恩寵の儀

「どうしよう、これ」

 聖屋と合流するつもりで、軽く向こうを探ったら、何やらえらいことになっていた。


 蛇宮ヒルメ、全身打撲、および空中で急激な負荷による意識喪失

 鏃アカメ、左腕欠損。


 それなりに高い戦闘能力を有する探偵、ふたりを相手取ってここまでの損傷を与えた相手は。


「意識のあった・・・聖屋さんの証言によると『土蜘蛛』の蜻蛉型怪人だそうです」

 子機を飛ばし、探偵事務所の建物内の会話を盗聴して得た情報をヤマメさんが説明する。

「何とかして、彼に話が聞きたいけど」

「無理そうですね。今は医務室で緊急治療中。当分は出てこれないかと」


 本来「怪人」アオマントなら、左腕がもぎ取られた程度の負傷は何ら問題ない。

 先刻ケラに用いた「癒酒」だけでなく、鍵織ツナゲ、マッドだけど治療能力に関しては随一のこの男にかかれば、それこそ生首だけになったとしても、生きてさえいれば再び再生出来る。


 だけど今あそこにいるのはあくまで探偵鏃アカメ。


 探偵は概して神の恩寵により高い身体能力を持つ。これは単なる膂力や感覚などに留まらず、負傷や病から治癒する力すら常人を上回る。

「だけどさすがに四肢欠損は無理だよ」

 こうなると数日後の作戦に参加は無理だろうし、治療にも時間がかかるはず。

 つまり医務室にこもり切りになる。当然私たちから連絡するのも困難になる。

 下手に接触しようとして、探偵鏃の素性が怪しまれたりしたら目も当てられない。それは彼もよくわかってるはず。

 折角、ことの初めから正面から私たちの息のかかった者を潜り込ませることが出来たのに、第11探偵団を潰そうとした矢先にこれとは。

 横槍なんてもんじゃない。


 やってくれたな、土蜘蛛。


「こんな真似をしたのは・・・蜻蛉とか言ったけ?」

「飛行能力持ち。最初に向こうから蛇宮ヒルメに襲い掛かったそうで」

 ヒルメ。このままじゃ本当に私が勝手に帰ったせいで傷ついたことになる。

 それは嫌だな。



 私の身体が点滅していた。消えて、再び現れて。

 その場を一歩動く毎に六歩進み、たまらず退けば七歩進む。

 恩寵を受ける為の祭壇の周りのあらゆる空間に自分が広がるようで、どこにもいない。

 わたしは。

 体内にたった今宿った力が、爆発しそうな焦燥感が高まり、かつ全身の感覚が苦痛を感じる程高まっていく。

 わたしは。



 これはわたしの記憶。

 3年前。

 何も知らず何も考えていなかったわたしの世界。


「きみはきっといい権能を神様から授けられる」


 恩寵の儀の直前、部屋で気分を落ち着けているわたしを尋ねてきたフシメ兄さんは、そう言っていつものように笑った。

「この儀を経て、ヒルメもとうとう探偵になる。本当の意味で蛇宮になるんだ」

「わたし、立派な探偵になれるかな? ・・・お母様やカキネ兄さんからは落ちこぼれ扱いされてるのに」

 さすがにそうまではっきり言ってくるのはこのふたりくらいだけど、他の家族も腹の中では同じように思ってる。

 それくらいわたしでもわかるんだから。

 例外はこの人だけ。

「いつも言っているだろう? 僕はヒルメの、蛇宮の可能性を信じている」

 照れることもなく真っ直ぐにフシメ兄さんはわたしの目を見て断言する。

「なぜならきみは蛇宮で。蛇宮の全て神様の為にあるんだから」

「・・・ごめん。フシメ兄さんが何を言っているのか、よくわからない」

「探偵になればわかるさ、きっとね」

 ・・・本当に?



