1‐8 ルージュとギャルとサイボーグと騎士

「紅世原さん、紅世原さん」


 肩が揺すられ、紅世原瑠朱は目を覚ます。重い瞼を適当にこすり、教室の時計を見つけ時刻を確認する――十六時三十分。覚えてはいないが、教室の机に突っ伏してそのまま寝てしまったようだった。


「ありがとう、白星さん。少し寝すぎちゃったかな」


 そういって伸びをする。が、伸ばしたついでに包帯を巻いた腕が痛む。


「紅世原さん、その腕どうしたの?」


 彼女の様子に、すかさず白星風美は質問を投げた。腕を伸ばしたついで、袖下に隠れていた包帯が出てしまったからであろう。


「怪我した」


 瑠朱は見ればわかる解答を明朗に言う。


「そうじゃなくて、どうして? 包帯巻いてるなんてよっぽどだよ」


「あー、これね、そんなにひどくないよ。ただ、少し範囲が広くって。だからあまり気にしないで」


 彼女の言葉に嘘はなかった。昨晩、自分に急に噛みついてきた少女のおかげで皮膚を切った。しかし、齧られたわけではなし、人間の一噛み分という広さに対して傷はそんなに深くはなかった。また、包帯をわざわざ巻いているのは、何より嚙まれた跡がもろに人間の歯型なのはさすがに見栄えが悪いので隠したいという意図もあった。


「でも……」


「大丈夫。それよりも白星さん、今日は保健室にずっといたの?」


 いろいろと追及されると面倒なので、瑠朱は話題を変えることにした。


「うん。ちょっと朝から調子が悪くて。でも心配しないで、わたしはいつものことだから」


「そう。でも、また何か困ったことがあったら教えてね」


 瑠朱はそういってさっと立ち上がった。


「待って。紅世原さんこそ何があったの?」


「何って?」


 つい、とぼけたことを言ってしまった。


 ……腕の包帯もそうだが、制服を泥だらけにしてしまった彼女は朝からジャージ姿で登校していたし、そもそも紅世原瑠朱は放課後に突っ伏して寝ることなどもなく、普段であれば放課後は誰よりも先に教室を出ていたはずだった。白星風美が疑問を持つのも無理はないだろう。しかし、彼女の問いはさらに先を見ていた。


「紅世原さんはいつも忙しそうだったけど、最近はなんか違う気がする。部活とかボランティア以外に何をしてるの?」


 白星は思ったよりも核心を突いた質問をしてきた。


「どうしたの、急に」


 変な間が生まれる前に、瑠朱は慌てて聞き返した。だが、ちらりと見た白星風美の表情の険しさから、ああこれは適当にはぐらかせないな、と察しがついた。


「うん。ごめんね。ちょっと無理があったかな」


「大分。紅世原さんはずっと世話焼きだったけど、最近はちょっと変だよ」


「そっか。うーん」 瑠朱は思案した。何から話そうかと言葉を選ぶ。


「なんか、よくわからないけど、ここ最近、変なことばっかり怒っている気がするんだよね」


「変なこと?」


「あのね、一か月ぐらい前かな」


 そして、とりあえず思い出したことを喋ることにした。


「学校から中央公園に行く途中の橋あるでしょ」


「うん」


「あそこの川でさ、岸に打ち上がってた女の子助けたんだよね」


「ちょっと待って、そんなことしてたの?」思わず風美は大声を上げた。


「うん。岸辺にいたけど呼吸してなかったからびっくりして。まあ人工呼吸したら呼吸は戻ったけど」


 さも当然のごとく瑠朱は言った。風美からするとさらりと語るにしては随分と浮世離れした内容であったが、瑠朱からすると当然のことをこなしたに過ぎないのだろう。


「いろいろと追いつかないんだけど、それで?」


「まあ見つけた段階で救急車は呼んでたからね。すぐに救急車に乗せてわたしも一緒に病院まで行って、そのあとはお医者さんに任せたよ」


 川岸に女の子が流れ着いているところなど風美はついぞお目にかかったことはないし、真っ先に人工呼吸など夢物語である。だが、そういったことを除けば瑠朱の話は特出した点などなかった。自分の聞きたいことではない、白星はまた瑠朱にはぐらかされている気がした。


「それが、どうしたの?」


 白星が問いかけると、瑠朱は、うーん、と唸って俯いた。


「その後、警察とも話したりした後帰ったんだけど、それ以降、その女の子に会えなかったんだよね」不満げに瑠朱は語る。


「すぐに退院したってこと?」


 瑠朱の様子を窺うように白星風美は訊ねた。瑠朱は首を振った。


「その日の夜の内に、逃げちゃったんだって」


「逃げた?」


「うん。病院の人はみんなそう言ってる」


 確かに妙な話ではある。病院にいて、逃げたいと思うことはなくもないだろう。だが、それを実行に移す人はまずいない。


「それは、心配だよね」


 瑠朱の神妙な表情に、白星はなるべく同情を寄せようと言葉を紡ぐ。


「心配なのはそうなんだけど」しかして、瑠朱の顔は晴れなかった。


「なんだかわたし、違うものを助けちゃった気がするんだよね」


「違うもの?」


「その女の子が逃げたの、病院の三階の窓からなんだって」


「三階?」


「そう。三階。入院してるおばちゃんが知ってる人だったからいろいろ聞いてもらったら、逃げた女の子の病室は三階で、窓が勝手に開けられてたから、窓から逃げたって噂になってたんだって」


