第22話 両目

 物部家の屋敷は静かになった。

 狂乱していたばあ様は大口を開けて泡を吹いている。気がついたらばあ様は死んでいた。士郎にかけた呪術が破られて、呪い返しで死んだのだろう。

 大叔母と大叔父もいない。駒田の者たちは鉄平に命令されて車に乗り込んでいる。


 これで物部も駒田も終わりだ。

 慶三は士郎の服を持って、丸鏡の部屋に行った。着替える士郎を見て、白い肌にあるあざや痩せて浮き出た肋骨を見て胸が痛くなった。


「ごめんな、士郎。おまえが抱えてる事に気づいてやれなかった」


 慶三は士郎の頭をなでて、謝った。


「にいちゃんが謝ることじゃないよ。にいちゃんは、母さんと父さんが死んだあと、よく遊びに誘ってくれたよね。キャッチボールしたの覚えてる?」

 

「うん、覚えてる」


「本当の兄みたいに思ってるよ。大学受験の時も勉強教えてくれて、結果発表はおじさんと一緒に来てくれて。だから、今も見守っていて欲しい」


「わかった、わかったよ」


 慶三は泣くのをこらえて言った。

 丸鏡が光を発している。三つの鏡がそろったとき、士郎は依り代となり不老不死となる、半分、人ではなくなってしまう。ばあ様はこれをスーパーオノシタの地下で行い、地下に士郎を依り代として閉じこめ、呪術の力を強化しようとしていた。

 それは防げても、士郎が人でなくなってしまう。

 士郎は美しい顔で、微笑んでいる。

 

   ※



 真琴と竹丸が店に到着した時、店はすでに荒れて自動ドアが開いていた。暗闇の中を懐中電灯で照らして進んだ。


「もうダメだよダメだ、どうしてもきれいにならない」


 スズキさんがしゃがんで泣いていた。陳列棚はすべて倒され、冷凍庫が壊れて床は水びたしになっている。生臭い臭いと生ぬるい空気に吐き気がした。上も下も霊だけだ。天井からは手や足や首が垂れ下がり、床を舐めている霊、ずっと叫んでいる霊、プリンセスは泣き叫んでいる。


 地下への蓋は開いていた。


「私が先に行きます」


 リンドウが言った。

 助かった、と真琴は思う。ここがどういう場所か中がどうなっているかは知っているが、入ったことがない。地下からは強い恨みを感じた。

 竹丸が険しい顔で階段を降りた。 真琴は竦みそうな足を踏み出した。


 ガタガタガタガタ。

 地下はすさまじい振動音がした。

 天井まで積み上げられた黒い棺桶、中央の祭壇に丸鏡が置いてある。


「みんな帰りたいよね。だから今はこの人たちに従って」


 リンドウが言うと、棺桶の揺れが酷くなった。今にも棺桶の山は崩れそうだ。

 鏡から、真っ黒な大きい手が出来た。指が太く手のひらの分厚い、ぬうっと出てきた頭は大きい。鏡から出たのは、巨大な赤ん坊だった。


 真琴の奥歯は震えた。


 赤ん坊には目がない、口は大きく開き、大きな手をさまよわせ、首を左右に振っている。黒い煙を全身から噴出している、それを吸い込むと頭の中に「怨み」の感情でいっぱいになった。

 赤ん坊は丸鏡を隠してしまった。


 赤ん坊の手がリンドウにあたった。倒れそうになったリンドウを竹丸が支える。リンドウの魂はリンドウに飲み込まれたと真琴は直感した。


「あれ、竹丸くん?」

 

 良子の声がした。


「竹丸、良子ちゃんをここから連れ出して早く!」


 良子の悲鳴がした。真琴は赤ん坊の前に立ちはだかる。頭痛がして全身が怖気立つ。目をぎゅっと閉じると、まぶたの裏に逃げまどう人々の姿が見えた、黒い肌に銀の髪、紫色の瞳をした人々が日本刀で斬られる、体を斬り裂かれ心臓を貫かれ、子供が首をはねられる。そのたびに真琴の体を痛みが貫いた、これだ、これを士郎は一身に受けていたのだ。


