7話 歌を歌うということ

『なんか、今日テンション高くない?』

「え?そ、そうかな?」

『おー。今日の叶夢は声が大きかったし、声色も明るかったと思う』

「……あー。たぶんそれ部活のせいだ」


 配信室とは別にある部屋で、私はベッドに横たわって仰向きになりながら、ぼーっとした気持ちのまま通話していた。私は暖色よりも寒色が好きで、カーテンやベッドのマットレスカバーなども薄い青色で統一している。こっちの方が心が落ち着く。


 初の演技は、正直言ってボロボロだった。台本を渡されて、音読するだけでも精一杯。少しでも顔を上げて話そうとしようものなら、言葉がつっかえて喉を通ってこなかった。


 白川さんは「やっぱりね……」と表情で語っていたが、私は私の演技が想像以上の下手で余計に落ち込んだ。私はVtuberだ。ネット上では別人格としてほかの人とやり取りしている。

 大手Vtuber事務所ではキャラクターを設定して、そのキャラにあった人をオーディションで募集する場合が多い。つまり大手に所属するVtuber達はある程度の演技力が求められる。もっとも、最近はキャラとは違う中の人の素を出し、ギャップを演出して人気を獲得する手法もあるが。


 キャラ付けの必要性は、個人でも変わらない。私もVtuberになる時、外見的、内面的キャラクター設定は必ず行わなければならない。歌がメインの私でも、モデルイラスト制作依頼時や配信開始初期には「私はこういうキャラクターだ」という指標を作ることで視聴者のターゲットが絞りやすく、夢月天ゆづきそらを続け易くなる。

 なので、役を演じるという点では、私も天才役者の白川さんに負けずとも劣らない活躍を見せるかと思っていた。

 ……が、演技力は足元にも及ばなかった。さすが子供の頃から演技と向き合ってきた人のそれは、洗練されたものだった。


『叶夢って部活入ってたのか?』

「昨日まで入ってなかったんだけどね。今日こんなことがあって」


 私は先週から今週にかけて起こったことを全て育美さんに話した。子役の白川真鈴と出会ったこと、そして彼女の立ち上げる演劇部に仮入部することになったこと。

 育美さんは私と白川さんにつながりがったことに最初こそ驚愕の声を上げていたが、吉原先生が私を演劇部に連れていったあたりからただ相槌を返すだけになっていた。私がいきさつを話し終えてから「なるほど」と、どこか合点がいったように育美さんは静かに語りだした。


「あのセンセーは確かに見た目ごっつくて脳筋っぽい雰囲気があるけど、あれでも意外と色んなこと考えてるんだよんな。私が2年の頃担任が吉原だったけど、そんなイメージ。たぶん吉原は、叶夢にとって一番夢が叶う可能性が高い道を示したんだな」

「なんでそう言い切れるの?」


「お前の弱点だよ。吉原にも話してたんだろ?『人前では歌えない』ってこと」


 私も、なんで吉原先生があそこに私を連れて行ったかをずっと考えていた。いつも主張が弱いから入部させやすいとか、学校で常に1人でいる私を哀れに思ったとか……考えられる可能性は幾つもあった。


「うん……」

『高校には合唱部とか、歌を歌う機会ないでしょ?だから今回、演劇部に参加させることで歌えるようにさせたいんじゃね?』

「荒療治すぎない?それ」


 でも、その話を聞いて妙に納得してしまっている私がいる。先生は私によく「人前で歌わないのか?」と聞いてくる。母のような、多くの人の前で歌を歌う歌手になるのであれば人前で歌うのを怖がってはいけない。だが、どうしても人前で歌おうとすると、私を見つめる表情が、視線が、突き刺さるのを感じる。何度か克服しようと努力してきたが、吉原先生の前でも、育美さんの前でもついには歌えなかった。


『あたしも叶夢の歌、生で聴きてーから、センセーの判断は超ナイス!って感じなんだけどな』


 育美さんも吉原先生の判断には好感を持っているらしい。冗談めかすようにケラケラと笑っていた育美さんだったが、配信でよく聞く小馬鹿にしたような声色は感じられない。私は不満を訴える声を漏らしながらうつ伏せの状態になった。

 枕元のサイドテーブルには、私が幼いころに母と撮った写真が飾られている。私が初めて見に行った母のライブ終わりの写真だ。私が満面の笑みで母に抱えられている。母も歯をニッと出して笑っている。


「確かにいつかはお母さんみたいに、沢山の人の前で歌いたいけどさ、心の準備がまだできないんだよね」

『そんなこと言ってるとあっという間に時間は過ぎるんだぞ?今のうちにできることやっとけって』

「でも……」

『……まー、あんま無理はしねーことだな』


 私の気持ちを感じ取ってくれたのか、育美さんはこれ以上食い下がることはなかった。歌を聴きたいと言ってくれたことは嬉しかったが、演劇部で演劇をする事でそれが解消するとも思えなかった。



