第7話 遅刻ギリギリのプロフェッショナル

「うーん……」


 眩しい。嫌だ、起きたくない。


 目覚ましのアラームに設定している音楽がわたしの耳を、カーテンから漏れているであろう光がわたしの瞼を突き刺す。


 朝だ。


 昨日は夜ご飯を食べて、すぐにお風呂に入ったら急激に眠気が込み上げきて、ちょっとだけのつもりでベッドに寝っ転がったら眠ってしまっていたみたいだ。


 寝るつもりはなかったんだけど、それでも吸い寄せられるようにベッドに寝っ転がってしまったらそれはもう終わりだ。


 それにしても寒い。


 まだ九月だとはいえ、朝はだんだんと肌寒くなっている。今年ももう布団と仲良くなる季節がやってきてしまった。


 わたしは寒いのが本当に嫌いだ。


 夏と冬どっちがいいかと聞かれれば、絶対に夏と答える。


 たとえどれだけ暑くても、汗をかいて気持ち悪くなるとしても、虫が大量に発生するとしてもわたしは迷うことなく夏よりも冬の方が嫌いだと言える。


(はあ……)


 わたしは目覚ましのスヌーズボタンを押して、深く布団に潜る。


 わたしの目覚ましの音楽に設定されているのは有名なクラシック音楽。


 バッハが作曲したとされる「G線上のアリア」だ。


 G線上とは、四本あるバイオリンの弦のうち、最低音弦であるG線という弦だけを使って演奏できることが由来になっているらしい。


 ゆったりとした曲調でこれなら朝から気持ちよく目覚めることができるのではないかと思って、毎朝のアラーム音に決めた。


 しかしまあ、大好きだったはずの曲なのに、目覚ましの音楽に設定した途端、その曲が嫌いになっていくというのがよくある話。


 わたしも例に漏れず、その状態に陥っていた。


 嫌いとまではいかないけど、この曲に対する拒否感のようなものは生まれている。


 でも寝覚めの瞬間以外に聞けば、良い曲だなと思うし、なんなら他のクラシック音楽よりも特に好きだ。


 スヌーズにしていたアラームがまた鳴り始める。


(はあ…… そろそろ起きないとか……)


 わたしは重い頭をなんとか枕から離し、一度ため息をついた後、ゆっくりとベッドから降りた。


 時刻は八時五分。


「八時……五分…… え、やばっ!」


 わたしの通っている学校は八時半までに校門をくぐって教室に入っていないと遅刻になってしまう。


 遅刻が何回も続いてしまうと、反省文を書く上に、保護者を学校に召喚されるという恐ろしいことが起きるらしい。


 わたしの家から学校までは歩いて十五分くらい。


 走れば十分弱くらいで着けるはずだから、残された朝の支度時間は十五分ほど。


 いくら家から学校までが近いとはいえ、さすがに十五分しかないとなると急がないと間に合わない。


 わたしはすぐにパジャマをその場に脱ぎ捨てて、制服の袖に腕を通す。


 一階に降りて、洗面所でバシャバシャと顔を洗い、歯を高スピードで磨く。


 高スピードで磨きすぎて、血が出てしまったけど、そんなこと気にしている場合ではない。


 寝癖をストレートアイロンで直して、準備は完了。女子高生にしてはとてつもなく早い準備完了だけど、仕方ない。


 わたしはリビングに向かった。


「お母さん、お弁当!」

「お母さんはお弁当では──」

「そんな先生みたいなこと言わないでいいから! お弁当どこ? 早くしないと遅れちゃう!」

「はあ、そこの机の上に置いてあるわよ。全く…… もうちょっと早く起きないからいつもいつも焦っちゃうんでしょ? 緋衣はずいぶんと前に学校に行ったわよ?」

「ま、間に合えば結果オーライだし! じゃあお弁当ありがとう! 行ってきます!」


 わたしは机の上に置いてあったお弁当をカバンにしまって、全速力で学校に向かった。


 ☆


「はあ、はあ、はあ……」


 わたしは息をきらせながら、残った体力全てを使って階段を駆け上がる。


 わたしの学校は学年が上がるごとに教室のある階が下がるシステムになっている。


 つまり三年生の階が一番下に、一年生の階が一番上の階にあるのだ。


 一年生のわたしには地獄でしかない。


 なんとか全ての階段をクリアしたわたしは自分の教室の扉を勢いよく開ける。


「はあ、はあ、はあ、はあ……」


(ま、間に合ったあ~……)


 先生はもうすでに教室にやってきていた。


 でもチャイムはまだ鳴っていないはずなのでセーフだ。


 いつもギリギリで登校しているけど、今日は本気でやばかった。


 すでに一度遅刻したことがあるし、反省文と保護者召喚はどうしても間逃れたい。


 まあとにかく今日はなんとかなったな。


 そう思いながら自分の席に座った瞬間にチャイムが鳴った。


(ほ、ほんとに危なかったー……)


 わたしはなんとか間に合ったことにほっと肩を撫でおろす。


「茉莉花、今日もギリギリだったね」


 隣の席の桜來が小声で話しかけてきた。


「うん…… でもなんとか間に合ったよ……」

「茉莉花は本当に朝弱いよね」

「一生強くなれる気がしないよ」


 めちゃめちゃ頑張れば間に合うという慣れない方がいいことに慣れてしまったせいか、わたしの中からはもっと早くに起きようという気は失われていた。


 これが遅刻魔となりえる人の発想なのかもしれない。


 でもとにかく遅刻しなければいいだけの話。わたしはこれからもギリギリまで寝ているつもりだ。


 わたしは遅刻ギリギリで学校に到着するプロフェッショナルだから大丈夫。


 だから良い子はマネしないでね。


「もうすぐ体育大会が始まるぞ、お前たち! 今日の放課後に出場する競技を決めるから何をやりたいか考えておくように! 何の競技があるかは後ろの黒板に紙を貼っておくから、後で見ておいてくれ」


 そう意気揚々と話しているのは担任の火石ひいし先生。


 先生は体育教師で、鍛えている筋肉が空気を圧迫して少し暑苦しい。


 勝負事にはこだわる先生で、勝負事の代表格イベントである体育大会にだいぶ燃えているみたいだ。


(もうすぐ体育大会か…… 気が進まないんだよなあ)


 運動が苦手な人にとっては体育大会を魔のイベントと例える人がいてもおかしくはないくらいのイベントだ。


 自分の結果がクラス全体の結果に関わるのだから、下手なことをして、クラスメイトに冷ややかな目で見られるのだけは避けたい。


 なんとか運動能力が低くてもこなせる競技を死守しなくては……

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