第146話 記憶喪失

記憶がなくなるってどういう感覚なんだろう。


いくら想像しても、わからない。





目覚めた風は、基本人格の風に戻っていたらしい。


安心して、HALとLとお医者さんは帰宅した。


HALからも


「風愛友に戻ったので安心して休んでください」


そう、LINEが来た。


でもその数分後


今度は、風からLINEが来た。


最初のLINEで、異変に気づいた。




風「愛美、今は何月?」




何その質問。


付き合って一年のラブラブカップルの彼女が


「今は何月?そう!付き合って一年記念日〜!」


とか言い出しそうな質問だ。


もちろん、あたしは普通に答える。




あたし「4月」


風「マジか」


あたし「え?今、何月だと思ってるの?」


風「2月。来週バレンタインデートだもん」


あたし「は……?」


風「LINEでみんなが4月だって言うから、何言ってんのって笑ってたんだけど」




記憶喪失?


2月からの記憶がぶっ飛んでる?


来週バレンタインデートって言う事は


好きな人と縁を切ったのも覚えてない…!?




あたし「と、とりあえず明日学校は休みな?このままじゃやばいでしょ」


風「俺、何組になったのかもわかんない」


あたし「ほら!休んだ方がいいよ。記憶ないのは一時的なものかもしれないし」


風「うん…」


あたし「4月だよって言ってきた人にも、上手く誤魔化して。LINEでの相談もしばらく休んで?あたしはHALに相談してみる」


風「うん。俺は何組になったのか学校のプリント探してくる」




別人格に交代してる時の記憶がないのはわかる。


だけど2月から約2ヶ月間の記憶をスッポリと失くすなんて…!




あたし「風が2月からの記憶全部ないみたい。どうすればいい?」


HAL「え!?」




運転中のHALに電話をかけると、素っ頓狂な声を上げた。


Lは無事に送り届けて、自宅に戻る最中だったらしい。




HAL「今度は何事ですか」


あたし「記憶喪失です。韓国ドラマです」


HAL「韓国ドラマ?」


あたし「韓国ドラマでは記憶喪失よくあるので」


HAL「韓国ドラマは観ませんが、どうしたものか…」


あたし「とりあえず明日は学校休む様に言っといた。今、風は学校の手紙探して何組になったかとか手がかりを探してる。

HALは、お医者さんに明日また風の家に来れないか聞いてくれる?風は学校休むから、たぶんどの時間でも大丈夫だと思う。

でもどうせ遅くまで寝てるだろうし、昼以降の方がいいかも」


HAL「……愛美さん、あなたどんどん組織の人らしくなってきましたね」


あたし「え?できる女って事?」


HAL「いえ。感情的だったのが理性的になったって意味です」


あたし「なーんだ。褒められたのかと思ったわ」


HAL「褒めてますよ?」


あたし「あまり褒められた気がしないんだけどな」


HAL「とりあえず、貴女の言う通りにします。それがベストな選択ですね」


あたし「おけ、よろ!」




理性的になった?


それってどういう事だろう。


自分では変わったとは思えない。


でも確かに、以前のあたしなら


風の記憶がなくなったぁぁぁ!!と、大騒ぎして大泣きしてたかもしれない。


でも今は、何かハプニングがあったら


まずはこうしよう、ああしようと考えられるようになった。


……あたしまで、組織の色に染まってしまったのだろうか。


人情とか人間味がなくなったみたいで、ちょっと、嫌だな。





そして、朝を迎えた。


それでも、風の記憶は戻っていなかった。


一晩眠れば記憶が戻ると期待してただけに、


昨日よりも不安が押し寄せてきた。


あたしたちの予想とは裏腹に、風は元気だった。


好きな人に振られてるとは知らない風。


一番狼狽してるのは、Lだった。




L「風に聞かれました。好きな人をブロックしてた、焦って解除して話しかけたけど、ずっと未読だし、スタンププレゼントしても相手は持ってますって表示されるからブロックされたかもって聞かれて。

