第8話 空!?烤乳猪がものの10秒で!!!

 日比谷真紀奈を追いかけて三千里。雨宮小春の地獄の訓練は今日も続く。


「シッ!!」

「っ!?……ほぅ…」


『なんと!?無音拳』の伝承者カー・ネル大佐との暗室特訓。ひと月以上もやっていれば徐々に成果が出てくるもので最近は5回に1回は教官の無音拳を躱せるようになってきた…


 この頃になると僕も、俺の名前は風見大和bot君も腹筋が割れ始め、逆立ち一本立ちで腕立て伏せ出来るレベルにまで鍛え抜かれていた。


 ……あれ?ここって特殊部隊養成所?


 僕と俺の名前は風見大和bot君が教練の成果を出し始める頃…レッスンカリキュラムのファーストステージ、礼儀作法を終えた年少組が徐々にこちらへ参加するようになってきた。


 ……ただ、同じくいち早くセカンドステージへ登った小鳥遊夢はやはり姿を現さなかった。


 しとしとと雨粒が空気を濡らす梅雨時期…

 養成所にゲロの臭いは香らない……



「--雨宮小春、風見大和…よくぞ今日まで私の教練に着いてきた」

「ありがとうございます☆」

「ふん…当然だ。なぜなら俺には才能がある…」

「貴様ら2人はサードステージに進むがいい」


 ……っ!?


「サードステージでは役者に必要な演技力を学べ。貴様らの幸運を祈る」


 ……っ!?!?

 よ、ようやく長かった地獄が終わるんですね!?

 ようやく芸能人になる為の実になるレッスンが始まるんですね!?

 うわぁぁーーーーいっ!!


「ぐすっ……長かった……長かったです…」

「泣くな雨宮、気持ち悪いぞ」

「俺の名前は風見大和bot君だって瞳に涙が滲んでるよ?」

「待ってくれ俺の名前は風見大和だ」


 *******************


 何となく気になったので小鳥遊夢が退所してしまったのかを養成所の人に訊いてみた。

 そしたらまだ所属はしてるみたい。ただもうひと月半程も養成所には顔を出てない。


 小鳥遊夢は母親が宗教にのめり込んで作った借金を返済する為に金儲けを目論みこの芸能界を目指していた。


 あの日帰りが一緒になった時、僕が彼女に言った言葉が彼女が自分を追い込んで目指していた役者の道を断たせたのだろうか?


 ……まぁ、だとしても…

 だとしても、小鳥遊夢が本気で役者になりたいと思っていた訳ではないことは見れば分かった…多分。

 ので、僕はもう彼女の事はあまり意識しまいと思うようにした。


 ……そう、僕も人の心配をしてる場合じゃない。



 KKプロダクショングループ芸能養成所、俳優コース、サードステージ。



「--俳優コース、サードステージを担当する黒蝶よ」


 その日新たなレッスン室に足を運んだらまた癖の強そうな教官が僕達を待ち構えていた。

 黒蝶ってのは名前ですか?


 今度の教官は女性でした。30歳くらいの、黒髪ロングで厚い瞼と唇が印象的な、若干透けてるドレスを着た大人の女の人です。


 それと今までと違うのは教官だけじゃない。

 今日から通うレッスン室……

 この前まで居た真っ暗な地下室とは違い清潔感ある白くて大きな部屋。

 その部屋には僕ら以外にも数人の生徒さんが居た。

 歳は僕らと同じくらい……だけど…


「この子らはあなた達より先に入所してレッスンしてる子達よ。みんな先輩だからご挨拶なさい」


 ……確かに。

 僕らを迎える人達の中にはテレビで観たことある子達もちらほら……


 --本物の芸能人。

 彼らと自分達との空気感の違いに自然背筋が伸びる思い…同時に実感した。

 僕は今、芸能界に片足を突っ込んでる。


 憧れの日比谷真紀奈の背中がほんの少しだけ近くに見えた気がした。


「雨宮小春です。よろしくお願いします」

「俺の名前は風見大和」

「なんですかその口の利き方はっ!!風見大和!!罰として鞭打ちよっ!!」


 --スパァァァァンッ!!


 あと、やっぱり教官は変な人だった。





「--子役に求められるものは『子供らしさ』お分かり?」


 レッスン開始。ビシッと僕を指さして黒蝶先生はそう教えてくれた。


「子役に求められるもの…子供特有の無邪気さ、愛らしさ……でもね?我儘だったり生意気だったりは無邪気さや愛らしさとは違う。お分かり?」

「はい」

「うむ…」

「子役に求められるもの……それは子供らしさを『演じる』能力…ようはマセガキの方が向いてるのよ。お分かり?」

「はぁ…」

「ふむ…」

「現場で使いやすい子…それが一番。まだまだ芽の出てないあなた達に演技力や個々の能力はそこまで求められてないわ。仕事を掴むにはまず制作側の使い易い子役であること。お分かり?」

「はぁ……」

「ふむ…」

「子供でも常識や礼儀を弁えた……大人としての扱いが出来る。でもカメラの前では求められる『子供らしさ』を演じれる…その切り替えが子役にとって重要。最初のレッスンで礼儀作法を教わったわね?つまりそういうことよ?お分かり?」

