田舎町のアンフィスバエナ

杞戸 憂器

01 採集部

 四階の校舎から見える新緑の田舎町にタワーマンションが突き刺さっている。夕日を背に浴びた黒い直方体は今年の三月に竣工した。鍬形陶冶くわがたとうやは手を額にかざして、まじまじと自宅でもあるそれを眺めた。高校に入学して、日が沈む時刻に四階から見るのは初めてだった。


 二年前、隣の市が半導体工場の誘致に成功した。タワーマンションはその経済効果のおこぼれに預かろうと、市長肝入りの再開発が進められた成果である。


 しかし、グローバルな人材が住むにふさわしい都会的デザインがどれだけ素晴らしかろうと、周囲の平家と田んぼは変化しない。結果、絶望的な不調和が生まれた。分譲販売のセールスコピー曰く『自然ナチュラル都会アーバンが融けあう不確かな揺らめきに、確かな根を張るという生き方スタイル』。


 まるで田舎町の墓標だ。風向きが悪くなれば、東の果ての一工場など簡単に閉鎖が決まるだろう。グローバルな人材も帰ってしまう。なにせグローバルなのだから。田舎町に囚われる必要がない。そうでなくとも若者は名古屋に吸い取られて戻ってこないのだ。残るのは煙でいぶされた蜂の巣のような、鉄筋コンクリートの空洞である。


 いつかはそうなる。景気は波であり、永久に成長を続ける企業もない。そうなったらどうするのか。老人ばかりの寂れた町の中心に、管理費を維持できない豪華な石碑が鎮座する未来がやってくるだろう。


 陶冶は責任者に、すなわち市長である父親に問い質したことがある。自然保護のプラカードを掲げる反対派とバチバチにやりあっていたはずの父からは「その時は、その時だ」とあっけらかんとした答えが返ってきて、行政の長がそんな認識でいいのかとソファからずり落ちそうになった。父が続けて「お前、高校はあそこから通え」と言ってきたので、本当にソファからずり落ちた。空き室が出たら体面が悪いから売れ残りはないか尋ねたら、どうも市長の息子さんが最寄りの高校に入学するから必要らしいぞと行き違いが発生し、本当に買う羽目になったらしい。部下にも息子にも報連相を徹底してほしいものだ。そんなことだから、母が出ていったのではないか。


 取り留めもないことを思い出しながら陶冶は廊下を歩く。先程まで聞こえていた吹奏楽部の『エル・カミーノ・レアル』はいつの間にか鳴り止んでいた。陶冶が四階に来るのは、選択授業の美術がある時しかない。今回は美術室と反対方向に用があった。行けば分かるからと先輩に言われた通り真っすぐ進むと、黒いプラ板に理学予備室と書かれた扉を見つけた。


「失礼します。剣道部一年の鍬形です」

 ノックして引き戸を開き、室内にお辞儀する。陶冶が頭を上げると、中にいたのは一人の女子生徒だった。部屋の中心にある化物実験用の黒い机を挟んで、対面に座っている。女子生徒は広げたノートに筆箱で重しをして、顔を上げた。


「や、どうも」

 女子生徒が軽く手を挙げて応じた。

「君んとこの部長から話は聞いてるよ。三又みつまた貸してほしいんだっけ?」

 寝癖の跳ねたボブカットが僅かに揺れ、気だるげな二つの瞳が陶冶を捉える。小柄ではあるが、迂闊に近寄れば引っ掛かれそうな、山猫の如き雰囲気をまとっていた。スリッパは臙脂えんじ色。2年生だ。


「はい。えっと、先輩は採集部の方ですよね」

「そ、ボクは伊奈波万智いなばまち。よろしく。いやー助かったよ、ほんと」


 伊奈波は立ち上がって両手を合わせた。陶冶は首をかしげる。助かるのはこっちの方ではないか。採集部の備品を貸してもらえるのだから。


「わざわざボクのクラスまで来て何の用かと思ったら『三又があったら貸してくれ』ってさ。何事かと思ったよ。園芸部だけじゃ足りないとかで焦っていたし」

「急なお願いですみません。滝沢部長と仲よろしいんですか?」

「いんや、中学が同じってだけ。喋ったのは――半年ぶりぐらいかな」


 伊奈波は顎に指を当てた。陶冶の頭に滝沢の顔が浮かび、噴き出しそうになる。俺のツテでどうにでもなると豪快に笑っていたわりに、陰で奔走していたらしい。


「土日は使わないから二つ返事でオーケーしたけど、三又なんて何に使うの?」

「ネットのニュースご覧になってないんですか」

「生憎、世俗には疎いんだ。君が寄越された理由なら分かるけどね」

「俺が来た理由なんて分かるわけないでしょう」

「三又の正式名称は『三本鍬さんぼんぐわ』だよ。『鍬』形君が取りに来るのがふさわしいに決まってる」

「じゃんけんで負けたんです」

「おや、外れたか」


 笑いながら伊奈波が壁に立てかけてあった三又を手に取った。持ち手は木製で、先端から伸びた黒鉄が三つに分かれている。伊奈波は小柄な体格に似合わず軽々と持ち上げて、くるりと半周回して見せた。採集部の活動で使うのだろうか、扱いに慣れている風だった。


「それじゃ、これはパイロクスマンガンと交換だ。頑張ってくれたまえ」

「え?」言われた意味が分からず、鍬形は反射的に声を漏らした。

「あれ、知らない? 透明感のある、鮮やかな深紅の鉱石だよ。国内だと設楽したらの田口鉱山が有名だけど、随分前に入山禁止になっちゃったんだ。ボクも一度は行ってみたかったけどねぇ。ま、こればかりは仕方ない」

