1-5 ルージュとギャルとサイボーグと騎士

「るっぴー、ねえ、るっぴーってば」


 紅世原瑠朱にしては珍しく、彼女は朝の白星風美の問いかけを引き摺っていた。時刻はとうに放課後を過ぎ十九時。あたりは夕日ではなく暗雲に包まれていた。そろそろ雨が降るのは間違いなさそうだ。


「何? どうかした?」


 少し間をおいて瑠朱は大蔵ラン子に返事をする。


「ずっと無視されたら寂しいんですけどー」


「ごめんね。ちょっと考え事してた」


「えー、何考えてたの? もしかしてわたしのこと?」


 ラン子の何の気のないであろう言葉に、思わず瑠朱は、すごいね、と漏らしてしまった。


「え? マジ? え、どうしよう、ちょっとはずい!」


「大声出さないで。みっともないよ」


 相手にしていると疲れるので適当に返事をする。


「っていうかさー、るっぴー、帰らないの?」


 もう暗くなるよ、そういって腕に絡みついてくるラン子のことには突っ込まず、


「週末のボランティア清掃の下見しとかないと。今週時間取れそうにないからね」


 明日はもっと本格的に剣道部の面倒見ないといけなさそうだし。


「えー、雨降るよ。帰ろうよー、傘だってさー、ってあ! いいのか、え、マジで? 相合傘ってマジ? ねえ」


 マンガみたーい、とラン子ははしゃいだ。


「はい、ラン子さんの傘もあるよ。くっついてると差せないから離れてね」


 そういって瑠朱は鞄から取り出した折り畳み傘を強引にラン子へ押し付ける。


「やだー。相合傘するー」


「駄目。危ないでしょ」


 と、駄々をこねるラン子を瑠朱は一蹴した。ケチー、という抗議の声を無視して歩く。


「あとさー、下見ってなにすんの?」


「小学生も参加するから危ないゴミは先に拾っとくの。ほら、ゴミ袋あげるね」


 ラン子はしぶしぶゴミ袋を受け取りながら訊ねる。


「危ないゴミって何?」


「うーん、尖ったゴミとか、それとか……空き缶とか」


「それ拾ってたら意味なくない?」ラン子は反射的に単純な疑問を口にした。


「でもゴミ落ちてたら無視できないでしょ」


「うっわー、るっぴー真面目ー、でもそこが、すき」


 そういっている間に二人は学校から徒歩十五分、一本の橋に差しかかかる。昼間であれば車も通る大型の橋である。その歩道の手前、そこで瑠朱の足がぴたりと止まった。彼女はそこから、広大な河川敷を眺めていた。土日であれば家族連れや大学生などが、その是非はともかくバーベキューなども楽しんでいる姿が見られるほど広い。


「どったの?」


「ううん、別に。雨降ってきたね」


 半分は話題を逸らすためだが、瑠朱の言う通り、橋の柵に小さな斑点が広がっていく。


「あ、じゃあわたしが傘差してあげ」


 バサ、と音を立てて瑠朱は傘を広げた。


「じゃあわたしが入るね!」


「さっき渡したでしょ。傘が目に入ったら危ないから離れて歩いて。あと剣道部の帰りだから多分わたし臭うよ」


「それはそれであり」


「みっともないこと言わないで」


 橋を渡って少し。十封市の西に広がる山あり谷ありグラウンドに川、芝ありの広大な公園、十封中央公園に到着する。子育て支援を基軸に中長期的に市内を改造してきた十封市のとっておきの施策がこのバカでかい公園であった。そして今週末、紅世原瑠朱たちが参加する清掃ボランティアの舞台でもある。


「雨降ってきたし、ぱっとみて帰るよ」


「じゃあそのゴミ袋とゴミ挟むやつしまおうよ」


「トングね」


 そうじゃないしー、というラン子の小言を背中に瑠朱は歩く。もともと高度成長期の折、何もない山の中の土地を切り開いて作られた十封地区ニュータウンの公園である。山を活かしたとはよく言ったもので、ちょっとしたハイキングコースも用意されているほど。ファミリー層に向けたレジャー施設という触れ込みだったが、瑠朱には開発しきれなかった当時の人々の諦めを感じる。現に、ここから先は県境の山間である。


