1-4 ルージュとギャルとサイボーグと騎士

 その日、紅世原瑠朱は校舎内をただずっとうろうろしていた。別に誰かと待ち合わせしているでもなく、授業の補習があるわけでもなし。部活もボランティアもなし。ただ、なんとなく帰る気がしなかったのである。遠くでは部活中の生徒の声が、耳をすませば吹奏楽部のラッパの音が聞こえる。多分、単純に帰りたくないだけなんだろう、と紅世原瑠朱は自己分析していた。そんな放課後の十八時。気づけば一年生の教室の前にいた。


 何の気なしに中を覗いてみると、もちろん人影は見当たらず、夕日で伸びた机の影が床に寝ているのみである。


 去年はここで勉強したなあ、などという気持ちは、とくには沸かなかった。ただ、どこかその光景に安心している自分がいる――本当に?


 下級生の教室を覗いている上級生というのも妙である。さっと体を廊下へ引っ込める。と、その時であった。


 ――カタン。


 最初は自分の鞄からスマホが落ちたものかと思った。が、それよりも体は正確に事実へ向けて的確に反応していた――さっきまで見ていた無人の教室へ、である。


 例えば中途半端にひっかけていたスクールバッグがついに落ちたり、立てかけてあった箒かなにかが倒れたりすることもあるだろう。


 だが、教室の中は実に静かだった。


 ただ、あえて異常を探るなら、一人。ぽつんと窓際の一番後ろの席に人影が増えている、のみ。


 夕日の中でもわかる染めた茶髪にピンクのメッシュ。そもそもこの学校の制服を着ていない少女が、さも当然といった姿で机の上に座っている。


 あまりにそうあるのが当然といった雰囲気をまとっている故、一瞬思考が止まったが、改めて瑠朱の脳がこれを異常事態と判断した。さっきまでいなかったはず、というのを置いておいても、なぜか全身を脱力させ、廊下側の一点を見つめているのはなんとも危険な雰囲気であった。


「あの、大丈夫ですか?」


 紅世原瑠朱はすぐさま駆け足気味に少女に寄ったが、案の定相手は何も反応を示さない。さらに肩を叩こうと一歩近づく。足に、彼女の物と思しき鞄が転がっており、少々躓く。だが、それより彼女の体調が心配だった。それを蹴散らし、正面から少女の視界に割って入った。


「聞こえますか?」


 少女の視線の向き先は妙であった。どこに焦点を合わせているのかわからず、わずかに揺れる頭と泳ぐ瞳にどうすべきか逡巡した。なにかの病気、発作だろうか。瑠朱は彼女の肩をゆすり声をかける。


「大丈夫ですか?」


 すると、彼女の体からふっ、と力が抜けたのを感じる。背中側へ倒れこみそうになる彼女の体を、瑠朱は慌てて抱き留めた。頭を打ってはさすがにまずい。ついで、抱きしめたおかげで彼女の心音も呼吸もあることが分かった。そのことに、瑠朱は心底安心した。


 そのとき、ぶぶ、と小さな音が足元から聞こえた。気になって視線を落とすと、スマートフォンが落ちていた。派手な女性モチーフのキャラクターのイラストが描かれた背面をこちらに向けているため、画面に何が映っているかはわからない。もしかしたら彼女の家族からかもしれない。身をかがめて瑠朱がそのスマートフォンに手を伸ばそうとしたが、


「ダメ!」


 突然少女が声を上げたのである。

「ごめんなさい。あの、大丈夫ですか? さっきまで呼びかけても……」


 顔を上げると少女と目があった。倒れこんだ彼女を抱き止めた都合、二人の顔は異様に近い。


「あ」


 少女はそう小さく漏らすと、急に口を覆ってうずくまった。


「これを使ってください」


 致し方なし、肩から下げていた鞄を下して彼女の前に広げてあげる。ノートも教科書も買い直しか、などと思う余裕もなかった。瑠朱はいたって当然の反応として、次いで彼女の背中をさする。吐くなら吐いてください、としっとり念じた。


「……くぜはら、るーじゅ?」


 だが、少女は突然、彼女の名前を呼んだ。おそらく鞄の中のノートか何かに書いた名前を読んだのだろう。この名前、よく読めたね、という言葉はさておき、


「そうですけど、それより……」


「ううん、大丈夫だから。あ、とにかく、その……」


 顔をそらし、うずくまりながらそういう彼女の足に腕をかけ、よいしょ、というのは憚って、瑠朱は軽々と少女を持ち上げた。あっと言う間にお姫様抱っこの完成である。


「とにかく、調子悪いなら保健室行こう。そのあといろいろお話してね」


「え、ちょっと、ちょっと待って」


 そんな彼女の言葉を耳元に、駆け足で紅世原瑠朱は保健室まで走ったのである。

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