ルージュとギャルとサイボーグと騎士 

1-1 ルージュとギャルとサイボーグと騎士 

「最近、娘が反抗期なんだ」


 熊木浩介、二十六歳。株式会社クラウドフロンティアに勤める会社員。好きな煙草の銘柄は、ラッキーストライク。高校生のころ再放送で見たアニメの影響である。彼はいつも出社時刻の三十分前にはビルの喫煙所にいる。おかげで遅刻には無縁の男であった。


そんな彼をアテにして、最近同じく三十分前にやってくる人物がいた。それが、百合畑公也である。


「はあ、そうですか」熊木浩介は気がない返事を相手に送る。


「本当に高校生の娘には困ったものだよ」


 熊木の話し相手、百合畑公也。歳は四十後半ぐらいであろうか。年の割に白髪が目立ち、分厚い眼鏡は心なしか黄ばんで見える。総じてさえない印象を持たれがちの男であるが、それでも第三営業部の部長である。ソフトウェア開発を商品とする株式会社クラウドフロンティアにおいて、近年の情勢を鑑み海外展開を担当する今更気味の、それでも新進気鋭の部署を担う男である。ちなみに、熊木浩介は開発部に所属しているため、仕事上の関りはほとんどない。なのに、百合畑公也は、煙草も吸えないくせして最近喫煙所にやってきては愚痴を言いに来るのである。正直いい迷惑である。


「はあ、そうですか」


 熊木はまだ独身である。ゆえに子を持つ親の気持ちなどわかるわけもない。そろそろ中学生ぐらいになるだろう姪のことを考えてみたが、年始にあったときは妙に警戒されてほとんど喋らなかったことを思い出した。


「最近は本当にいうことを聞かない。学校に怒られても髪は染めたままだし、親がいくら言っても聞かないなんてどうかしている」


「大変ですね」


 髪ぐらい別にいいじゃないかと熊木は思ったが言わないことにした。代わりに二本目に火をつける。


「最近では友達を家に泊めるようにもなってね。もう滅茶苦茶だよ」


「それは、また」色んな意味で賑やかでいいのでは、という言葉を飲み込む。


「しかも、不良だよ。髪染めてるなんてどうでもよくなるぐらいに」


「大変ですね」


「はあああ。あの子だって昔はあんなに素直だったのに見る影もない」


「うーん、少しはやんちゃしたくなることもありますが、気になるんならちゃんと話した方がいいですよ」


「しっかしね、なかなか時間が作れないんだよ。いつも定時に帰れるわけではないからね」


「土日とかはいかがですか」


「家にいないよ、ほとんど。まったく、どこに遊びに行っているのかもわからない。やましいところに行って、誰かに迷惑をかけていないか心配でね。対した金は持ってないはずだから、大丈夫だとは思うけど。おまけに僕だって出張が多いだろう」


「なるほど」


 溜息代わりに煙を吐く。さらに煙草を吸って、こういうことを話すなら、ぜひとも育児経験豊富そうな部長クラス以上を当てにしてほしい、という気持ちを煙に変えて吐く。


「全く、困った困った。じゃあ、そろそろ僕は行くよ」


「はあ、お疲れ様です」


 結局、いつも通り、言うだけ言っていなくなる。毎度のことだが煙草一本吸っていかない。ぷはー、と万感の意を込めた煙を吐いていると、同じ喫煙室にいた一人が、半笑いで近づいてきた。


「熊木さんも大変ですね。いい人やってるとろくなことないですし。たまには悪いこともした方がいいですよ」


 歩道の信号無視とかどうですか、と、つまらない提案をするこの男は国崎信二。同じ開発部だが、別プロジェクトを担当している。一年先輩で煙草仲間だ。


「いつもしてますよ」


「じゃあ、だからだろうね」


 熊木が入社したての頃は国崎が面倒を見てくれていたこともあった。開発の腕はあり、熊木と違って高専を出た後入社してリーダーを務める、ある種たたき上げの男である。しかし、熊木にとって苦手な男ではあった。なにせ、彼は妙に空っぽなことばかり言って人を煙に巻く天才だからだ。


「まあ、百合畑さんの家も大変だからね。離婚した奥さんが亡くなって、その娘さん引き取ってるんだから」


「え、そうだったんですか」


 そこそこ愚痴を聞いてきたはずだが、それは初耳である。


「クゼハラ、ルージュちゃんだっけな。わがままで苗字はそのままがいいといって聞かなかったそうだ」


「……すごいですね」


 苗字をそのままにしたがるところもそうであったし、そもそもルージュなんていうあまりにも『現代的な』名前に熊木は内心辟易した。外国人、ということもないだろうし。


「随分と我が強い子みたいでね。十年前に離婚して、それ以来二年前までは奥さんが一人で育てていたそうだ。女手一人で高校生になるまで必死で娘さん育ててたんだろうし、環境がちょっとあれだったのかもしれない。そんな子を引き取ることになったんだから百合畑さんだって大変さ。愚痴ぐらいはほどほどに聞いてあげなよ。営業部と仲良くするのも大事だし」


 そういって、はー、と煙を一吐きし、じゃあ失礼、と一言告げて、国崎はすたすたと喫煙所を後にする。なるほど、百合畑からすると急にでかい娘ができたようなものなのかもしれない。そう思うと戸惑う気持ちもわからないでもないな、と熊木は思った。だが、


 ふーっ。


 煙草って凄い。国崎の忠告も百合畑の愚痴もどんどん口から鼻から流れていく。ふーっ。


 時間を確認してもまだ余裕がある。今日はいつもより一本多くてもいいだろう。吸い終わるころには全部すっきりしているはずだ。


 ***


まさか、自分が一喫煙所で話題になっているなどと、当の本人は知る由もない。彼女の名こそ紅世原瑠朱。


 そしてこれが百合畑公也の一人娘、紅世原瑠朱の世間の認識の一つである。

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