Rock Around The Clock
「今、五番目だって!」
サラが大きな声で言った。
轟音が鳴り響くライブハウスでは、大声でなければ、話しが聞こえない。
いや、大声でも聞こえないから、相手の耳元に向かって直接話しかけるようにしなければいけない。
裕太のバンドを見るために、渋谷のライブハウスに来ていた。
複数の大学の合同ライブで、裕太の出演は六番目だ。
まだ少し余裕がある。
ライブハウスの内部を見回す。
三百人入るライブハウスだと聞いていたので、もっと大きいのかと思ったが、意外と小ぢんまりとしている。
ここには、さまざまな人間たちがいた。
ドリンクバー近くで酒を飲みながら数人でだらだら話している奴ら、灰皿を囲んでタバコを吸っている奴ら。
ステージでは、バンドが演奏している。
その前のフロアでは数十人の人間たちが立っていた。
音楽を聞いているというよりは、ただぼんやりとその場に立っているように見えた。
ステージの上では、ボーカルが何かを歌っているが、声が小さいので何を歌っているのかわからない。
ギターの音がひたすらに大きすぎる。
ベースの音はもたつき、ドラムはリズムが走っていた。
これじゃあノレないだろうな。
壁側に沿ってサラと二人で立ってステージを見ていた。
バンドの演奏が終わり、フロアが明るくなる。
途端に人間たちの話し声で溢れた。
ステージに向かっていた人間たちが散らばっていく。
突然、サラがなぜか腕を絡めていた。
そればかりか、腰に手をまわし、身体をぴったりとくっつけてくる。
思わず離れようとしたが、力強く腕を捕まれ、また内緒話のように耳元で話しかけてきた。
「いいから黙って嬉しそうにして。いちゃつく振りをするの」
「なんでだよ」
「私はどんな人間から見ても美しい女なの。まわりを見てご覧なさい。隙あらば襲おうとしている野獣みたいな男だらけよ」
自分で美しい女と断言するサラもどうかと思うが、確かに周囲の男はこちらを見ている。
何人かは露骨にサラを指差して下卑た笑みを浮かべている。
「雄が発情しているのはわかったけど、雌が発情してないんじゃ意味ないだろ?」
「人間は猫と違って四六時中、発情している生き物なの。だからあなたは、今日は私の用心棒よ」
そう言って、俺の首に両手で絡みついてきた。
俺も精一杯笑ってみせたが、サラが耳元で「下手くそ」と言ってくる。
俺の顔を見つめ腹立たしい笑みを浮かべる。
お返しに、サラの耳元で「腹黒女」と言ってやった。
サラは「やだぁもぉ」と大げさな声を出して、俺の頬をつねった。
傍から見れば、美しく無邪気な彼女に頬をつねられる、幸せな男に見えるのかもしれない。
しかし実際は本気でつねっているので、目から涙が溢れるほど痛い。
サラは最後に、俺に周囲の男たちを無表情で見るように言った。
その通りにすると、俺と目があった男たちはすぐに目をそらした。
「これで十分ね」サラは俺の腰に両手を絡めながら言った。
足元にオレンジ色の水が流れてきた。
水を辿っていくと、床に転がる空のコップがあった。
どうやらオレンジジュースの入ったコップを誰かが落としたらしい。
床から顔を上げていくと、コップを落とした男の足元から腰、胸が見え、最後にこちらを見ている顔が見えた。
裕太だった。
なぜか絶望的な表情で俺たちを見ている。
まるであと五分で世界が終わると言われたみたいな顔だ。
こぼれたジュースを片付けようと、慌ただしく動いている周囲をよそに、裕太は一人、その場に固まっていた。
サラの呼びかけにも応じない。
何度目かでようやく我に返った。
「お、お二人はすごく仲が良いんですね」裕太が話しかけてくる。
「まさか! んなわけねー……うっ」話している途中で、サラに腹パンを食らった。
「そうなんですよぉ。白石さんは何を演奏するんですか?」サラが話しかけると、裕太は引きつった笑みを浮かべた。
口は笑っているのに、目が笑っていなくてどこか恐ろしさを感じた。
「ミッシェルやります」
「いいじゃないか!」
ビートルズのコピーなのだろうか。
詳しく聞きたかったが、出番は次だと言うので、早々に戻ってしまった。
そろそろ裕太たちのバンドが始まるという頃、後ろから男女の声が聞こえてきた。
「次のバンド、ギターうまいらしいよ」
