第12話 スズキさん

 物部慶三の両親は別居している。物部に婿入りした父の方が物部家の財産にしがみつき、母はそれに呆れ果てていわく「死んだものと思っている」らしい。慶三も母寄りの考えだ。呪術で私腹を肥やす物部家が嫌いだ、関わりたくないが監視するために慶三はスーパーオノシタの副店長をやっている。物部家の霊能力を受け継いだ自分の使役だと慶三は

責任を持っている。


 スーパーオノシタは平成初期までは「物部商店」だった。物部家の衰退とバブル崩壊で、駒田に買収されて中小スーパーとなった。

 スーパーの忌み地を増幅させようとするのは阻止してきたが、物部の屋敷がある山の管理については父親が慶三を警戒しすべて秘密裏に行っている。

 スーパーの親会社、駒田にも探りをいれたがここでも門前払いされた。


 久しぶりに屋敷に来るように言われ、夜八時で店を閉めたあと、慶三は車で屋敷に行った。

 近寄らせないくせに、呼び出す時は駆けつけてくるのが当然とする態度に腹が立つ。


 たいそうな日本家屋の屋敷は久々に訪れると、カビの匂いがした。霊媒で村の権力を牛耳った家は凋落した。分家まであった一族も、今やばあ様と大叔父と大叔母、慶三しかいない。家を継いだ大叔母と大叔父の子供は三十代で病死している。


「なぜ士郎を連れてこなかった」


 物部家の現当主である祖母が、低い声で言う。座敷の中央に座している祖母は九十歳、体を二つに折り畳んだ体制で眼孔を光らせている。


「士郎はここへは連れてきません。彼は物部の因果から解放する。士郎は尾之下神社の子だ」


「おまえ、何を勝手なこと言ってるんだ。戸籍では士郎は物部の物だ」


 父がとげとげしい声で叱りつけてくる。久しぶりに見た父は白髪が増えて顔にはどす黒いしみができて、老けていた。


「士郎を物扱いするな。もうこれ以上、犠牲を払うべきではない。スーパーオノシタも俺の手に負えなくってきた。土地を浄化する時では?」


 かっかっかかか、と祖母が笑った。


「愚かなことを言うな。あの土地を浄化できる訳がない。いいか、次は士郎を連れてこい。こなければこちらも手を打つぞ。士郎は人ではない、あれは産まれた時からバケモノ、地下に閉じこめておくのが賢明なことよ」


「ばあさん、それは脅迫か? あんたらの権力の時代もそろそろ終わりだ、何かあれば警察に通報する」


「なんだと! おまえは裏切る気か!」


 怒鳴ってきた父を慶三は冷たい目で見た。


「犯罪行為は家族だろうと許せないのは当然だろう」


「慶三、おまえの危機感の無さには呆れる。おまえも感じているだろう、スーパーの地下の呪術をおさえこむために依り代が必要だ。呪いが決壊したら大変なことになる、おまえも死ぬかもしれんぞ」


 父が暗い目つきで言う。


「すべての元凶はこの家だろう。ばあさん、あんたが死ぬ前になんとかしろ。士郎は絶対に依り代になどしない、士郎は人間だ」


 慶三は言い放って立ち上がる。


「おまえ、母さんに向かってなんてこと言うんだ!」


 胸倉をつかんできた父を突き飛ばして屋敷から出ようとすると、玄関に大叔母が立ちふさがっていた。

 何年もくしを通していないような長い髪で目が隠れている。ふーふーと荒い息を吐いて、口をゆがませて大叔母はどんどんどん! と地団駄を踏んだ。息子を亡くしてから大叔母は病んでしまっている。


