第11話 秋穂
翌々日、俺はいつものように学校へ向かっていた。
土曜の晩は結局、家に帰ってすぐに寝てしまった。
ステラの件も、美春の件も、後回しにしたのだ。理由は簡単で、今すぐには受け止められそうになかったから。
今冷静に考えてみても、ステラの存在自体を信じられていない自分がいる。夢か幻でも見ていたのではないかと、さえ思う。
しかし、未だに手に残る彼女の手の温もりが、あの出来事が現実であったことを物語っていた。
「はぁ……七夕の精霊ってなんなんだよ」
そんな呟きとともに深いため息を一つ吐き出すと、俺は再び歩き出した。
いくら考えたところで答えが出るわけない。俺はステラの絵がかければそれでいいのだから、彼女のいう通り秋穂の願いを叶えるだけだ。
ステラのことなんかよりも、今は秋穂のことが気になる。
彼女がどうしてあんなことを願ったのか知らなければならない。
おそらく今日も部活に顔を出すだろう。その時にさりげなく聞き出させればいいのだが……。
☆★☆
授業が終わり、放課後の部活動の時間になった。
いつも通り俺は部室へ向かう。美春と二人で……。
いつもなら、他愛もない会話を交わしながら歩く廊下だったが、今日の俺たちの間には沈黙が流れていた。
自分の愚かさに嫌気がさす。
どれだけ覚悟をしていても、どれだけ決意を固めていても、いざとなると『おま付き合えない』の一言が出てこないのだ。
本当に情けない。
「昨日は楽しかったね」
ふと、隣を歩く彼女が屈託のない笑顔で話しかけてくる。
いつもと変わらない春の陽気のような暖かさを含んだ笑顔で……。けれど、どこか曇ったような悲しそうな笑顔で……。
無理をしているのが丸わかりだ。
本当は昨日のことを強く引きずっているはずなのに、この葬式にも似た空気を払拭しようと明るく振る舞っている。
それがわかるからこそ、余計に胸が締め付けられた。
俺は彼女が作るこの空気に甘えてはいけない。
しっかりと、伝えなければならない。
それなのに……
「ああ、そうだな」
俺はまた彼女の優しさに甘えようとしている。
小学生でもできる、『振る』という簡単な行為ができずに、美春の心に黒い水滴をポタポタと垂らし続けている。
彼女の心が濁り始めているのを知っているのに。
「今日も部活頑張ろうね。輝彦の新作楽しみにしてるよ」
気づけばもう美術室の前に着いていた。
背中に背負った負の感情をそのまま、背後の彼女に押し付けて、俺は絵の具に汚れた扉を開く。
すると、そこには予想通り秋穂の姿があり、スケッチブックと向き合っていた。
彼女はこちらに気がつくと、いつもの調子で話しかけてくる。
「こんにちは。先輩方」
「ああ、お疲れ」
「やっほー、秋穂ちゃん」
俺は適当に挨拶を済ませると、秋穂の向かい側の席に座った。そして、その隣に美春が座る。
相も変わらず、閑散とした美術室。
うちの高校は田舎の小規模校のくせに、部活の種類だけは無駄に豊富だ。
漫画研究部、イラスト同好会……それらがあるおかげで、美術部に入ってくるのは本当に美術に興味がある者だけで、今も俺たち三人しかおらず、廃部寸前だ。まあ、俺としては、このくらいの人数の方が集中できていいのだが。
「……ふぅ」
静寂を壊さないようにゆっくりとスケッチブックを鞄から取り出す。そして、鉛筆を手に取り、真っ白なページの上に走らせていく。
目の前の秋穂も黙々と作業を続けている。時折、顔を上げてこちらを見たりはするが、特に何かを言ってくるわけでもなく、静かに筆を動かしている。
静かな空間に鉛筆が走る音だけが響いていた。
この心地よい空間を破壊するのは憚られたが、俺は鉛筆を走らせる中でさりげなく切り出した。
「なあ、昨日は七夕だったけど星祭には行ったのか」
唐突な質問だったにもかかわらず、秋穂は筆を止めずに答える。
「ええ、行きましたよ。先輩も行かれたんですか?」
「ああ、俺も言ったよ」
俺の答えが意外だったのか、今度は筆をピタリと止める秋穂。そして、こちらを凝視する。その目は驚きに満ち溢れていた。
「へぇー。先輩はああいうの興味なさそうなのに。以外ですね。あっ! もしかして美春先輩に誘われたんですか!?」
言われて、美春の方をチラと見る。隣の彼女はぎこちない笑みを浮かべていた。
「まぁ……そんなところだな」
「やっぱりそうですか! お二人は本当に仲がいいですよね!」
何か含みを持たせたような言い方をする秋穂。
俺と美春が付き合っているとでも思ったのだろうか。実際には『振る』のを、保留にしている最中なのだが……。
秋穂はそんなこと知る由もない。
「ところで、なんで急に星祭のことなんて聞いてきたんですか?」
「あ、ああ……お前の名前が書かれた短冊をたまたま見つけてな。それで少し気になっただけだ」
「え…………」
俺の言葉に秋穂は顔を青ざめさせた。明らかに動揺している様子だ。
次の瞬間、秋穂の口から呟くように出た声は普段の彼女からは想像できないほど低く、暗いものだった。
「私の短冊を……見たんですか?」
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