「はぁ……」

「ふむ…」


 分かったような分からないような……


「まぁもちろん演技力も身につけていかなきゃどんどん仕事が無くなるけどね?お分かり?」

「はい」

「うむ」

「演技力を構成するのは声、感情表現、運動能力、読解力、想像力」

「はい」

「うむ」

「正確な滑舌と通る声、喜怒哀楽の表情、役の動きを支える確かな土台、台本を読み込んで役の心境、演出の意図を読み解く力、そしてそこから自分の演じるキャラクターを創りあげる想像力…」

「はい」

「うむ」

「いいこと?今から出すお題を演じてもらうわ。自分なりに読み解いて、想像して、演じてみなさい?お分かり?」

「はい」

「ふむ」


 突然テストが始まったです。

 まずは個々の能力を見ると言うことで、簡単な演技をやって見せろと言うので、やって見せる。


「お題はこうよ……『朝食で用意した子豚の丸焼きを食べる前に床に落としてしまった一人暮らし19歳』…さぁ、想像して」


 想像できるか。

 朝から子豚の丸焼きを食するんですか?1人で?ジャック・ハンマーかな?


 まずお手本。

 指名されたのはテレビで見たような見たことないような先輩子役--希屋凛斗のぞみやりんと君。

 選ばれしイケメンみたいな顔をしてる。ダウナー系の、気だるげな雰囲気がなんだか既に大人の階段を登っているように見えた。


 そんな彼がみんなが見守る中で前に立つ。


 スイッチを切り替えるみたいにスっと目を閉じた瞬間、彼の纏う雰囲気が変わった気がした……


 そして……


「カチッ!!」


 ……特に何か言うわけでもなくニカッと見せた健康的な白い歯を勇ましい強そうな顔で噛み合わせた。

 ……だけなのに…なんだか変わらない身長の彼が大きく見える。


 ……見える……具体的には243センチくらいに……


「…………ジャック・ハンマーだ」


 セリフも身振りもなしに、彼はジャック・ハンマーを僕らに感じさせた…そう、表情のみで。


 ……これがプロか……


 …………お題は子豚の丸焼きを落としたジャック・ハンマーって認識でいいの?


「さぁ、次はあなたよ。お分かり?」


 見事なジャック・ハンマーの後で黒蝶教官が指名したのは僕だった。


 ……改めてお題を頭の中で咀嚼する。

 子豚の丸焼きを床に落とした一人暮らしはジャック・ハンマーで間違いない。いや知らないけど朝から子豚の丸焼きを1人で食べようとするのはジャック・ハンマーをおいて他にいない。

 それはこの場の共通認識……それを希屋先輩がさっきのお手本でより確かなものにした。


 しかし先輩が演じたのはただのジャック・ハンマー……


 お題の意図を汲め……

 ただのジャック・ハンマーならお題は『骨延長手術の痛みにも欠伸で耐える19歳』だ。いやそれは骨延長手術の痛みに欠伸で耐えてるジャック・ハンマーだ。

 このお題は『子豚の丸焼きを食べる前に床に落としたジャック・ハンマー』だ…


 ……想像力。


 想像する。僕はジャック・ハンマー…



 --僕の演技を見守るみんなの前で僕は先輩と同じように1度目を閉じた。

 瞼の奥に浮かんでくるジャック・ハンマー…僕の知ってるあのジャック・ハンマー……最大トーナメントで刃牙を追い詰めたジャック・ハンマー…………本部に歯を全部持ってかれたジャック・ハンマー………………


 どんな思いだろう?

 ご機嫌な朝食……しかしそれは喉を通る前に無に帰す。彼はきっと子豚の丸焼きを10秒で完食して烈海王にドヤりたかったに違いない……

 しかしそれは叶わない……なぜなら子豚の丸焼きを落としてしまったから……


 膨らんでいく悔しさ。

 虚しさ。

 瞼の裏で構築されていく光景……「子豚の丸焼きなんて1人で食べれるわけがない」って顔でこっちを見てる烈海王……



 --思い出すのは過去に経験した朝食。

 トーストを床に落としたら何故か高確率でマーガリン塗った面が床に着く。あの時の感覚……

 過去の経験と、その時の心情をトレースしたジャック・ハンマーと重ねていく……



 演技の経験なんてない。オーディションで簡単に台詞を読んだくらい。


 でも……グラップラー刃牙なら誰よりも読んできた…………


 自分の全てを集約した『子豚の丸焼きを床に落としたジャック・ハンマー』--



「〜〜〜〜〜っ!!」


 プルプルプル……


 僕はあえて何も喋らなかった。希屋先輩と同じように。

 僕は顔を思いっきりくしゃっ!てして…本部に負けた時のジャック・ハンマーみたいにくしゃっ!てしてプルプル小刻みに震えてみせた。


 言葉に出来ない怒りと虚無観……

 丹精込めてマーガリンを塗りこんだトーストを台無しにしたあの日の朝の記憶と、何度も読み込んだグラップラー刃牙の中のジャック・ハンマーの像をリンクさせ、構築する。


 クシャおじさんみたいな顔して言葉にできない怒りと虚しさを抱きながら足下の子豚の丸焼きを見つめるジャック・ハンマーを--



「……いいじゃない」

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