「二年の白石だろ」
「ミッシェルやるんでしょ?」
「でもボーカル田中先輩らしいよ」
「あちゃー、じゃあダメだな」
「バカお前! 聞かれたらどうすんだよ」
照明が落ちて、BGMの音が大きくなった。
いよいよ裕太のバンドが始まる。
サラはそのまま壁側にとどまっていたが、俺は近くで見たかったので、ステージのすぐ前に行った。
SEが鳴って、ステージに四人の男が出てきた。
黒いテレキャスターを持った裕太が振り返る。
それが裕太だと、一瞬気づかなかった。
顔つき、立ち姿、まとう空気。
すべてがいつもとは違っていた。
黒いシャツに細い黒のパンツをまとった裕太が俺を見た。
図らずもドキリとしてしまう。
いつもの弱々しい雰囲気は微塵もない。
鋭い、すべてを攻撃するような視線がそこにはあった。
ドラムのカウントで演奏が始まる。
その瞬間、音の衝撃派を浴びたように感じた。
先ほどのバンドも大きな音量だったが、迫力がまったく違う。
そしてその迫力の音源は、ほとんど裕太ひとりのものだった。
当然ドラムもベースも音は出しているが、ただ鳴っているにすぎない。
裕太のギターが、バンドの音楽を引き連れていた。
誰よりも早く疾走する裕太をドラムとベースが必死に追いかけているようだった。
裕太は身体のなかで巨大化した鬱憤の塊を吐き出すかのように、一心不乱にギターを弾いていた。
壁が、床が、ビリビリと揺れる。
身体に直に突き刺さるその音に、一瞬、動けなかった。
フロアの客たちも、同じように一瞬、時が止まったように硬直していた。
突然始まった轟音と地響きのような音楽に、圧倒されていた。
しかし次の瞬間には、客は一斉に飛び跳ね始めた。
気づけば俺の身体も動いていた。
勝手に動き出してしまう。
勝手に笑ってしまう。
飛び跳ね、手を上げ、身体をぶつけあった。
しかしボーカルが歌い出すと、高揚した気持ちが一気にしぼみ、体が動かなくなってしまう。
下手すぎた。
何かを叫んでいるが、音程というものをこれまで知らずに生きてきたのではないかと思える歌声だった。
叫ぶことと歌うことの違いを知らないようだ。
どこまでも駆け抜けていく裕太のギターが、失速したような感覚に陥った。
そうしないと、ボーカルとあまりにもかけ離れてしまうからだ。
高く舞い上がった飛行機が、勢いを失い、失速してゆっくりと落ちていくようだった。
なんとか空中で持ちこたえるが、フラフラと危なげに揺れている。
裕太がもどかしそうな表情をした。
当然だろう。
見ているこちらも歯がゆい。
ボーカルは、自分が足を引っ張っていることも気づかずに、気持ちよさそうに歌っている。
何曲かの演奏が終わると、ボーカルが話し始めた。
合同ライブに来てくれた感謝と、自分たちの大学とサークルのことを話す。
裕太以外の三人が三年生で、裕太が二年生だということ、ボーカルが直前で体調を崩して、自分が急きょ加入したこと。
自分は洋楽が好きで、邦楽はあまり聞かないと言っていた。
「白石が、スーツ着て出ようって言うんですよ」
ボーカルが、ヘラヘラ笑いながら裕太を指差した。
「でもダサいじゃないっすか。そういうの。邦楽でありがちだけど、俺マジないと思うんだよね、ああいうの」
完全に馬鹿にした口調だった。
彼らがコピーしているバンドは知らなかったが、コピーしている本人が偉そうに言う必要はないだろう。
ましてや話している張本人が一番下手くそなのだ。
裕太は引きつった笑みを浮かべているだけだった。
客の男が甲高い声で「センパイ、厳しいー」と言った。
客たちに小さな笑いが起こる。
「ごめんねー厳しくってー俺毒舌だからさーでもやっぱ邦楽って、洋楽に劣るじゃん。邦楽好きは否定するけどさ、海外のフェスに日本人呼ばれないしさ、楽器の上手さもやっぱ一段劣るよねぇ」
「一番下手くそなお前が言うな!」
フロアから声が聞こえた。
周囲の客が、一斉に俺を見る。
どうやら俺が発した言葉らしい。
ライブハウスの中から、すべての音が消えたようだった。
ボーカルは「あ? 何だよお前」と俺を睨んだ。
俺はボーカルを指差して言った。
「お前の下手な歌のせいで、聞けたもんじゃない。俺が代わりに歌うから失せろ」
周囲でどよめきが起こった。