「・・・・遅い。時間に合わせることも出来ないのか、愚妹」


 祭壇に到着早々、久しぶりに顔を合わせたカキネ兄さんにお小言を貰った。

「時間通りだと・・・思うんですけどぉ」

「こういう場合は指定された時刻より10分早く到着するのが常識だろう」

 初めて聞いた。

 それにもしそうしたとしても、今度は時間を守れとねちねち嫌味を言ってくる、間違いない。

「お前に期待はしていないが、蛇宮として立ちあわねばならない。だから早く済ませろ、無能」

 相も変わらず辛辣な口調を絶やさない。

 わたしだって、今まで自分なりに修練やら、積み重ねてきたんだけどな。

 それが効果を発揮してるかは別問題だけど。

「思いあがるなよ」

 そんな夢想など無意味というように、兄は妹に現実を教える。

「今のお前の未熟な『空間干渉』など、本来なら恩寵に相応しくないものだ」


 名探偵の恩寵。

 自身に帰依する者を、その眷属、探偵とし、同時にその名に相応しい異能を授ける儀式。

 根本的に気まぐれで予測不能な神の行いだが、今の社会制度の根本に係ることであるだけに、凡その共通認識は形成されている。


 曰く、恩寵には「個々人が習得した異能、技術といったものを神の力で強化する」場合と「全く新しい異能を零から生み出し授ける」場合の二通りがある。

 生まれた時から「空間干渉」の技術を修めてきた蛇宮の人間は当然前者の場合が多い。


「家の決まりだからこそ、仕方なく今日の儀は執り行われる。そのことを忘れるな、無能」


 またセリフの末尾で人を流れるように罵倒してきた。

 そりゃ今も最前線でバリバリ活躍してるカキネ兄さんに比べたら、誰だって無能に見えるだろうけど。

 ・・・身内だから余計に期待して、その分失望するってこと。

 それは・・・嫌だなぁ


「・・・・・・・・・・・・・・・早くしなさい。ヒルメ」

 そしてこの人はその逆。

「母さん、えっと・・・今日は」

「無駄なことを言わないで」


 蛇宮ユリカ、わたしの母はいつもと変わらぬ口調で話す。

 叱責のようで、それはこちらに向けたものじゃない。

「早くしなさい」

 淡々と同じ言葉を繰り返す。

 こちらの反応などまるで意に介さない。あるのは徹底的な無関心のみ。

 彼女は儀式を控えた実の娘にすら興味を抱くことはなかった。

 彼女の中ではわたしは既に見切りをつけた存在。一度そう認識すれば決してそれは変わらない。


 蛇宮でも最高位の干渉能力を有するユイカにとって自己の外部は全て操作対象に過ぎない。

 そういった認識に他の蛇宮も持つ、神に使える自分は全て正しいという独善性が組み合わさって、彼女の内面を歪めていた。


 今ならそうだとわかるけど。


 儀式は礼拝堂で行う。荘厳な雰囲気の空間は、人が神に繋がるのに相応しい清廉さで満ちていた。

 入るのは初めてじゃないけど、主役として立つと、全く印象が異なって見えるな・・・

 そしてそんな思考も脇に追いやられる。


「行け。くれぐれも無様な姿を晒さぬよう・・・」

「じゃあ、ヒルメ、ここからはきみひとりだ。また後で・・・」

「・・・行きなさい」

 どこか遠くから聞こえるようなそれらの声に適当に上の空で返事をして、わたしはふらふらと夢遊病者のような足取りで中央の祭壇に歩いて行った。

「では・・・・これより儀を・・・・」

 祭壇の前には司祭服の男がひとり立っていた。外部から来た人だろうか。

 彼が言葉を発する前から、既にわたしの中で変貌が始まっていた。



 見られている。


 まず脳裏によぎったのはその直観だった。

 何か巨大な存在が蛇宮ヒルメという人間の根幹を覗いている。

 その形に相応しいものを、神意により与える為に。

 ともすれば羽虫のように吹き飛ばされそうな自我を、何とか繋ぎ止める。

 傍目にはただ黙って司祭の言葉に耳を傾けているように見えて、わたしの心は外部から濁流のように注がれ続けるものを必死に制御していた。


 何!? こんなの聞いてない・・・


 そんな思考をすることすら致命的な隙となるとわかっていても、混乱する脳は止まらない。


 カキネ兄さん、フシメ兄さん、それに母さんもこんな体験を経て探偵になったっていうの!?


 痛みも苦痛もない。それどころか暴走する力は生まれて初めて感じるような高揚感を与えてきて、だからこそ恐ろしかった。

 ここで身を委ねれば決定的に変わってしまう。その恐怖が全身を貫いて。


「・・・・・・・・・・なるほど」


 唐突に声がした。

 性別も年齢も感じさせず、ただ彼我の距離を否応なくこちらに見せつけるような超越性を感じさせるものだった。


 これって・・・あり得ない。

 たかが一個人に、名探偵が自ら声をかけてくるなんて。


「悪くない」

 こちらの感情に一切頓着せず、ただ試験結果を告げるようにその声は続ける。


「そうであるなら、ものは試しだ。他のとは変えてみるか」

 実験結果を見る科学者、戯れに蟻の行進の進路を塞ぐ子供のような口調でそう言う。


「蛇宮ヒルメ、名探偵である私が力を与える」

 その言葉と同時に、わたしの中で荒れ狂う奔流が、再び変容を開始した。


「探偵。お前の在り方はこれにより決定された」

 止めどなく流れる力が型にはまる。その形が固定化する。

 探偵としてのわたしが生成されていく。

 生成、聖性付与、身体器官変性・・・・・・・・・・・・

 瞬く間に蛇宮ヒルメという人間の全てが探偵へと作り替えられる。それはまるで再びこの世界に生まれたかのようで。


 そして、その工程が全て終わったと私が感じた時。祭壇には静寂が戻っていた。


 あの存在、顔も名前も知らない名探偵はもう二度と語りかけてくることはなかった。

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