ズレ

「ヒルメ・・・」

 始めにわたしに声をかけてきたのはフシメ兄さんだった。

「おめでとう」

「・・・・・・・・え?」

 何だろ。笑顔の兄さんだけど、言っていることがわからない。


「これできみも立派な探偵だ」


 探偵・・・そうだった。わたしは儀式を受けてたんだった。一瞬記憶が飛んでた。

「・・・・終わったようだな」

 カキネ兄さんも祭壇に近寄ってきた。

「取り合えず、問題なく上手く行ったようで良かった」

 嫌味のひとつは覚悟していたけど、あっさりそう言われただけだった。


 ・・・・あれ? 問題なく?

 いきなり名探偵が接触してきたのに。それが異常極まる事態だということくらい、わたしにもわかる。

 なのに誰もそれを言わない。

 まるで儀式の最初から、わたししかいなかったように。

「・・・フシメ兄さん、それにカキネ兄さん。儀式の時、わたしはどんな様子だった?」

「? 何を言っている。一言も話さず立っていただけだろう」

 カキネ兄さんが怪訝な顔で答える。

「まあ予め言い含めておいた通りだな。無作法な真似をしなかったのは・・・いやそれくらい曲がりなりにも『蛇宮』ならば当然か」

 さらっと毒のあることを言われたけど、今は問題じゃない。

 わたしは文字通り、身体そのものを作り替えるような衝撃を受けていたのに。傍目には黙って素直に立っていたって。

 何度叫び、倒れ伏したかわからないくらいだったのに。


 わたしと他がズレてる。


「さあ、ヒルメ。次はいよいよきみの探偵としての最初の仕事だよ」

「え」

 物思いにふける暇さえなく、やたらテンションの高いフシメ兄さんが急かすように話す。

 この人こんな性格だったっけ?

「蛇宮ヒルメ、きみの探偵としての権能のお披露目だ」


 権能。そうだ。この儀式はその為のものだった。


「・・・・場所は演習場でいいわね」

 初めて母さんが口を開いた。

 本当に必要最低限のことを事務的に伝えるだけ。わたしが物心ついたころから彼女はそうだった。

 名探偵、神の近くへ引き上げられる程に、その走狗たる探偵は力を増し、同時に精神は人からかけ離れたものになる。


 特に彼女は蛇宮の中でも極まった性質の持ち主。

 蛇が古い皮を剥ぎ取るように、自分自身に頓着しない。ひたすら前に進むことしか考えない。

 その為世代を経る程探偵としての能力は高まり、まっとうな倫理観から逸脱する、それが蛇宮。

 間違いなく当代一の蛇宮である蛇宮ユイカが、娘に徹底的に無関心なのもそのせい。


 まして蛇宮ヒルメは、ここに至る血筋の全てを受け継いでいるはずなのに、期待された成果を今まで一切達成出来ていない失敗作。

 ここに顔を見せたのも、娘を案じるのではなく、あくまで蛇宮が血縁者の立ち合いを定めているから、ただそれだけ。


 そのことはわかっていたつもりだけど。


 今この時、母さんに他にもっと言葉をかけてほしい。

 何故かそんな考えが頭をよぎった。


 そしてその願いは二度と叶うことはない。




 蛇宮が誇る様々な施設の中でもとりわけ目立つ「演習場」

 屋外に設けられ、干渉系の能力を数人の探偵が同時に振るっても、外部に影響しないよう、十分な面積と防壁を持つ。

 恩寵の儀を終えたばかりで、能力が未知数な探偵であっても、ここなら万が一の時に備えることが出来る。

 その為蛇宮以外の人間も能力の試射はここでする場合が多い。

 ・・・わかっていても、いざ自分がするとなると、話は違うね。

「じゃあ、頑張ってね」

「では、始めろ、ヒルメ」

 ふたりの兄に、相変わらずこっちを向いているのかもわからない母親。そんな家族の見守る中。

 探偵として蛇宮ヒルメが初めて権能を発動する。


 って言っても上手く出来るのか、全く自信がない・・・


 探偵が発動する時。そのイメージは個々人により違うらしい。

 例えばフシメ兄さんは周囲の全てを絵具で塗りつぶす。そうして自分の望む色に変えることを想像すると言っていた。

 それを初めて聞いた時、わたしは全く何を言っているのか意味がわからなかった。


 周囲が自分の色に染まってくれるなんて、どうして信じることが出来るんだろう?