「いたずら書きされてる。これも消さないと」


 派手に何やら記号がスプレーされた案内板を前に、独り言つ。スマホがあればメモでも書き込んでいたが、両腕がふさがっているので諦めた。落書きの下のハイキングコースを見て、さすがにそこまでは下見できないと踏み、ランニングコースを中心に回って帰ろうと瑠朱は考えた。雨も降っているし、歩きすぎると自分はともかくラン子が持たないだろう。


「雨無理ー、おんぶしてー。もしくは抱っこ」


 早歩きに切り替え、一刻も早く帰ることを優先しよう、そう思った矢先であった。


「きゃっ」


 背後から悲鳴。勿論理由は、雨雲をぴしっと割いて落ちた雷が原因であろう。瑠朱も思わず跳ねてしまったほど大きかったのだから。確かに遠くはなかっただろうが、まさか目の前に落ちたわけでもあるまい。とはいえ、


「大丈夫?」


 と心配の声をかける。


「うん。大丈夫。ありがと。やっぱりるっぴーって、優しいね」


 俯きながらラン子は言った。それに対して、瑠朱は遠くハイキングコースの先を見ていた。


「ありがとう。それじゃあ山に登るよ」


「嘘。優しくない。なんで?」


 ラン子の顔に絶望が広がっていく。


「だってあれ。絶対なんかまずいでしょ」


 そういって瑠朱がトングで指す先、ハイキングコースの中腹に怪しげな光が立っている。


「なにあれ」


 ラン子は己の素直な心を言葉にした。


「わからない。けど、危ないゴミかもしれないからに行く拾いに行くよ」


「どう見てもゴミ挟むやつじゃ無理じゃん」


「トングだよ」


「トングじゃ無理じゃん」


「じゃあ、ラン子さんは先に帰ってて」


 そういって瑠朱はさっさと歩いていく。ラン子はぽつぽつと置かれた街灯が照らす真っ暗な道を振り見て、


「え、いや、それも無理……」


 と漏らして瑠朱の背中をついていく。普通の山道なら雨の中歩くなど論外だが、さすがにファミリー向けの公園のハイキングコースである。そこまで足を取られることもない。持ち前の体力を振るい、瑠朱はハイキングコースを光に向けて突き進む。


 そんな彼女へ文句の一つでも言おうかと思っていたラン子だったが、歩けば歩くほど息がどんどん上がっていき、言葉は呼吸となって口の端から逃げていく。今更であるが、この体力お化け、紅世原瑠朱についていくには、自分も彼女の毎朝のルーティンに付き合わなくてはならないのではないか……そんな恐ろしい考えが頭をよぎり始めたとき、瑠朱が足を止めたのをラン子は見た。息が上がりきっていたラン子にもわかる。目の前にまばゆい光を放つ何かがある!


「大丈夫ですか?」


 そしてそれに駆け寄る瑠朱に対してはほとほと呆れざるを得ない。少しは警戒した方がよい、とアドバイスしようとしたが、ぜえ、ぜえ、という呼吸しか出なかった。傘さえ捨てた彼女に対し、ラン子は息も絶え絶えながらに慌てて寄って、濡れないように傘をかざしてあげた。不本意ながら相合傘と相成った。


 果たして、そうして見える光源の正体とは。


「え、誰?」


 瑠朱が肩をゆすり、大丈夫ですか、と声をかけているのは人間、のようだった。あまりにも奇妙な状態である。頭はヘッドホンのようなものでがっちりと固定され、太さ様々な金属のワイヤー、あるいはチューブのようなものが全身に絡み、まるで縛られているような姿の女性がそこにいた。まばゆい光を放っているのは、それらのワイヤーの基部となっている装置についているライトが原因だった。ラン子はドラマで見たことがある手術室の巨大なライトを思い出していた。


「返事はないけど呼吸はある。心臓も動いてる」


 ほかに突っ込むところあるよね、とは口が裂けても言えなかった。自分の呼吸が整っていても無理だろう。あまりにも要素が多すぎたし、大蔵ラン子はそもそもそこまで頭がよくなかった。目の前の情報を飲み込むか無視するか理解するかで詰まっていたのである。故に、