「それはまた、すごいね」


 なんだか冗談のような話に、白星はどんな顔をすればいいか困惑していた。


「三階だよ。わたしでもそれはやらないと思う」


 なぜ自分基準なの白星はとても気になったが、その一方、瑠朱がやらないなら誰もやらないだろう、とも思ったが結局言わなかった。


「つまり、紅世原さんはその、三階からいなくなった女の子が心配だからいろいろと忙しそうなの?」


 三階からいなくなった、という突拍子のない話に驚いている暇はない。白星は瑠朱の話をまとめ、改めて訊ねた。


 その質問に、瑠朱は顔をそらした。そうだよ、と適当に答えられれば苦ではなかった。だが、瑠朱の性格上、そうそう嘘はつけない性格が邪魔をする。


「そうじゃなくて、なんか、最近こういう変なことが続いてる気がするんだよね」


「変なこと?」


 そう、と瑠朱は相槌を打つ。


「なんかね、もしかしたらずっと前からかもしれないけど、ここ最近、この街は変になっていると思う。わたしは、それが知りたい」


 ――そして、川岸の女の子がいなくなった数週間後に、突如としてこの学校に突然現れた大蔵ラン子。加え、昨日遭遇した二人の少女。どれもこれも、尋常でないのは明白であった。


 だが、一か月前にいなくなった女の子以上のことは白星風美を混乱させるだけだろうし、ラン子のことを交えると彼女の迷惑にもつながるだろう。瑠朱はそれ以上喋らず、風美の反応を伺った。


「そう、なんだ」


 風美の表情にはあいまいな笑みが浮かんでいる。それもそうだろう、と瑠朱は思った。しょうがないので、とことん本音をしゃべるしかないと悟った。


「もしも、その変なことが大きくなって、誰かがそれで不安になるなら、その前に何かしたいって思わない?」


「わからなくも、ないけど」


 風美は返答に困っているようだった。が、そう思う気持ちはもちろんわかる。瑠朱はどうしようかと思案した。


「あ! るっぴーいた! もー、超探したんですけどー!」


 その時、廊下から大声がして、ずかずかと教室まで乗り込んできた。いつも通り髪型もメイクもばっちりの大蔵ラン子である。小走りでやってくると、さっと瑠朱の手を取り、


「ささ、帰ろう!」といって引っ張る。

 言えそうなことは言ってなお煮え切らない様子の風美の様子に困っていた瑠朱にとって、これほど助かることはなかった。


「そうだね。じゃあ、白星さん。また明日」


 半ば連れ去られるように、そして半分逃げるように瑠朱は、風美の小さな返事を聞きながら教室を後にする。


「そろそろさ、手、放してよ」


 校門から出てすぐ。紅世原瑠朱はそういって立ち止まった。瑠朱を引っ張り先を歩いていたラン子も足を止めた。しかして、手は放してくれなかった。


「ねえ、るっぴーがさ、わたしとか、昨日の人たちを助けたのってさ……」


「そうだね。わたしは困ってそうな人がいたら、とりあえず全員助けるよ」


 やっぱり全部聞いていたか、と瑠朱は得心した。


「だけど、それに加えてあなたは、わたしにとって、この街の変なことだから。ラン子さんや昨日の人たちには、聞きたいことがある」


 瑠朱ははっきりとそういった。


「でも、いつか、自分で話してくれるのを待ってて……」


「なーんだ、そうだったんだ!」


 くるっと振り返ってラン子は瑠朱に抱き着いた。


「え?」


 思っていた反応と違って瑠朱は戸惑った。


「るっぴーが言ってほしいっていえばいつでもいったのに。わたしさ、るっぴーが何考えてるのかずっとわかんなかったし、なんでこんなに親切なのかずっと怖かったんだよ」


「え?」拍子抜けした瑠朱の言葉に力がこもらない。


「よかった。るっぴーにもちゃんと目的があって、わたしと一緒にいたんだね」


「うん、そうだけど」どこかとげのある言い方に瑠朱は感じた。


「じゃあ、わたしが知ってること、わたしがずっと内緒にしてたらるっぴーは、ずっとわたしと一緒にいてくれる?」


 抱き着いたまま、紅世原瑠朱の耳元で大蔵ラン子はそういった。これはただ抱き着いているのではない、と瑠朱は漸く気が付いた。まるで拘束されているようだった。瑠朱は小さく深呼吸し、


「別に、行くところがないなら、わたしのところにずっといてもいいよ。でも、誰かに迷惑をかけるのはなし」


 と伝えた。もとよりそのつもりであった。体力少女は精神面でも持久戦をとうの昔に覚悟していたからだ。


「わたし、迷惑かけてた?」


「かけてないよ。今まで通りのラン子さんだったらずっと歓迎するよ」


「それじゃあやだ、けど、今はそれでいいや」


 どっちなんだろう、と思いつつ、


「納得した?」と尋ねる。


「うん。じゃあ、帰ろう」


 そういってラン子は瑠朱から離れる。


「ねえ、早くー」


 一歩二歩、三歩、前を進んでいくラン子は振り返って瑠朱に言う。


「うん。そうだね」


 ――わたしは結局、あなたが何を考えているのかはわからなった。

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