1‐7 ルージュとギャルとサイボーグと騎士

 同日、二十時十九分。十封市内、十封中央公園。


 十封警察署楢奇橋交番勤務の警察官、舟部正弥巡査は、漸く通報のあった現場へ到着した。


 通報内容はいたってシンプル、中央公園の高いところで不審な眩しい光を見た、である。いっそのことユーフォーを見た、とかだとネタにもできようが、通報者の言は変えることができない。


 十封市の中でも最も大きい公園である中央公園の広大な駐車場へパトカーを止め、はてさてこのなんとも言えない通報、どう処理しようかと思案していた。


 さっきの雨では雷も落ちていたし、多分それを心配した通報だろう。念のため火事でも起きてないか一通りみてから、問題なし、と報告して終わりである。


 高いところ、というざっくりした目撃談を信じるならば、この公園のハイキングコースぐらいは登ってやろう、そう思って案内板を探す。ぽつ、ぽつ、と立っている街灯を頼りに歩き、懐中電灯を振り振り、案内板を照らして道を確認する。


 ――派手な落書きで大変見づらい。


 単にスプレーで引いた特に意味のないものなのか、それとも彼らのチームを表す記号なのかは不明だが、不気味な文様が描かれていた。おそらく、ここ最近市内で活発な落書き犯の犯行であろう。ふと、今回の通報との関連が頭をよぎったが、通報されたときは雨が降っていた。そんな中で落書きをするのも妙である。無関係か、そう思い懐中電灯を下げたとき、小さな違和感があった。


 それを知らせてくれたのは、懐中電灯を下げて気づいた、何かの破片であった。透き通った小片を見、舟部正弥は、そも、なぜ己が案内板をわざわざ懐中電灯で照らしているのか、と思ったのである。案内板こそ、街灯で照らされてしかるべき。気になって頭上へ懐中電灯を向けると、やはり無残に砕かれた街灯が、不気味に割れた頭を垂れていた。


 雷のいたずらかあるいは事件か、不審な光はともかくとして、有事であると正弥の直感は判断した。犯人がいたとしても、もうこの公園にはいないだろうが、とにもかくにも連絡だけは入れておこう。そう思い、無線に手をかけた瞬間である。


 バチン。


 派手な音が背後で響く。はっとして振り返ったが、何もない。ただただ、街灯が照らす駐車場までの道を示すだけ――。


 バチン。


 その音で舟部正弥は漸く何が起きているのかに気付いた。彼が見える中で最も遠くの街灯が、消えたのである。


 バチン。


 さらに一つ。


 バチン、さらに一つ。


 遠くから、街灯が一つずつ、消えていく。


 無論、スイッチが切れたとは考えにくい。そう、今まさに、何者かが街灯を壊しながら近づいている!


 バチン、バチン、バチン!


 本来なら、大声を出して警察であることを伝え、ただちにこの破壊行為を伝えるべきだったであろう。だが、なぜか彼の体は震えることすら許さないほど、わずかにも動かず、ただ、だらだらと脂汗ばかりが流れ出るのみ。そう、彼はどういうわけか目の前の出来事に恐怖していたのである。


 バチン。


 ついに、最後の街灯と相成った。緊張し固まる彼を尻目に、しかし、街灯は消える気配がまるでない。


 さすがに、人がいることに気付いたのだろうか。


 わずかに安堵し、懐中電灯を下げようとしたとき、ついに、バン、と大きな音を立て、あたりが一瞬で暗黒に染まった。


 彼が来た道を照らし、彼が行こうとした道を示していた街灯、その全てが消えていた。それどころか、彼が持っていた懐中電灯ですら消えている。もはや、何かの事件という範疇を越している。怯えた彼は、気づけば拳銃に手を伸ばしていた。その時だった。


 ――ジジ、ジジ。


 と、小さな音を立て、案内板を照らす街灯が復活したのである。


 急に差した眩しい光に面食らう正弥だったが、ついにその顔が青ざめる。眩しい街灯の光に当てられて、街灯より爛爛と輝く二つの瞳が、彼を見下ろしていたのである。


 ――べしゃり。


 さらに、彼の顔面に巨大な雫が落ちる。ぬっとりとした温度を持つそれは、雨上がりの臭いをかき消す、魚の腐敗臭を思わせる濃密な生臭さを放つ。


 それが落ちてくる瞬間を見ていたから、舟木正弥は知っている。それが、巨大な目玉を持つそれの、さらに巨大な口から、牙の隙間から垂れだした唾液であることを。同時に、唾液を被った皮膚が火で炙られたかの如く、猛烈な熱を持ち始めた。


 誰もいない公園に、一人の男の絶叫が木霊する。銃声が六発鳴り響き、やがてあたりは静かになった。


 ***


 警察無線に舟木正弥巡査の最後の言葉が記録されていた。あまりにも荒唐無稽な言葉であったが、その切迫した語調に、当時それを聞いた警察署員は皆、舟木正弥巡査が最後に訪れた公園に急行したという。


 その最後の通信は、舟木正弥巡査が現場に臨場する原因となった通報よりはるかにシンプルであった。


『鬼だ! 鬼がいる!』

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