第12話 不可侵領域

「私の短冊を……見たんですか?」


 恐ろしく冷たい声に思わず身震いする。まるで別人と話しているようだ。


「い、いや……悪い。つい目に入ってしまったんだ」


 咄嗟に言い訳をすると、秋穂は再び笑顔に戻った。そして、いつもの明るい声に戻って言う。


「別に怒ってるわけじゃないですよ。ただ、ちょっと恥ずかしかっただけです。何も思い浮かばなくて、なんとなく書いたお願いが先輩に見られてしまったと思うと……」

「そうか……」


 嘘だ。普段から筆を握っている俺だからわかる。強い想いのこもった線とは見てわかるものだ。

 それがたとえ文字だろうと変わらない。昨日見たあの短冊の文字には間違いなく強い思いが込められていた。

 あれがなんとなくで書いたお願いのはずはない。きっと大切な願いなのだ。

 だが、俺がそれを指摘したところで彼女が素直になってくれるとも思えない。それどころか、二度と口を聞いてくれなくなるかもしれない。


「どうしました?」

「い、いや……なんでもない」


 どうやら考え事をしながらずっと秋穂のことを見ていたらしい。不思議そうに首を傾げる彼女に慌てて視線を逸らす。

 俺は何をしているのだろうか。

 こんな風に他人の心の中を探ってもろくなことにならないのは目に見えているというのに。

 だが、彼女の願いを叶えてあげなければ、ステラの絵を描くことはできない。それに、先輩として、秋穂の願いがかなって欲しいという想いもある。しかし、当の本人が隠そうとしているものを無理やり暴くようなことはしたくない。

 一体どうすれば……。


「先輩。何かおかしいですよ。変なものでも食べたんじゃないですか?」


 ふと顔を上げると、そこには心配そうな表情を浮かべる秋穂の姿があった。

 そうだ。今の俺はおかしい。少し冷静さを欠いている。

 まだ夏は始まったばかりだ。焦る必要なんてない。もっと関係性を深めてからでも遅くはないはず。

 親密になった頃にそれとなく聞き出せばいいのだ。今は焦らずゆっくりいこう。


「ああ、そうだな。昨日の夜、夏バテ気味だったせいか食欲がなかったんだ。それで体調を崩したのかもしれない」

「え!? ダメですよ。夏は食欲が湧かないかもしれませんけど、しっかり食べないと」

「ああ、気をつけるようにするよ」


 秋穂は俺の返答に満足したのか「はい」と元気よく返事をすると、再びスケッチブックに視線を落とした。

 俺も筆を握り直し、デッサンを再開する。

 そして、そこからは黒鉛が擦れる音だけが美術室に響いていた。

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