「わかった……わかった、どれだけ辛かったか。すべてを憎み怨んで当たり前だ。解放してあげる、山へ返してあげる。だから鏡を渡して」


 真琴は息を整えて言った。


「いやだ」


 拒否の声が地下に響いた。


    

    ※


「何があったか説明する暇はない。ごめん、逃げて」


 良子は焦っている竹丸を見て、うなずいて走っていった。彼女が店から逃げていったのを見て、竹丸は地下へ入る。

 頭痛と耳鳴りがして目を閉じると、切り裂かれた人々の姿が見えた。殺され、呪術に利用された一族の痛み苦しみ恨みで全身が切り裂かれそうになる。


「いやだ、いやだ」


 赤ん坊は低い声で首を横に振っている。


「どうすれば、鏡を渡してくれる?」


 真琴が問いかける。


「目が欲しい。おまえたちの目をよこせ」


 赤ん坊が言った。

 竹丸は息を吸い込んだ。強い怨念を鎮めるには、それぐらいのことが必要か。真琴と顔を見合わせる。真琴のつり目がちな黒い瞳を見つめる。


「わかった、俺の目をやる。だから俺たちに従ってくれ」


「いいえ、私の目をあげる」


 真琴がリュックから角に尖った切っ先を出した、真琴は隙を吸い込んでカッターナイフを左目に刺した。


「あ、あぁああああ!」


 叫びながら、真琴が深く目にナイフを突き刺して引き抜いた。血が床岩に落ちる。

 荒い息をしながら、カッターナイフを右目に向けた手首を竹丸はつかみ、自分の右目へと引き寄せた。


「刺してくれ!」


 竹丸は抵抗する真琴の手首をつかんで、カッターナイフを右目に突き刺す。激痛に歯をくいしばって耐えて、真琴と同じだけ深く突き刺した。血にまみれたカッターナイフが落ちる。


「なんであんたまで……」


 真琴が泣き声で呟いた。


「約束したでしょ。二人で士郎さんの為にって」


 痛みをこらえて竹丸は少し笑う。

 真琴がタオルを渡してくれた。竹丸は真琴の左目にそっとタオルを押し当てた、真琴がタオルを竹丸の右目に当ててくれて、痛みが不思議なほど引いていく。眼球を突き刺したのに、この程度の痛みかと不思議だ。真琴の血は温かい。


「ありがとう」


 低い声が響き、赤ん坊が目を開けた。大きな目で地下を見回す。ガタガタと棺桶が動く。


「見たかった、ずっと目が欲しかった。わたしはこの世に生まれてこれなかったんだ」


 赤ん坊の体が小さくなっていき、丸鏡に吸い込まれていった。

 真琴が鏡を抱き抱える。

 竹丸は鉄平に連絡をした。真琴の手を引いて地下から出て、事務所の救急箱から包帯を出して真琴に目に巻いた。真琴が竹丸の目にも包帯を巻いてくれた。

 

「不思議と痛くないし、失ったなんて思わない。これが士郎くんの為だと思えばなんともない」


「同じ気持ちです。愛の力ですね」


 竹丸と真琴は笑いあう。


「あー、喉乾いた」

 

 真琴は言いながら店にふらついた足で店に行き、倒れた棚の下からビールを二つ取り出した。投げられたビールを受け取り、真琴と竹丸は乾杯する。竹丸は飲酒運転だから、と断った。真琴はビールを一気に飲み干した。

 間もなくして、店の前で衝突音が続いた。十台の車が連続して前の車にぶつかっていてる。


「行こう」

 

