第10話 ステラ
「あ、あの……え、えっと…………ね、願い事は……ありますか?」
震える声で尋ねてくる彼女。目の下に大きなクマを作りながら、目尻に涙を溜めながら、それでも精一杯の笑顔を作って俺に微笑みかけてくる。
その痛々しくも美しさを隠しきれない姿に、俺は思わず見惚れてしまっていた。
しかし、すぐに我に返ると彼女の質問に首を傾ける。
「は?」
質問の意図が全くわからなかったからだ。
けれど、目の前の彼女は至って真剣のようで、俺の答えを待っているようだった。
だから、俺は彼女の質問に素直に答える。
「いや、もう書いてそこの笹に飾ったけど」
すると、彼女は「えっ」と嬉しそうに声を漏らして満面の笑みを浮かべた。そして、再び笹の方に目を向けると、俺の短冊を探し始める。
「え、ええ……ど、どこら辺ですか?」
頭についた大きな星型の髪飾り。
それについた、赤、青、紫、黄色の短冊が彼女の動きに合わせてゆらゆらと揺れる。その動きはまるで彼女の心情を表しているかのように忙しないものだった。
そんな可愛らしい彼女の様子を見て、思わず笑みが溢れそうになる。
「覚えてない」
「そんな……」
俺がそう言うと、彼女はあからさまに肩を落とした。しかし、すぐに顔を上げると、笹に視線を戻し、懸命に探し始める。
「うーん、どれだろう? こ、これかな? 違う……これも違う……」
それからしばらくの間、彼女は探し続けたが、一向に見つかる気配はなかった。
当然だ。あんな小さな紙切れが、こんな大きな笹から見つけられるはずもない。
必死な彼女の背中が可愛いくて、俺は何も言わずに見守っていたのだが、さすがにこれ以上は意地が悪すぎると思い声をかけた。
「はあ、そんな中から探していても日が暮れるぞ」
「でも…………」
彼女は悲しそうに俯くと、消え入りそうな声で呟いた。それがどうもいたたまれなくて俺は彼女に提案する。
「わかった、じゃあ改めてここで直接、君にお願いするよ」
俺の言葉に彼女は勢いよく顔を上げた。その表情からは驚きと喜びの色が見て取れる。
そんな彼女の顔を真っ直ぐ見つめて、一呼吸置いたのち、ゆっくりと口を開いた。
「君を絵に描きたい」
ポッカリと口を半開きにしてこちらを見つめる彼女。
しまった。いくらなんでも直球過ぎたかもしれない。引かれただろうか……。
そんな不安に駆られていると、彼女は恥ずかしそうに顔を赤く染めながら、消え入りそうな声で呟く。
「わ、私を……ですか?」
「ああ」
「私なんかでいいんでしょうか……?」
「君がいいんだ」
即答する。考えるよりも先に言葉が出た。
自分でも驚いている。まさかここまで積極的になれるとは思っていなかったから。
けれど、後悔はしていない。
月明かりに照らされる彼女の姿を目にした時、確信したのだ。彼女となら、満足のゆく一枚が描けると。
自分でもなぜこんなに心惹かれるのかよくわからない。ただ、この子を描きたいという気持ちが湧き上がってくるのだ。
だから、この衝動に身を任せることにした。それだけだ。
そんな想いが伝わったのか、伝わっていないのかはわからないが、彼女は少し悩むような素振りを見せた後、優しく微笑んでくれた。
「わかりました。いいですよ」
「本当か?」
「ただし、一つ条件があります」
俺の側まで歩いてきた彼女は俺の手をそっと握ると、上目遣いで俺のことを見つめてきた。
身長差のせいで上目遣いになっているのだろうが、正直言ってかなりグッとくるものがある。
「……な、なんだ?」
動揺を悟られないように平静を装うと、俺は彼女に問いかけた。
「私が皆さんの願い事を叶えるのを手伝ってください」
突拍子もない提案に、一瞬何を言われたのか理解が追いつかなかった。
「願い事を叶える?」
「はい。私は七夕のお願い事を叶えるのが役目の七夕の精霊さん? みたいな存在なんですよ。それで、絵のモデルになりながら、みんなの願いも叶えるというのは少し大変なので、お手伝いしてもらえないかなって思いまして」