 周囲に干渉する探偵は似たような考えをトリガーに使ってる場合が多い。

 後からそう習っても、それをイメージすることはわたしには無理だった。



 そして探偵となった今も、それが全く想像出来ない。


「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」


 3人の無言の視線が重い。

 いや、わたしだって探偵になったらピカ―って感じで、頭の中の歯車がかみ合うように理解出来ると考えてたんだよ。

 でもダメなの。

 自分に都合のいい現実が想像出来ない。



「思いあがってはダメよ、ヒルメ」

「え?」

 母さんが目の前にいた。

「あなたにそれは無理なのよ」

 わたしの困惑をよそにユイカ母さんは、今まで聞いたこともないような感情のこもった口調で、セリフを続ける。


「あなたの望む色に周りが染まることも、願った奇跡が起きることもない」

 辛辣な内容とは逆に、その声はどこか優しくて。


「だってあなたは、わたしたちはどこまでも空っぽだから」


 だから告げられた事実はわたしの核を抉った。


 あの時。名探偵に触れてわかった。

 あれには届かない。勝てない。脱皮を繰り返した果てに待つのは単なる消失なのだから。

 自分で自分の尾を喰らうまでもなく、塵ひとつ残さず消えるだけ。


 名探偵を見抜いて、それを滑稽と笑っていた・・・

 名探偵は正しい、間違えないのだから・・・


「えっ・・・」


 今わたし何を考えた? すごく変な、まるで名探偵にとってわたしたちの存在は心底どうでもいいみたいな。

 それは否定。今まで蛇宮の一族が積み重ね、わたしが受け継いだ全てが無意味だということ。


「・・・・ひっ」

「ヒルメ?」


 カキネ・・・いやフシメ兄さんが何か言ってるけど、耳に入ってこない。

 今考えたことが、真理なのだと確信したから。


「おい、答えろ」

 カキネ兄さんの言っている言葉がただの音の羅列にしか聞こえない。


「お前は何をしているっ!?」


 その声もどこかズレて聞こえるばかり。


 そうだ。

 人も空間も時間も、周囲の全てから蛇宮ヒルメはズレている。


 空っぽな蛇宮の末裔。

 自分たちの一族が長い歴史の中で為したことは、無意味の集積に過ぎない。

 誰も彼もが自分こそが神の心を理解していると吼えるこの家族といる内に、無意識に封じていたのがその悟り。

 空っぽな一族の末端としてその結実たる空虚さの化身。

 それが蛇宮ヒルメ。


 その時わたしは初めてそれを認識した。

 同時に周囲が歪み始める。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ない。

 言葉はない。

 ただ、わたしは


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・い、いやぁぁぁぁぁぁ!!!」


 その認識に耐えられなかった。

 そしてその痛みはすぐに外界に顕現する。

 時間がズレる。空間がズレる。

「・・・・・・・!!」

 ああ、遠くで誰かが意味の分からないことを喚いている。

 目の前の人、誰だっけ。何も言わずにこっちを見ている。

 言いたいことがあるんだろうか。


 意味などないのに。


 その認識のまま、世界の色が強制的に、わたしの混乱の色に塗り替わる。

 空間にズレが生じた。

 わたしのズレが世界に伝播する。その結果、周囲のあらゆる建築物が一瞬で切断された。


 ダメだ。


 これは外に出したらダメだ。

 その最後の意地のような感情で膨れ上がるズレをわたしの中に押しとどめようとする。


 わたしの中へ。

 空っぽな蛇宮ヒルメの中へ。


 わたしは。

 空っぽなわたしは何処にもいない


「・・・・あああ!」

 なんとか周囲に「ズレ」が生まれるのを防いだ。でもそのことももうわからない。

 抑えたズレが増殖し続け、身体も精神も、蛇宮ヒルメの存在そのものを喰らいつくそうとしているのだから。


「何で? 何でなんですか、神様!?」


 何故わたしを見捨てたのか。

 その理由は明白。

 初めから名探偵はわたしたちを見ていなかった。


 全身を切り刻むような痛みがはしる。

 空っぽだから、その身体はゼロに戻るだけ。

 自分の足元が崩れ、自分の存在が掻き消えていく。


「いやぁぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 その苦痛と恐怖の中で、わたしはそう叫ぶことしか出来なかった。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!」

「・・・・・・・・・・・・・・」


 周りで誰かが叫んでいる。

 わからない。

 無の汚泥に沈んでいくわたしには何も聞こえない。

 自分の総量がゼロに近づく。

 僅かな思考の間にも、身に宿った権能が、わたしの自滅を加速させる。

「・・・・・・・・・・・・・」

 総体が無へと還るその刹那。


「ありがとう、あなたはその無意味、その空白をもって蛇宮に意味を与えてくれた」


 懐かしい声を聞いた。


「だから、ここから先はあなたは・・・・・好きに生きなさい」


 それに何か言い返そうとしても、一言も発することも出来ないまま、わたしの意識は暗闇に消えた。



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