俺の言葉が、小さな爆弾のように弾けたようだ。
後ろから「いいぞいいぞー!」と囃し立てる声が聞こえる。
はじめ、ボーカルは真っ赤な顔で震えていたが、すぐに嘲るような笑みを浮かべた。
「そこまで言うならやってみろよ! ……みなさ~ん、とっってもうまいボーカルさんが歌いますよ~」
そう言って、俺にマイクを突き出す。
周囲のざわつきが一段大きくなった。
手を伸ばし、マイクを掴む。
ステージはフロアよりも少し高いだけだ。
簡素な柵をまたいだら、もうそこはステージの上だった。
フロアの明かりは消えていたが、思っていたよりも客たちの顔は見ることができた。
目を輝やかせている奴、品定めの目で見ている奴、呆然としている奴。
フロアの奥の方の奴らも首を伸ばしてこちらを見ている。
壁側ではサラが一人、頭を抱えていた。髪の毛がくしゃくしゃになっている。
隣にいる裕太を見る。
笑みをこらえようとしているのか、口の端が変に曲がっていた。
「次『スイミング・ラジオ』だから」
「なんだそれ」
「へ?」俺の返事に、裕太は素っ頓狂な声を出した。
「知らないぞ、それ」
「でもさっき、ミッシェル知ってるって」
「そうだ。ビートルズかと思ったら全然違うじゃないか」
俺の言葉に口をぽかんと開いた。
数秒間時が止まった裕太が、天を仰ぐ。
「そっちのミッシェルじゃないよ……」
「おいおい、どうすんだよ。収集つかねぇぞ」ベースが言った。
「ザ・フーやりたい」俺の希望を伝える。
「ベース弾けねぇよ」
「じゃあローリングストーンズ」
「サティスファクションしか知らねぇ」
「……パイレーツは?」
「なんで『だっちゅーの』が出てくるんだよ」ドラムの言葉に、裕太が吹き出す。
「もっと最近のバンドやろうよ、エーピーは?」ドラムが言う。
「エーピー? なんだそれ」初めて聞いたバンドだ。
「エーピー知らねえのかよ!」
「早くしろ!」「演奏できないなら引っ込め!」背後から怒号が飛んでくる。
見ると、先ほどのボーカルが数人の取り巻きを囲んで野次を飛ばしていた。
客たちの騒ぐ声が大きくなっている。
「じゃあニルヴァーナ」
「ニルヴァーナも昔のバンドじゃねえかよ」そう言いながらも、全員が演奏できるので、ニルヴァーナを演奏することになった。
『スメルズ・ライク・ティーン・スピリット』の前奏が始まると、客たちは戸惑いながら体を揺らし始めた。
顔には期待と不安が入り混じっている。
俺の歌で、バンドが素晴らしいものになるか、先ほどの二の舞になるのかが決まる。
フロア内に、どちらに転ぶのかわからないスリルと期待感が、風船のようにむくむくと膨れていくのを感じた。
俺はと言うと、身体がふわふわと浮いていくような、奇妙な感触を味わっていた。
歌い出すと、それはより強くなった。
まるで空中に浮いているみたいだ。
サラの家で見た、クジラのドキュメンタリーを思い出す。
海の中を泳ぐクジラを海底から見上げるように撮った映像は、まるでクジラが空に浮かんでいるように見えた。
今、あのクジラのように海を漂っているように感じた。
もちろん、海を漂ったこともなければ、海を見たこともなかった。
ただ、ふわふわと身体が浮き上がり、波の動きに身を任せる心地よさは、きっとこんな感じなのだろう。
小さく揺れていた波が、サビに近づくにつれ、少しずつ大きくなっていった。
ゆらゆらと揺れていた波が、徐々に大きな揺れになり、やがて激しいうねりになっていく。
サビに到達すると、それは津波のようにすべてを巻き込んでいった。
目の前の客たちが最高潮に盛り上がっているのが見える。
客たち自身が大きな渦になり、飛び跳ね、手を上げ、叫んでいた。
後ろに突っ立っていた客が慌ててその渦に飛び込んでいくのが見える。
裕太を見ると、同じように狂乱の渦に巻き込まれているのがわかった。
先ほどまでの窮屈そうな演奏とは違って、渦に巻き込まれながら、楽しそうに泳ぎ回っている。
さっきまでは裕太ひとりが先頭を突っ走り、ドラムとベースが何とか追いつこうとし、ボーカルが足を引っ張っていた。
しかし今は、裕太と俺が先頭を争うように突っ走り、その勢いで発生した渦に、ドラムとベースが巻き込まれていた。
不思議な高揚感が身体を包み、自分ではない何かに突き動かされているようだった。