いや……七夕の精霊って、そんな馬鹿な話があるわけがないだろう……。そんな嘘を信じるほど馬鹿ではない。
馬鹿ではないのだが……目の前の少女を見ていると、どうにも信じそうになってしまう自分がいるのも事実だ。それほどまでに彼女は神秘的で魅力的だった。
透き通るような白い肌に、艶やかな白色の髪。長い睫毛に縁取られた大きな瞳は、夜空に浮かぶ星の光をそのまま閉じ込めたかのように輝いていて、どこか浮世離れした、現実味の薄い雰囲気を漂わせている。
加えて、着崩した着物の隙間から覗く鎖骨や、白く細い首筋は艶めかしく、見ている者の劣情を煽るような色香を放っていた。
可愛い上に色気もある。そんな有り得ない存在はファンタジーだと受け止める方がまだ楽だ。
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。精霊だのなんだのはよくわからないが、とりあえず、君の手伝いをすればモデルになってくれるってことでいいんだな?」
「はい。そうです」
「わかった。協力しよう」
俺程度の協力を得られたのがそんなに嬉しかったのだろうか。
彼女は嬉しそうに微笑むと「ありがとうございます!」と言って頭を下げた。
その無邪気な笑顔は、見ているこちらが恥ずかしくなってしまうほどに眩しくて、俺は思わず目を逸らしてしまう。
「そ、それで……俺は何をしたらいいんだ?」
「まずは、あなたのお名前を教えていただけませんか?」
「真城輝彦だ」
「輝彦さんですね。私は……そうですね、ステラ。私のことはステラとお呼びください」
ステラ。星を連想させるその名前は彼女の雰囲気にぴったりの名前だ。
「よろしくな。ステラ」
「はい! よろしくお願いします!」
彼女の小さな手が俺の手を包み込むようにして握ってきた。今度は俺も握り返す。
柔らかく、温かい手だった。離すのが名残惜しいほどに……。
しかし、俺の願いは叶うはずもなく、あっさりとその手は離れていった。そのまま、彼女は俺に背を向けると、笹に吊るされた短冊へと手を伸ばす。
そして、その中から一枚を選ぶと、俺の前に戻ってきた。
「では、早速このお願いを頼めますか」
彼女が差し出した短冊には『お母さんとお父さんに産んでくれてありがとうって伝えたい』と書かれていた。
赤い短冊に強い筆圧で書かれたあろう文字からはこの願いを書いた人の強い想いが伝わってくる。きっと大切な願いなのだろう。
俺は内容を記憶すると、その短冊を笹に戻して、ステラに向き直る。
「願いを叶えると言ってもどうやってやるんだ?」
「そ、それは……その……どうにか短冊を書いた人を見つけて、その人のお願いが叶うように手助けをしてあげてください……」
要するに力技ということか。まさかそんな現実的な方法で願いを叶えるとは……。
てっきり魔法とか奇跡の力で解決すると思っていただけに拍子抜けしてしまった。
「私は一応、お願いを叶えるための力みたいなものがあるんですけど……それを使っても難しいものがいくつかあるので……それを輝彦さんに……」
「なるほどな」
通常であれば人を探すだけでもものすごい時間がかかるだろうが、幸い、先ほどの短冊に書かれた名前には見覚えがあった。
ただ、次からは知り合いの名前が書かれた短冊だけを受け取ることにしよう。そんなことを考えていると、額に何か冷たいものが当たった。雨だ。
「
空を見上げながら呟く彼女の横顔はとても悲しげで、儚げで、まるで彦星との別れを悲しむ織姫のようだった。
雨粒が彼女の頬を伝った瞬間、この雨が彼女の涙であるかのように錯覚してしまう。それほどまでに目の前の少女は悲しげな表情を浮かべていた。
「……今日はもうお別れにしましょうか。輝彦さん。その子のお願い。叶えさせてあげてくださいね」
俺もつられて空を見上げる。分厚い雲に覆われた空にはもう、月は見えなかった。
「ああ、任せろ」
短く返事をすると、俺はその場を後にしたのだった。
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