振られたことは、言えませんでした。風がアカウント消す準備として、全員ブロックしたんだよって嘘ついちゃいました…」


あたし「言い難いもんね…Lは悪くないよ。だけど振られたこと知ったら、確かにまずいかもね。またショック受けて、また更に記憶失くしたり、別人格に乗っ取られたりするかも…」


L「どうしたら…まさか二ヶ月分の記憶を全て忘れちゃうなんて…」


あたし「落ち着いて?お医者さん、今日来れないらしいけど、解離性同一性障害の人は、辛い時期の記憶失くなる事は良くあるんだって。お医者さんが言うには、恐らく一時的なものだって」


L「思い出した時が怖いです。風がどうなっちゃうのか」


あたし「ほんと、重要なのはそこだよね…」




Lがパニクればパニクるほど、


あたしは冷静でいなくちゃ、と思う。


風は元気だ。


あの一連のトラウマを覚えてないから。


逆に、記憶を失ったままのほうが幸せなんじゃないか?ってぐらい、明るかった。


このまま、何もかも忘れて


少なくとも失恋したトラウマから解放されていて欲しいぐらい。


だけど、そうはいかない。


思い出してしまったら、二度も傷つく事になる。


ところが夜、風からのLINEで「その時」は、すぐにやって来た。




風「俺、振られてたんだって」


あたし「え!?誰から聞いたの!?」


風「恋愛相談してた、先輩たちに聞いた。まさか、デートの約束が二回もドタキャンされたなんて…」


あたし「……」





なんて答えよう。


どう答えたら、風は傷つかずに済むのだろう。


どう答えるのが正解…?





風「好きな人とのトーク見ればわかるのにさ。トークも全部消してあるんだよね。

俺もやる時はやる男なんだね。まだ先輩たちと話してるからまたあとでね!ごめんね、心配かけて!」





記憶を失ったせいで、


彼は二度、傷ついてしまった。


だけど、その時の心の痛みは覚えてないから


そんなに傷ついてはないのかな…。


なぜ、記憶を失ったんだろう。


一時的なもの。


防御反応。


お医者さんはそう言うけれど意味があって記憶を失ったのなら、


なぜ二度も傷つかないとダメなんだろう?


……わからない。


Lも最近落ち込んでばかりだし、みんなボロボロだ。





22時過ぎ。


我慢できずに、HALにLINEをした。





HAL「聞きました。記憶は戻ってないらしいですね」


あたし「うん。先輩から事実は聞いたみたいだけど。記憶が蘇った時、またショック受けるのかな?

そしたら、三回も悲しい思いをすることになるよね」


HAL「確かにそうですね」


あたし「放っておく事しかできないの?」


HAL「そうですね。精神科医の言う通りにするのが、妥当かと。心の病を、専門にしてますからね」


あたし「HALも医者目指してたよね」


HAL「外科医を目指してました。精神科領域は専門外なので一切勉強してません」


あたし「あー、言ってたよね」


HAL「しかもDIDというのは、精神科医の中でもかなり難しい領域です。精神科医同士でも、未だに治療法に論争が繰り広げられてます」


あたし「だよね…手術すれば治るっていうもんじゃないもんね」


HAL「その通り。論文でもメタ分析でも、真っ向から対立する意見ばかり。地道なカウンセリングでストレスをなくし、心を安定させ、ある程度交代をコントロールするのをゴールにするか、人格統合を試みて人格をひとつにするのをゴールにするか」


あたし「人格統合も、難しいらしいよね。あたしもネットで見た」


HAL「はい。しかし、今の風愛友の担当の医師は、患者や他の人格たちにも人間としての尊厳を持って接している、いい医師だと感じてます。

信じるしかないですね。医師と風愛友を」


あたし「…だね」





突然難しい言葉を連発するから、


頷く事しか、出来なかった。


HALはやっぱり、頭がいいんだなぁ。


とにかく今は、見守る事しか出来ないというのだけはわかった。




風。


大丈夫、あなたは一人じゃないからね。


仲間はたくさんいるから……。

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