「士郎を連れてこい、依り代にするんだ。あの子を連れてこい、連れてこいって言ってんだよ! 物部の苦しみをわかれって言ってんだよ!」


 大叔母がわめいた。


「何万人も苦しめた物部一族が、救われると思うな。士郎を依り代にするなど、とんでもない」


 慶三は大叔母を見下して言った。

 屋敷を出て、煙草を吸う。


 駒田からスーパーオノシタに出向してきた社員は、何人か消えている。


 ーーー物部さん、俺は駒田の脱税を知ってしまったんです。だからここに流されたんですよ。流された奴は消えるんだって噂があって、俺は怖いんだ。


 三年前にスーパー駒田からオノシタへ出向してきた農産チーフが、慶三を飲み屋に誘ってきた。男はひどく酔っぱらって、泣きながら言っていた。家に送り届けてたのが姿を見た最後だった、若い奥さんが「ご迷惑をおかけしました」と謝り、パパーと駆け寄ってきた子供は五歳ぐらいだった。

 未だ行方不明とされているが。

 

 殺されて山に埋められているのではないか。ぞっとするが、慶三はそう考えてしまう、スーパーオノシタが封印している虐殺された民族の魂は山に帰りたがっている、それをさせぬため、山により強い「怨み」を吸わせているのではないか。

 

 それは、山の禍々しい気配が増しているからだ。

 そして、祖父から読まされた物部家の呪術についての本に「人柱がいる」と書かれていたことが忘れられない。


 警察へ物部が多額の賄賂をつかませている。懐に金をいれて警察は捜査をしない。

 腐敗した一族と血が繋がっていることが嫌になる。


 士郎は人の子ではない。


 事故で半分にひしゃげた軽自動車の中から発見された士郎は、奇跡というには奇妙なほど無傷だった。


 初めて士郎を見たのは、両親の葬儀の時だ。慶三は大学を出てスーパーオノシタで働き始めたばかりだった。初対面の士郎は青白い顔もあいまって、子供の人形のように見えた。


 両親を失ったのに、誰も彼を構ってやらない、見かねて慶三は子供とどう接すればいいかわからなかったが、声をかけた。士郎はショックのためかほとんど声を発することがなかったが、通夜の夜に一人で寝かせられないと慶三が横で寝ていると、急に抱きついてきた。


 黒い女の人が夢に出てくる、怖いよ、お兄ちゃん、僕もいつか連れていかれるよ。


 そう言って泣きじゃくる士郎を慶三は抱きしめて、背中をなでてあやした。

 悪夢はすぐ忘れろ、おまえを誰も連れていかない、大丈夫だと慶三は言い聞かせた。そうして士郎を慰めている間にも、腹が大きくふくれた女は室内にいて、士郎に手を伸ばしていた。慶三はそれを振り払った。


 それから士郎は慶三になついて、葬儀中もずっと手を握っていた。

 宮田神社に引き取られた彼に、慶三はしょっちゅう会いに行き、彼の成長を見守ってきた。

 物部家と宮田神社、同じ業を背負った一族同士の間に産まれた子だからといって、人間扱いしないのは非道だ。


 しかし。

 しかし士郎は、あの「儀式」で狂乱してしまう。霊を慰めるときに士郎は恍惚と、官能的になることを慶三は直視し難かった。

 オノシタでバイトをしたいと言ったのは士郎だ、自分なら霊を慰めて落ち着かせられるから、と高校入学してすぐに言ってきた。

 アルバイトが怪奇現象を怖がってすぐに辞めていくので、すでに夜間経営責任者として副店長になっていた慶三にとっては、頼らざるおえない状況だった。


 やめておけばよかったな、と今になって後悔しても遅い。士郎から霊を遠ざけるべきだった、彼は霊に魅入られるごとに霊能力を強くし、儀式で霊と一体化してしまう。


 スーパーオノシタの近くの安いアパートに慶三は住んでいる。自宅に帰り「遅くにすみません」と断りをいれて宮田神主に電話をした。

 士郎の身に危険が迫っている、どうするか相談をした。


      ※


 毎朝、社に入り丸鏡を磨くのが宮田の仕事だ。昨晩は慶三の話を聞いて宮田は眠れなかった。珍しく夜遅くに士郎が帰ってきた、バイトの仲間とファミリーレストランで食事をしてきたと笑顔で話した。