「髪色ヤッバ」


 という目の前の状況に対しあまりにも浅い感想を口にするのみであった。確かに青一色とはずいぶんと派手であったし、染まり方からして脱色しているのは間違いなく、むしろウィッグか何かかと訝しんだほど。しかもその長さたるや、腰まであるのではないか。つまり、手間と何より美容室代がかかっていそうだった。つまり、ヤバいのである。と、突然その、髪色のヤバいの彼女が大きく咳き込んだ。


「大丈夫ですか? 痛いところはありますか?」すかさず瑠朱が大声で訊ねる。


「あ、あなたは……」


 瑠朱の声かけに気付いたのか、グルグル巻きの彼女が口を開いた。無数のワイヤーの下でも胸が激しく上下しているあたり、何かの発作にでもかかっているかのように見えた。おそらく、雁字搦め状態でなければ体をくの字に曲げて苦しんでいたであろう。


「わたしは紅世原瑠朱です。痛いところや苦しいところはありませんか」


「クゼハラ、ルージュ……あなたがわたしの」


 息を切らしながら、彼女は妙なことを口にする。


「名前は言えますか? 痛いところは?」


「わたしは、アメノ……痛いところは、ない」


 アメノと名乗る彼女はぐい、と身をよじってワイヤーから逃れようとするが、余程きつく巻かれているのかほどけそうにない。


「少し待って下さい。ほどきますから」


 いや、無理でしょ、とラン子は思ったが、この体力少女はワイヤーの間へ強引に指を差し込みこじ開けようとしていた。


「るっぴー、とりあえず警察とかに連絡しようよ」


「駄目。とにかくわたし達で何とかするよ」


「マジで?」


 何故と聞いても答えは返ってこないだろう。


「家のノコギリか剪定鋏で切れるかな?」瑠朱はワイヤーを外すのを諦め、背負って運搬しようとしている。


「ルージュ、わたしは……」


「あーもう、わたしも手伝うから!」

 登ってきただけでも死にかけたのに、この重量物を背負ったらどんなことになるのだろう、とは考えないことにした。

傘を畳み、鞄に適当に突っ込む。そして瑠朱と一緒にラン子はそのアメノと名乗る彼女と謎の道具一式を、肩を組むように掴んだ。重い。瑠朱が半分以上持ってくれているはずなのに、凄まじい重量だった。


「マジで重い。るっぴー、これ無理だよ」


「そうですか。でも、ラン子さん。そのまま、一人で持っててください」


「なんて?」


 それなのに瑠朱は驚くべき言葉を口にした。こんなもの一人で担いで帰れるわけがない。


「あー、死ぬ! マジで無理! ねえ、るっぴー、わたしのこと嫌いになったの?」


「違うよ」


 そういう瑠朱の様子がおかしいとこに、ラン子は遅れて気づいた。そこから先は一瞬であった。瑠朱は素早く身をかがめてグルグル巻きの彼女を放棄、地面に捨て置いた傘を手に取り、えい、と闇の中に一突きした。


 その闇の中、グルグル巻きの彼女の基部のライトが照らす先に、人型の何かが瑠朱へ跳びかかるのが一瞬見えた。そして、どしゃり、と土に何かが転げる音がする。


「痛っ」


 さらに、その闇の奥から普段の瑠朱からは想像もつかない、小さく弱弱しい声が聞こえた。


「るっぴー!」


 ラン子は反射的に声を上げていた。必死で体を動かすと、ライトが絡み合う二つの人影を映し出した。


 ――血。


 おそらく人だろう、銀色をまとった何かが、瑠朱の腕に噛みついている!


「るっぴー!」


 もうこんなものに構ってはいられない。ラン子が背中の彼女とその他を捨てようとしたときである。


「もーど、えまーじぇんしぃ、ぶーと、すりー、ぽいんと、ぜろ」


 背後からまるでモーター音のような無機質な声が聞こえた。と、同時にぱきん、ぱきんと、尋常でない音がする。もう無理、とラン子が背中の彼女から離れる前に、それは大地に立ったのである。


「え、何?」


 どしゃ、とアメノは己を縛り付けていた装置を、体を振って地面に落とす。落ちて曲がったライトが彼女を下から照らしあげた。おそらく、ぱきんぱきんという尋常でない音はワイヤーが千切れた音であろう。


 装置から解き放たれた彼女は、泥の中から足を引き抜く。ブーツのような見た目であったが、滑らかな白銀の金属光沢を放っている――否、彼女は全身金属光沢を放つボディスーツをまとっているようだった。色や光沢を除けばほとんど全裸のシルエット、身長百八十センチメートル近いであろう彼女の姿になんかエロい、とラン子は場違いに考えていた。