「あ、いえ、そうじゃなくて」


 パイロクスマンガンの事を知りたのではなく、何故それが三又と交換なのか知りたいのだ。と喉まで出かかったものの陶冶も鈍いわけではない。どうやら自分は何らかの交換条件で派遣されたらしい。


「一応お聞きしますけど、どこにあるんですか? そのパイロクスマンガンは」

「何というべきか」伊奈波は天井を仰ぎ見た。「去年確かに見た記憶があるんだ。太宰治も書いているだろう? 『愛は、この世に存在する。きっと、ある。見つからぬのは、愛の表現である。その作法である』と。それと同じだ。理学準備室の中には存在する。きっと、ある」

「見つからぬのはパイロクスマンガンの所在であり、必要なのはその捜索というわけですか」

「話が早くて助かるなぁ。10立方㎝ぐらいで、紙箱かアクリルケースに入っているはずだ。そっちに積まれた段ボール箱があるだろ。その中のどこかにあると思う。多分。恐らく。きっと」


 徐々に心許なくなっていく証言を聞きながら、陶冶は制服を脱ぎ、手前の椅子に掛けた。埃で汚れると洗濯が面倒くさい。制服の替えは一着しかないのだ。


「文句でも言うかと思ったけど、やけに素直だね。感心感心」

「揉めたところで誰も得しませんから」

「流石、『やらない善よりやる偽善』の市長の息子だけはある」

「……気付いてたんですか」

「鍬形って苗字は珍しいから。うちの前に選挙カーが来たこともあるし」


 あれはうるさかった、と懐かしそうに伊奈波が言うので陶冶は居心地が悪く、段ボールを漁って誤魔化した。俺の親父がすみません、と返そうにも何が済まないのか判然としない。

 

 三年前の市長選は熾烈を極め、与党公認候補である志賀春男しがはるお前市長と無所属新人であった陶冶の父親、鍬形秀臣くわがたひでおみの一騎討ちとなって市町村を二分した。従来の方向性を継続して観光業をアピールする志賀前市長に対して、空虚で実現性が乏しい理想論であると厳しく批判した鍬形候補が掲げていたスローガンが『やらない善よりやる偽善』だ。畦道を行く選挙カーから毎日響き渡ったおかげで、選挙が終わってからも陶冶は同級生からネタにされた。空き缶を拾えば「やる偽善だな!」と大袈裟にはやされる。ゴミ拾いは善だろ、と返したくなったが、ムキになるのも阿呆らしいので忍の一字で耐えてきた。


「この箱、鉱石が入ってます。あと動物の骨と、鹿っぽい角。雑誌、野球ボール、古銭も」

「一応言っておくけど、ボクはもっと綺麗にしまうよ。卒業した先輩がね、文化祭の展示で並べて、片付けの時にジャンル分けせずに詰め込んじゃったんだ」

「テトリスが上手い先輩だったんでしょうね」

「消えるのは困るな」思いのほかウケたようで、伊奈波は口角を上げた。「ほんと、密度が高ければ良いって発想の人だったから。おかげで取り出すのが大変なんだよ」

「あ、これ違いますか?」


 陶冶は雑多なガラクタから四角いケースを引っこ抜いた。全体的にピンク色の鉱石で、母岩と一体化している。


「惜しいな、それはバラ輝石だ。よく似ているけど違う」

「そもそも現物を見た事ないんですけど」

「パイマンはもっと鮮やかで深いんだ。閉山した田口鉱山の結晶はね、田口ルビーと呼ばれているんだよ」

「じゃあ、これも違ってそうですね。色がピンク寄りですし」

「それは残念ながら菱マンガン鉱。懐かしいなぁ、それ。ボクが一年の頃に青森まで行って採取したやつなんだよ。母岩をピックで削ろうとしたら、勢い余って校庭の煉瓦を傷つけちゃったのが粟津先生にバレてね、あれ以来目を付けられているんだ」

「というか伊奈波先輩も手伝ってくださいよ。二人でやれば早いでしょう」


 陶冶の抗議を、伊奈波は生返事で受け流した。


「うーん、もうちょっと考えさせて」

「考えるって何をです?」好き放題喋っていたではないか、と言いたくなったが、話しながら別のことを考えられる人間を陶冶は何人も知っていた。伊奈波もそのタイプなのだろう。

「三又が必要な理由だよ。君が来た理由を外したから、こっちは当てたくて」

「無理ですよ。手伝いたくないからって適当言ってません?」

「何おう! もう大体は分かってるんだぞ」


 伊奈波が立ち上がって陶冶に詰め寄った。開こうとしていた新しい段ボールに足が乗せられて、細く白い脚が露わになる。陶冶は目のやり場を探して、しゃがんだまま伊奈波の顔を見上げる他なかった。


「捜すのは蛇だろう?」


 夕日を浴びた二つの長い影が壁に映されていた。大きく勝気な瞳が陶冶を見下ろす。グラウンドの方から澄んだ金属音が響き、野球部の歓声が遠く聞こえた。


「どうして」陶冶は次の言葉が出なかった。

 ニュースを知らなかったのに、どうやって辿り着いたのか。

「どうして分かるんです?」

「ふふん、当たりかい? ま、ボクにかかればこんなもんだよ」

「いえ、ですが、ただの蛇じゃないんです」

「脚でも生えてるの?」

「違います。俺たちが捜すのは――」


 陶冶はネットで見た画像を思い出しながら、昼休みに初めて知った言葉を発した。


「――アンフィスバエナ。尻尾のない二頭の蛇です」

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