 バイクの後ろに乗った真琴は、竹丸と自分の体をしっかりとジャージの上着で縛った。


 片目なのに不思議と視界が狭くなっていない。安全を確認して竹丸はバイクを発車させる。 


 真琴が持った丸鏡は、カーブミラーの光を受けて閃光を放った。バイクのバックミラーには黒い赤ん坊がはいつくばっていついて来ているのが見えた。

 前方では首のない黒い体の子供が飛んでいる。左にはお腹の大きな黒い影、右には片腕がない男の黒い影があった。怨霊たちがついてきている。

 山道を登る。途中で鏡を自転車の前カゴに載せ、必死で坂道をのぼっている宮田とすれ違い手を振った。


    ※


 屋敷が揺れ始めた。士郎と慶三は丸鏡を持って庭に出た。地響きがしている。

 竹丸のバイクがこちらに来るのが見えた、後ろには巨大な黒い赤ん坊がいて、首のない黒い子供の霊は宙に浮いていた。

 バイクを降りて鏡を持った真琴が近づいてきた。

 真琴と竹丸を見て、士郎は息を飲む。


「二人とも、その目! 血が……」


 真琴は左目を、竹丸は右目に包帯を巻いていた。血がにじんでいる。


「あの巨大な赤ん坊が目をくれないと丸鏡を渡さないって言ったから。目をあげたの」


 真琴が淡々と言う。


「大丈夫ですよ。ほら、あの赤ん坊、怨霊の塊なのか……目を大きく開いて森を見てる。見たかったものを見せてやれたみたいだ」


 竹丸の口調も軽い。


「なんてことしたんだよ! 二人がそんな、片目を失うなんて……そんなの僕に押しつけてくれたら」


 士郎は真琴と竹丸の血で塗れた顔を見て、泣いた。予想外だった。何度も地下の怨霊と会ってきたが、目を欲しがる者はいなかった。なんで自分じゃなかったんだ。

 士郎は顔を隠して泣いた。


「痛くないよ、士郎くんの為なら。士郎くんの目じゃダメだった、私たちが運命だった。顔上げてよ」

 

 真琴に肩を抱かれて、士郎は涙を袖で拭き真琴を見つめる。


「俺の目じゃないとダメだった。そう思ってくれよ、お願いだ、もう悲しむなよ」


 竹丸に背中を抱きしめられた。

 真琴の髪が首筋をなでた、やわらかい唇が頬に触れた。竹丸の腕の中はとても温かい。

 とても愛されている。こんなにも愛されていいのだろうかと想うほど。


「愛してる。ずっと、ずっと愛するから」


 士郎は竹丸の腕をつかんで、真琴の肩を抱いて力強く言った。


「さあ、終わらせよう」


 士郎は涙を振り払って、前を見た。宮田も鏡を持って到着した。 

 三つの鏡がそろった。

 鏡を三角形に置いて、士郎はその真ん中に座った。地響きは激しくなっていく。

 

「おいで」


 士郎は両手を広げて、巨大な赤ん坊に向かって言った。赤ん坊が近づいてくる。士郎は光に包まれて目を閉じた。


 

 士郎は森の中にいる、生まれたばかりの黒い肌の赤子を抱いていた。産まれてこれなかった子供が産まれた。

 士郎は赤子をあやして、森の中を歩いた。

 光と緑の美しい森だ。紫色の目をくりくりさせて、赤子は森を見ている。不思議な一族が穏やかに暮らしいた。虐殺の罪を、士郎は物部の末裔としてつぐなう。


「目をもらってよかったね、君が産まれるべき世界はここだった」


 士郎は赤子に語りかけた。


「ありがとう、私の子を連れてきてきくれて」


 木陰から女性が出てきて、赤ん坊を受け取った。続々と黒い肌と銀色の髪の人々が出てきた。


「どうか私たちの骨を、森に返してください。私たちはここで生きていました」


 背の高い男性が語りかけてくる。

 士郎は膝をついて大地の匂いを嗅いだ。人々が生きてきた匂いがする、地層から幸せな生活の音がする。


「生きて……もっと生きたかったよね。突然、殺されてしまうなんて、なんて惨いことだろう。もっと生きたかったのに」


「そうわかってくれたことが、救いになるよ。さあ、顔をあげて」


 柔らかな女性の声に導かれ、士郎は前を見た。


「はい。あなたたちを僕は慰霊すると約束します。どうか、ようやく、安らかに」


 士郎は頭を下げて言った。

 

 

 目を開くと、赤子は消えていた。


「山が崩れるぞ!」

 

 慶三の叫び声が聞こえた。竹丸に手を引かれ、車に乗る。

 物部家の屋敷は倒壊した。

 山の一部が地崩れをおこし、無数の骨が露わとなった。

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