第7話 俺はヤマンバギャルじゃねー
「はひっ!!はひっ!!ふぅ……ふっ!ふっ!うぅっ!!」
--小鳥遊夢観察日記、1日目。
今日は教官から沢山しごかれてた。お前向いてないよと言われた小鳥遊女史は帰り道ガクガク震えながら吐き気を我慢しつつ帰路に着いてる。
教官から酷く怒られてなんか可哀想な感じの泣き方してたので気になって後を着ける僕、雨宮小春…
嘘、帰りの電車が同じだった。
「君、大丈夫?気分悪い?」
「大丈夫…です。慣れてますから…」
「?」
電車内で乗務員さんから心配されつつ、吐き気を増長するであろう電車の振動に揺られて…
「うっ!おぷっ!?」
限界が来た。
「……大丈夫じゃないじゃんよ。ほら、このキタロウ袋に--」
視界の端に捉えて様子を伺っていた僕が水風船の如く膨らむ顔に危険信号を察知し素早く彼女の隣に移動しコンビニ袋を……
「おろろろろろろっ!!」
……出してあげたのに彼女が出したのは絶妙に袋の口からズレたポイントであった。床はゲロまみれである。
*******************
「ごめんなさい……ごめんなさい…ひぃ…」
道理でおかしいと思った。
家の最寄り駅で降りたら小鳥遊さんと同じ駅だった。彼女の地元は僕と同じみたい。
つまり、彼女も『世界一頭のおかしい街』としてギネス認定されたこの街の住人なんだ。
道理で無限にゲロを出せるわけだ。
「大丈夫?」
「おぷぅっ!!おろろろろろっ!!」
全然大丈夫じゃなかった。駅前の噴水広場にゲロ色の噴水が噴き上がる。今帰したら家路に点々とゲロの道標が……
「ごめんなさい…私…人と喋るとゲロが条件反射で…」
「条件反射でゲロってすごいね。初めて聞いたよそんな人」
……分からない。
ますますこの子が芸能界を目指す動機が分からない。
ので、僕の口からは自然とゲロではなく、この前養成所の食堂で問いかけた質問が流れ出してた。さながらマーライオンの吐く噴水のように……
「条件反射でゲロ吐いちゃうのに人前に出る仕事を目指すのは、俳優さんになるのが夢だからなの?」
「……」
しかし、問いかけに帰ってくるのはゲロを堪える深い沈黙。
小鳥遊夢の横顔を観察する。
陰の差す横顔に浮かぶのは何かを堪える表情だ。そう、それこそ吐き気を堪えるように奥歯を噛み締めてなにかを必死で抑え込もうとしてるような……
「うえっ!おぷっ!!」
抑え込もうとしてたのはゲロだった。
「……本当に無限に出るんだね…役者さんよりお笑い芸人の方がいいんじゃない?」
「はーっ!はーっ…ち、違うの……私…え?人前でゲロ吐くお笑い芸人でもいいのかな?」
「むしろ向いてると思うよ?」
「…………お笑い芸人コースに移ろっかな…」
ステージでゲロ吐いたらお笑い史に残れるかもしれないね。
「……私…どうしてもお金がいるの…」
彼女のお昼ご飯の絞りカスを広場の鳩が啄むのを見つめながら、小学校低学年くらいの少女はそんな年齢に似つかわしくない台詞をゲロ臭い吐息と共に漏らした。
「お金持ちになりたいんだ?」
「今すぐにお金がいるの……2689万円…」
なんだ?すごく具体的な数字が出てきたよ?
「どうして?」
「私……………………お母さんが借金してて……」
小学校低学年の少女の口から出てきた「お母さんが借金してて」のセリフ。どうやら事態は深刻なようだ。
僕の予想では親の夢を押し付けられた感じで芸能界を目指してたのかなって…でも彼女は親の借金を返済する為に芸能界へ飛び込んだみたい…
しっかりした子だとは思う。僕が言うのもおかしい気がするけど、同年代とは思えないくらいこの子は大人だ。
が、しかし。あまりに現実的じゃない額と小学生が親の借金の心配をするっていう状況……
この子の家庭にはとても大きな闇が覆いかぶさってる--
多くを語らずとも小鳥遊夢は横顔だけでそれを僕に分からせた。
「……私まだ子供だから…お金稼ぐには子役とかアイドルになるしかないって思って…年金で私達の生活面倒見てくれてるおばあちゃんに無理言って養成所に…………」
うーん、本当に小学生?
「うぇぇぇぇぇっ!!」
また吐いた。彼女の抱える重圧は幼子が背負うには分不相応すぎ、そのプレッシャーが彼女の無尽蔵のゲロを可能にしている…
ので、ささやかながらのアドバイスをしてみた。
「…今から2689万円も稼ぐのはいくら子役になって売れたって現実的じゃないよ」
「……そうだよね…ネギがこうごーせーしないのも知らないくらいだもんね…私なんて……」
……ごめん。この前調べたらネギ、光合成してた。
「それにまだ小学生の小鳥遊さんがお母さんの借金の事なんて考えるのおかしいよ。お父さんは?」
「しんだ」
しんだらしい。
「……お父さん死んでからお母さんおかしくなっちゃって……いっつも言ってるの。「幸せを取り戻すには神様に頼るのが一番なの」って……」
…………えぇ、そういう感じですか?
