、かな?」


「死んでください…………というのはお隣の方が納得いかないようなので、私に近付いてこないでください。人に関わってきて欲しくないので」


「分かった、今は諦めるよ。でも、私は次があると思ってるから」


 リサはそういうと、後ろを向いて歩き始めた。カンナは納得がいかないような顔をしていたが、リサが何か言ったのか、弓を下ろしてついて行くようにして去っていった。


◇ ◇ ◇


「リサぁ……ほんとに大丈夫?」


「だから大丈夫だって、驚きはしたけど当たってないよ」


 メリアと別れた2人は、話をしながらスクランブル交差点まで歩いて向かっていた。

 カンナはさっきまでの凛々しい表情はどこへ行ったのやら、緩みきった声でリサと話している。


「それにしても、なんでリサはあの子に執着するの? ほっとけばいいでしょうに」


「……見ていて危ういから、かな」


「危うい? 意気揚々とリサを殺しにいこうとするような子が?」


「前にも話したけど、どうも人が死ぬことを軽く見てるようだからね。ゲームとはいえ感覚は現実同然なのに」


 メリアが舌を噛み切って死んだ時、ナイフでリサを殺しにかかった時。そのどちらとも、メリアに躊躇が無いことをリサは気付いていた。


「でもリサが殺されるのなんて見たくないわよ。そうなるくらいなら名前も知らないような子のことは諦めて――」


「いいや……知ってるよ」


「えっ? でも前に名前は知らない、って……」


 リサは知らなかった、彼女のプレイヤーネームが『メリア』であることは。

 でも知っていた、彼女の本名が芹沢椿であることを。何故なら、彼女はメリアと同じ高校の生徒会長であったから。

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