客がダイブする。俺の歌に呼応して、叫んでいる。
演奏が終わった瞬間、歓声が上がった。
フロアを見ると、ライブハウスにいる客たちのほとんどが、ステージの前に押し寄せていた。
こんなに客がいたのかと、ぼんやり思った。
客たちは興奮が覚めやらない状態で、次の曲を求めた。
勢いのまま、続けて曲を演奏する。
気づけば、すべての演奏が終わっていた。
フロアの客たちが熱狂しているのがわかる。
耳鳴りが止まらなかった。
こめかみから汗が滴り落ちる。
何が起きているのかわからなかった。
ただ興奮した客たちが、こちらに手を伸ばしてくるのはわかった。
どこに行けばいいのか分からなかったが、裕太たちに連れられ楽屋に向かった。
楽屋は小さなスペースだった。そこに、誰のものかわからないギターやベースが無造作に放置されている。
小さな机の上には、タバコの吸殻が詰まった灰皿や、ドラムのスティック、コンビニの袋が置いてあった。
壁には一面、落書きが書き込まれている。
「お前、すごいな! タクヤに喧嘩売ったときはどうなるかと思ったけど」
ドラムが言った。
「誰の知り合い?」と聞かれ、裕太を指差す。
裕太は笑いながら「俺も一度しか会ったことないんだけどね」と言った。
ばらくすると、楽屋にたくさんの人間たちが押し寄せ、俺に話しかけてきた。
裕太も何人かに囲まれて話している。
突然、楽屋の空気が変わった。
見ると、楽屋の入口にサラが仏頂面で立っていた。
まずい。すっかり忘れていた。
謝ろうとするとサラが抱きついてきた。
周囲からどよめきが聞こえる。
「最高だったわよ!」
そう言って頬にキスをした。
どよめきが、囃し立てる声に変わる。
口笛を吹いたり、騒ぎ立てたりする声でやかましかった。
男たちの羨むような視線を全身に感じた。
当の俺は、普段のサラとの違いが恐ろしくてしょうがなかった。
ふと裕太を見ると、騒ぎ立てる男たちの後ろで、壁に頭を打ち付けていた。
「この後の飲み会、黒田も来るよな?」
すべての出演バンドのライブが終わると、ベースが当然のように言った。
俺は飲み会とやらに参加してみたかったが、俺が返答する前にサラが「私たち、家が遠いから帰るわ」と言った。
引き止める奴らを尻目に、俺はサラに引っ張られるようにして渋谷駅へと向かった。
とっぷりと日が暮れたというのに、街は人間で溢れていた。
どうやら渋谷という街は、夜行性の人間が集まる場所らしい。
道玄坂を下っていると、大きなビルの前、広場のようなところに人だかりができていた。
そこに近づくにつれ、あまりの人の多さに、前に進めなくなっていった。
周囲から聞こえてくる話によれば、広場で行われていたイベントに、有名タレントがサプライズで登場したらしい。
それによって、多くの人たちが殺到し、通行が詰まっているとのことだった。
ゆっくりと進んでいた列が、どんどんスピードが落ちていく。
前に行きたくても、進めない。
気づけば、後ろからも人が押し寄せていて、身動きが取れなくなっていた。
それどころか、無理やり動こうとする人たちで、自分の意思とは別の場所に流されていた。
「ちょっと待って!」サラの声に我に返るが、気づいたときには人の波に流されていた。
人波に逆らおうとするが、流れが強くてできない。
こういうときは、逆らわずに流れに身を任せた方がいい。
そのまま流れに身を任せようとしたが、一向に動く気配がない。
そのうちに道路側にどんどん押し出されていった。
よく見ると、車道の向こう側の道路には、ほとんど人がいない。
どうして皆あっち側にいかないのだろう。
人ごみをかきわけ道路へと飛び出た。
遠くから、車がこちらに向かって走ってきていた。
一瞬、恐怖がよぎるが、迷っている暇はない。
反対側の道へと走る。
クラクションの音が鳴り響いた。
これまで恐怖に感じていた車が、それほど怖くなかった。
反対側の道には、ほとんど人がいなかった。
振り返ると、先ほどまでいたところは、人間が団子のように固まり、不気味に蠢いていた。
サラもあの中にいるのだが、見つけるのは困難だ。
仕方なく、先ほどの道を戻ることにした。
ライブハウスの前には女がいた。
大きく胸元が開いた服に、厚手のコートを着ている。