「……宗教にのめり込んで借金2689万…」
「私が居てもお母さん幸せじゃないんだよ…だから私がお母さん助けてあげないと…私、もうお母さんの『要らない子』はやなんだ…」
…………何度も言うけど、本当に小学生?君。
なんて思わせるのが何が原因なのか…ちょっと分かった。
分かったので僕はあえて言ったんだ。
「……君は役者さん向いてないよ」
「…………うぅ…やっぱり私は役立たず…おぇっ」
「じゃなくて……そんな理由の為に別にやりたくない事頑張る必要、ないよ。いくらお母さんだからってなんでも一緒に背負う必要ないと思う」
足下のゲロをあらかた片付けた鳩がゲロを求めて小鳥遊さんの肩やら頭に直接襲いかかってくるのを見つめながら、僕は未熟な人生観とペラッペラの親切心で責任のない言葉を彼女に紡いだ。
……小鳥遊夢からの返答はなかった。
そして夕日の沈む紅の空が僕らを影絵みたいに切り取る中、彼女は重たい足取りで帰って行ったんだ……
*******************
「……あの泣き虫ゲロ女、今日は来てないな」
--週末。養成所地下レッスン室。
切り傷に効くっていう軟膏を塗りたくりながらカー・ネル大佐から受けたダメージを癒す傍ら、同期生の俺の名前は風見大和bot君が2人きりの暗室を見渡しながら呟いた。
「昨日教官から言われたからな……まぁ、本人の為だろう」
「……」
「あいつは向いてない。元いる世界に帰るべきだ。お前も、そう思ってたろ?」
小鳥遊さんもそうだけど、この子も本当に小学生?
「君は?歌舞伎役者にはならなくていいの?」
「俺の話は関係ないし、俺は歌舞伎役者にはならない。俺はいつかアンジェリーナ・ボニーと共演するハリウッドスターになるんだ」
……なんてこった。コイツ僕と似たような動機で……
「でも君の初お目見えの舞台ネットで観たよ?君あの
「……勝手に調べるな」
風見大和こと俺の名前は風見大和bot君は歌舞伎役者、13代目國園友三郎の実子。
彼は6歳で初お目見えの舞台に上がっているれっきとした歌舞伎役者だ。
本来なら彼は今歌舞伎役者としてのお稽古に勤しむ時期のはずなんだけど……
「……歌舞伎役者にはなりたくないのに、子役にはなりたいの?」
「俺は親の敷いたレールを走るのが我慢ならんのだ……國園友三郎の息子としてではなく、風見大和として世界中に俺を認めさせたい……」
最近の小学生はしっかりしてるな…でも…
「……親のネームバリューだけで大成できるほど歌舞伎の世界って甘いのかな?少なくとも、マット軍曹の礼儀作法レッスンを一蹴してた君はそれこそずっと小さい頃から沢山お稽古して、色んなことを頑張ってきたんでしょ?」
「……何が言いたい?」
「いや、親への反発心から歌舞伎ヤダって言ってるなら勿体ないなって思ったから……」
僕より頭1つ分大きな彼が睨むと怖い。迫力がある。
「それに芸能の世界で生きてたらどうしてもお父さんの名前はついて回ると僕は思うな」
「お前に何が分かる?」
その時、俺の名前は風見大和bot君の声がいつもより刺々しくなった。
暗闇で一層強く鋭く輝く眼光はニードルナイフにも勝るとも劣らず……その迫力、眼力に僕は思わず膀胱が緩みかけた。
眼力強いところとか見るとあぁ…歌舞伎役者の息子だなぁって思う。
「お前に何が分かる!?あぁ!?お前なぁ!!人前であんな……あんな…あんな真っ白な顔で人前に出れるかっ!!俺は嫌だっ!!」
「……」
「しかもなんだあの赤い線とか…ふざけるな俺の顔はキャンバスじゃねーっ!!俺はあんなの絶対やだ!!」
…………日本の伝統芸能に唾を吐きかける暴言。お父さんが不憫でならない…
「俺はヤマンバギャルじゃねーーっ!!」
…ヤマンバギャルは黒いけどねって思ったけどもう何も言うまいとツッコミを呑み込んで僕は真っ暗なレッスン室の壁のシミを数えることにした。
……僕は憧れの人に再会する為。
彼は歌舞伎役者になりたくないから。
小鳥遊夢は親の借金。
芸能界を目指す理由は人それぞれだ。
……ただ。
……ただ、それからひと月、とうとう小鳥遊夢は1度も姿を見せることはなかった。
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