 そんな視線を知ってか知らずか、彼女はぐりんぐりんと肩を回して己の体の具合を確かめつつ、真っすぐに揉みあう二人を睨みつけていた。


 その様子に気付いたのか、瑠朱の腕に嚙みついていた人型はすばやく瑠朱から離れ、じっとアメノを睨み返した。まるで獣であった。だらんと両腕をたらし、中腰で濡れた髪の隙間から獣の様な視線をずっと送っている。


「警告一。直ちにそこから離れなさい」


 アメノは機械的に言葉を発す。しかして、彼女の言葉は届いていないらしい。


「警告二。警告を聞かない場合、実力を持って排除行動に移る」


 まるで機械。否、本当に機械なのかもしれない、ともラン子は思った。


「警告三。改善が見られないため、実力行使に移行する」


 そういって彼女がわずかに身をかがめた時だった。


「ちょっと待って。二人とも落ち着いて!」

 二人の間に瑠朱が入った。あまりにも無謀な行動であった。なにせ、警告を口にする彼女に向いていた瑠朱は、己の背後から迫る人型が跳びかかるように身を起こしたことに気付いていない。


『我輩を使えよ』


「あー、もう!」


 それに対して、誰よりも早く行動したのはラン子であった。鞄から素早くスマホを取り出し、


「るっぴーは目を閉じる!」と叫んだ。


 ――催眠アプリ〈サマエル〉


 憎しと感じるより早く、ラン子は己を支配するそれを起動すると、ぐいと人型の顔面に突きつける。


「何もすんな! バカ!」


 彼女の行動にようやく、自分が襲われかけたことに気付いて瑠朱は振り返った。だが、そこにいたのは、スマホの画面に照らされて、ぺたんと座り込んでいる一人の少女であった。


「るっぴー、なにやってんの。危ないんだからね!」


「……ごめんなさい」


 瑠朱は素直に謝った。


「警告三。実力を持って……」


「あんたも静かにして!」


「わたしは……」


「お願い、実力はなしで」


 瑠朱がそういうと、ようやく元グルグル巻きの彼女は静かになった。


 そこでやっとラン子は深くため息をついた。そして、目の前の瑠朱、座り込んでいる金髪少女、仁王立ちの金属カラーの彼女をぐるりと見ると、


「なにこれ?」


 と結局、目の前の情報を処理しきれずに疑問を口にした。


 ふう、と瑠朱はため息を一つ。そして一言。


「とりあえず、みんな連れて帰るよ」


 もちろん、ラン子は反対だったが、すでに鞄を、傘を拾う彼女を見て説得は不可能と察した。幸いに雨はやんでいる。


「アメノさん、歩けそうですか」


「可能」


 さらに、すでにこの未知の彼女とコミュニケーションまでとっている。


「指示に合言葉を用意したい」


 そして、アメノは要求を増やした。


「我は、それである。もしもわたしが困ったり、動揺していたりしたらそう伝えてほしい。それであなたの指示は通る」


「わかりました」


「どういう意味? るっぴー慣れるのヤバくない?」


 ラン子は茫然と言った。


「あなたは? 名前とかわかる?」


「あ……」


 それどころか、自分の腕に噛みついた人間にまで普通に話している。


「そうだ、るっぴー、腕!」


 制服が真っ赤に染まっているのを見てラン子は叫んだ。肘から先はまるで別の服のようであった。


「大したことないよ。それより、荷物だけ持って。わたしはこの子背負うから」


 そういってラン子に荷物を押し付け、座り込む少女の前に背を向けしゃがみ、掴める? といって背中に抱き着くように誘導し、あなたはついてきて、とアメノに指示を出す始末。


 ラン子はすべてを諦め、散らかったワイヤーや装置は見なかったことにして、飛散した荷物を拾い集めることにする。トングにゴミ袋、瑠朱が投げ捨てたついでに飛び出てしまった教科書などを鞄に詰めると、すでにせっせと下山を始める瑠朱の後をついていく。


 すでに先を行く背中を見ながらラン子は思う。もっと自分が賢かったら彼女を止めることも、もっと事態を丸く収めることもできたのかな、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る