第8話 愛想笑いすら無い

「はぁっ……はぁぁっ…………!」


 視界がチカチカと点滅し、酸素不足によって身体が痙攣している中、私は1人その場でへたりこんでいた。


「今回の戦闘で、48経験値、175ECを獲得、エンティティ『愛疎笑あいそわらい』がデータベースに記録されました」


 顔を飲み込まれた時、唇であろうものが首の周りにピタリとくっついて絞め殺そうとしてきたのだ。

 数秒で意識を失って死がすぐそこに迫っていたであろう中、私は手元にあった刺したままのナイフを持ち、腹を引き裂くようにして動かした。そのお陰か、女性店員のエンティティ――『愛疎笑』の討伐に成功した。


「それにしても、絶対痕残ってるだろうなぁ……これ。明らかに絞められる力強かったし」


 叔父に縄で絞められていた時は殺さない程度には手加減されていたんだなぁ、と思いながら首を撫でる。


「レベルは上がってないか。というか、疲れたからそろそろ出たいんだけどどうやって出るんだろう。ログアウトもエリア内だと出来ないみたいだし」


 確か出るには一定の条件を満たさないといけないはずだったけど、そんなの知らないし……。いや、もう1つ出る方法があった。


「一旦死んどけばいいんだった。忘れてた忘れてた……ってそうだ」


 それを思い出し、刃を首元に持っていった時、あるものの存在を思い出した。

 スキルにあったもう1個の項目『操肉』の存在だった。


 名前からして肉を操れるんだろうけど、肉は血と違って液体では無いし感覚も存在する。その上変形させたら戻すのも難しそうだったから手を出しにくかったけど――


「舌噛んで死んだら復活した時は戻ってたし、今弄った後に死んだら自動で元に戻るんじゃないかな?」


 物は試しだ、とりあえず指で試そう。


 左手の小指に意識を向け、右手で摘むような動きをする。すると、上に強く引かれるような力と共に指が少し伸びる。


「なるほど、それじゃあもう少……いっっああ゙あ゙あっっ!?」


 更に力を加えて変形させると、小指からベキッ、ボキッと音が出て激痛が走った。


「っ、ふぅっ……。当たり前か、骨があるんだから自由に動かせる訳も無いか。このゲームリアルだし骨まであるよね」


 とすると、この『操肉』は何に使うべきか。自分にしか使えないって書いてあるけど、これなら使うことはそう無いかな……。一緒に書かれてた『骸干渉』を解放してから前提ってことなのか、それとも――


 そんなことを考えながら自分の身体を見回す。使っても悪影響が少ない所は無いかと考えていると、1つ丁度よさそうな方法を思いつく。


「この右腕の傷、上手いこと裂けてるところを圧縮すれば傷口を閉じれたりしないかな」


 服の袖にある穴を広げ、傷口を見る。左手を右腕にある傷に向け、この辺りの肉を押しつぶすように、左右から力を加える。


「あー……意外と難しいか。それじゃあ……」


 腕の傷口をこねくり回し、止血出来ないか試行錯誤を繰り返す。

 それから『操肉』を使い続けること十数分。止血をすることはできた。


「けど、これはなぁ……」


 自分の腕を改めて見る。スキルの補正によって表面は皮で覆われるおかげで、中身の肉があらわになっているようなことは無い。

 だが、腕についている肉の量が少ないことも相まってか、傷口周辺はでこぼこになっていた。


「止血出来るのであればいいよね、自分の身体の状態に興味は無いし」


 現状の使い道はこんなところかな。さて、今度こそ戻るか。


 改めてナイフを持ち、頸動脈付近を切って死に戻りする。


◆ ◆ ◆


「死亡しました。レベルが10以下のため、デスペナルティはありません。エリアから退出しました」


 前と同じように意識を取り戻し、AIのアナウンスと共にハチ公前に戻ってくる。


「死んでから大体……10分。前より10分くらい早い」


 死亡してから一定時間は身体がその場に残るって仕様から考えるに、舌噛んだ時は意識不明の状態が長かったのかな?


 あの時の女の人が何かしたからなのか、……あるいは時間があったのに何もしなかったのか。


「事実かどうか分からないのに人のことどうこう言うもんじゃないか」


 とりあえずログアウト……する前にこの血だけ落としとこう。身体は戻るけど服は戻らないみたいだし。


 首を切った時に付着した血を『操血』で回収する。ふよふよと浮かせている血液の球は道路に捨てる訳にはいかないと思い、目立たない近くの植え込みに投げ込んでおいた。


◇ ◇ ◇


 自室に戻ってきて時計を見ると、既に5時近くになっていた。窓から入る日差しも橙色になってきている。


「とりあえずうがいして……夕飯食べようかな」


 着替えを済ませた後、ポットに水を入れてお湯が沸くのをダイニングで待っていた。

 すると、この時間に聞こえるはずのない足音が扉の向こうから聞こえた。


「椿、ここにいたか」


「……帰ってたんですね、隆司りゅうじさん」


 扉を開けて覗いてきたのは、痩せ型で老け顔の男――もとい叔父の芹沢隆司である。

 感情の籠っていない目でこちらを見ながらそう一言だけ呟いた叔父に、表情を変えずその場から動くこともせずにそう返す。それに対して、叔父は返事や反応を見せることも無く、扉を閉めて立ち去っていった。


「はぁ、ほんとあの人は何を考えてるのやら」


 頻繁に私を使といっても、あの人は私に対して何か感情を持っているという訳では無い。恐らく、あの人にとって私は道具のような認識なのだろう。私の両親の死によって手元に転がり込んできた、維持費があれば自由に使える道具だ。

 そして私にとってあのは作業だ。声をあげることも身体を反応させることも求められない、されるがまま身を任せて無の感情でいるだけの簡単な作業だ。


 だから、それ以外の時は互いに何の感情も無い。この広い家という空間にいるだけの1人と1人というだけの他人だ。

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