 士郎は大学の友人のことはあまり話さないが、バイト仲間の真琴や竹丸のことはよく話す。新しい仲間の女の子がきてその子が明るくて良い子だと、士郎が笑いながら話すのを見て、決してこの子を物部に渡すものかと宮田は決意した。


 宮田は丁寧に丸鏡を磨く。磨いているのに鏡がどんどん曇っていく。 

 寝ぼけているのかと宮田は自分を自分で叱り、両手でしっかりと鏡を手に持って見つめた。


 鏡に映った自分の厳めしい顔が、ゆがんでいく、鏡の中で渦巻きが起きた。宮田は驚いて鏡を落としそうになった。


 慌てて祭壇に戻した鏡から渦が消えて鈍い光を発する表面に戻ったが、異変を察して宮田の心臓は騒ぎ出す。


     ※


 夜のスーパーは好きだ、空いているし値下げ品がお買い得だ。九時半の閉店前のスーパー、昼間の活気が消えて、冷ややかな温度だ。

 

 グレーの作業着のおじいさんが、床を拭いている。横を通ると、生臭い臭いがした。


「ここはね、きれいにねきれいにね拭かないと拭かないといけないよね」

 

 ぶつぶつと言いながら、おじいさんは青いバケツに入った黒い液体を床にこぼす。そして丁寧にモップでふき取る。

 変な臭いはその黒い液体だ。

 吐き気がして離れる。

 あれは洗剤の臭いじゃない。


「ここをね、ちゃんとね拭かないととね。床を拭かないと拭かないとね、いけないんだ」


 モップを左右に高速で動かしながら、おじいさんが迫ってきた。

 足が消えている、おじいさんの足がない。


「ほら清掃しないとね清掃しないと。こんなに汚いからね汚い汚い汚いああ汚いどうしてこんなにああ汚いなあ」


 おじいさんの目は、真っ白だった。

 カゴを置いて、逃げる。


     ※


 四人でサイゼリヤに行ってから、退勤後に一時間ほどサイゼに行くのが習慣のようになった。誰かれとなく「今日は寄ってく?」となる。


 怪奇現象が酷い時は愚痴話が主になった、霊が見える者同士でしか成り立たない会話は盛り上がった。良子はすぐに夜のシフトに慣れて、真琴はイラストの仕事が忙しい時は休めるようになった。

 最近は嬉しいことにイラストの仕事が増えて、Tシャツやトートバッグなどのグッズも売れている。留学資金もたまってきたし、TOEICに向けて英語の勉強にも熱をいれている。


 いつかはこのスーパーを辞めること、をふと考える。けれど士郎を置いてここを去る訳にはいかない。


「幽霊のおじいさんがお掃除してくれてる。いたずらする霊ばかりじゃないんだ。床ぴかぴかだー」

 

 良子が店内を見て言った。


「スズキさん。みんなそう呼んでるよ、ここで亡くなった清掃会社のおじいさん」


 真琴はグレーの作業場のスズキをさんを見た。月に一度は夜中に清掃会社が入って清掃する。スズキさんは仕事中に失踪し、翌朝、両足が切断された遺体で見つかった。


 変死体はだいたい「地下のもの」に魅入られてしまったから。

 スズキさんが出る日は店が静かだ。ポルターガイストもない。

 首のない子供が、スズキさんのあとをついてまわっている。


「よしよし、よしよし。いい子いい子」


 時々立ち止まって、笑顔でスズキさんは子供の「ない頭」をなでていめる。優しい人は幽霊になっても優しい。


「きれいにしないと、きれいにきれいにしないと。こうして床を拭いて拭いて、床を磨いてな」


 スズキさんがつぶやいている。


「この土地のきたいなの、きれいにせんとな。きたないきたない、ああきたない、この土地はきたないことだらけ。ああ、終わらない、終わらないなあ。またきたないの、きれいにせんといかんなあ」


 スズキさんはそう言いながら、十時になると消えた。


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