身体を冷やしたいのか温めたいのかわからない格好だ。
女は俺を指差した。
「今日、ニルヴァーナ歌ってたよね?」
鼻に何かが詰まっているような声だった。
頷くと「めっちゃ良かったよぉ」と言って飛び跳ねた。
大きな胸がゆさゆさと揺れる。
人間の女は妊娠をしているわけではないのに、いつでも乳房が膨れている。
サラは、高い生殖機能を有していることのアピールのためではないかと言っていたが、やはり不思議だ。
「もぉエッチ! そんなに見ないでよぉ」女はわざとらしく胸を両手で覆った。
言葉とは裏腹に、とても嬉しそうだ。
「もしかして、飲み会行く?」
「そうだ。仲間とはぐれて行き先がわからなかったんだ」半分は本当だ。
「じゃあ一緒に行こ! あたしエミ。名前は?」
俺が名乗ると、「黒田くんかぁー」と言いながら、腕を絡めてきた。
大きな胸が腕に当たる。ベタベタされるのは好きではないが、柔らかい感触は満更でもない。
飲み会の会場に着くと、俺の姿を見た数十人の男女が一斉に騒ぎ出した。
案内された席には、長机になっていて、たくさんの男女が座っていた。
目の前には裕太が座っている。
すでに酒をかなり飲んでいるのか、顔が赤かった。
裕太とバンドの話をしたかったのに、周りの男女が鬱陶しい。
俺は誰なのか、どこの大学か、バンドをやっているのか、なぜ歌がうまいのか、今日歌っていたのは英語じゃなかったが何の言語か。
てきとうに答えて、裕太に話しかけるが、なぜかほとんど言葉を返してこない。
不貞腐れたような様子で、こちらを見ようともしなかった。
「それよりお前の彼女、すんげえ美人だよな」ニキビ面の男が言った。
口には品のない笑みが浮かんでいる。
「彼女じゃない」
うんざりして言うと、なぜか男たちが騒ぎ出した。
「マジで?!」
「あんだけイチャついてたのに」
「外国人は普段からああいうスキンシップするんだよ」
「すげえな」
「セフレじゃねえの」
「ベッドテクすごそうだな」
サラが飲み会を嫌がった理由がわかった。
到着してから十分も経っていないが、すでに帰りたくなっていた。
「どういうことだ」
目の前の裕太が、身を乗り出して聞いてきた。
普段の眠たそうな顔からは考えられないほど目を見開いている。
その迫力に気圧されて「ただの親戚だよ」と言った。
「普段からあんなスキンシップしてるの?」「あれはナンパよけ。今日の俺は用心棒だってさ」
「でも一緒に住んでるんでしょ?」「お前だって姉貴と一緒に住んでるだろ? 俺とサラの関係はそれに近い」
「サラさんって彼氏いるの?」「よく知らないけどいないんじゃないの」サラについていける男がいるとは思えない。
裕太が立ち上がり、机に置かれたどでかいコップを持った。
これは皆に飲み物を効率よく分配するためのピッチャーというものだと、先ほど教わった。
裕太はピッチャーのビールをゴクゴクと一気に飲みだした。
周囲から囃し立てる声が聞こえる。
口の端からボトボトと飲み物をこぼしながらすべて飲み干し、ピッチャーを机のドンと置くと、両手を上げ叫んだ。
「やったーーーーー!!!!!!!!!!」
裕太の声につられ、周囲も大きな歓声を上げる。
なぜ騒いでいるのか誰もわかっていないはずだが、理由なんかよりとにかく騒げれば良いらしい。
他の机でも、同じようにピッチャーで一気飲みしようとする男たちが現れた。
店員が止めに入る。
それでも一度打ち上がった盛り上がりは、膨らみ続けた。
騒がしさのボリュームが一段大きくなる。
目の前に手が差し出された。
見ると、先ほどよりもいっそう顔を赤くした裕太が、手を差し出していた。
「おれ、おみゃいのこと、ぐぉかいしてたよ」
だいぶ呂律が怪しくなっていたが、たぶん誤解していたことを詫びているのだろう。
とりあえず握手をする。
「俺、お前とバンドを組みたいんだ。俺がボーカルでお前がギター」
「いいにぇ! 俺のギュイターに、おみゃいのボーカルなら、しゅんげえバンド……」
言葉が最後まで続く前に、裕太はピッチャーにゲロを吐いた。
周囲の騒ぎ声が、叫び声に変わった。
こうして俺は、裕太とバンドを組むことになった。
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