 次の日も、学校が終わると部室へと顔を出した。古びた廊下の埃が窓からの光で反射する廊下を歩く。昨日の稽古で私が積み上げてきたちっぽけな自信が悲鳴をあげている。重い足取りで、「演劇部」と書かれた札のある教室の前に立った。

 ドアの隙間から、ザワザワと話し声が聞こえてきた。1人や2人じゃない、大人数が無秩序に話しているみたいだった。


 不思議に思いドアを開けると、目の前には信じられない光景が広がっていた。


 教室の窓際の方、私たちが昨日作ったミニ舞台に白川さんが立っていた。問題はそこではなかった。


 舞台の前には椅子に座る多くの生徒たちがいた。教室いっぱいに畑のように広がる人の頭に、何となくアーティストのライブを思い出していた。


 気がつくと白川さんが手招きをしていた。人と人の間を通り抜けながら白川さんの隣まで近づいて行って、小さく耳打ちする感覚で尋ねる。


「これ、どう言う事ですか……?」

「全員入部希望者よ。さっき数えたら58人いたわ」

「ごじゅ……!?」

「叶夢はここで立ってて」


 教室いっぱいにいると思ったが、よもや1クラス分の人数をゆうに超えるとは。

 私の反応を見た白川さんは、ふふっと息を漏らすと、いつも通りの良い姿勢で話し始めた。


「今日は、演劇部の見学に来てくれてありがとうございます。部長の白川真鈴です」


 各々バラバラに話していたみんなが、白川さんが話し出した事であっという間に静まり返った。視線が白川さんの方へ向く。隣に立つ私にも視線が少し向けられた。好奇心と不審感を含むみんなの表情に、私は舞台にすら立つのがやったの状態だった。

 心臓が早鐘を打ち、額から汗が噴き出るのを感じる。

 

「そして彼女は部員の夢月叶夢です。」

「ひぇっ」


 まだ部員じゃないのに!!仮入部なのに!!

 これで私は舞台から降りれなくなった。腰が抜けてしまいそうになるが、なんとか耐えた。


「演劇部は、キャスト、照明、音響、脚本、大道具など……様々な部門の上で成り立っています。今日は仮入部ということで、皆さんがやってみたい部門で練習や作成を行いましょう。では、キャスト志望はこっちで、照明はあちらに椅子ごと移動して……」


 白川さんは慣れた手つきで誘導を始めた。こんなに大勢の人の前で話しているというのに全く動じていない。元子役なんだから、もっと大勢の人の前で話したり、演じたりすることもあるのだろう。


 そんな白川さんに感心していたが、すぐに暗雲が立ち込める。


「それでは移動してください」


 よく通る鈴のような声が教室に響く。それを皮切りに生徒たちはザワザワと話し始めはしたものの、誰1人として移動しようとはしなかった。


「あの、すぐに移動していただけるとありがたいのですが……」

「あ俺、役者志望っす!しかもたぶん、みんな役者志望じゃねーの?」


 最前列に座る1人の男が、颯爽と立ち上がると、みんなに向かってそんなことを言った。席に座るみんなも、その男子に賛同するように首を縦に振っていた。それを見て、その男子はイキイキと語り出した。


「だって、あの白川真鈴が同じ学校なんだぜ?しかも学校で演劇やるってことは、プロと一緒に部活できるってことだ。こんなチャンス、二度と来ないからな」


 ……ああ、やっぱりこうなったか。

 白川さんは元とはいえ、一時期は地上波のドラマで多くの作品に出演してきた有名子役。テレビをあまり見ない私でも知っている程の知名度。そんな彼女と同じ高校に入学した上に、彼女が部活を立ち上げるという。有名人の光をあやかろうとする人たちはどの場所、どの年代にも存在する。


 彼の表情からは自分の利益を第一に考える下衆の心が透けて見えた。こういう表情をする人は、母の周りで何度も見てきたからわかる。私の中にはもう怒りはなく、諦めを含んだ無感情だった。

 でも、彼はまだ素直な方だと思う。こうして口に出して自己の利益について語れるなんて、彼の育った環境は暖かい人が多い環境だったのだろう。今に社会に出れば、こういう奴から緩やかに仲間外れにされていくというのに。


 私は、もはやステージに立っていることも忘れて、淡々と思考を巡らせていた。白川さんだって、こうした輩は初めてではないはずだ。冷静な対応を……


「ふうん、そう。演劇はやったことはあるの?」

「え?ねえけど……でもさ、テレビでよく見てるし、たまにモノマネとかやるから、俺ならできると思うんだよな!それに、よく人から顔もかっこいいって言われるし」


 彼は相当自分に自信があるらしく、真っ直ぐに白川さんを見つめている。表情から、さっきまでの言葉に嘘はないことがわかる。

 私は、この手の男は苦手だ。根拠も無いくせに自信と口だけは人並み以上にあるので、周囲の評価だけ異常に高い。もっとも、みんな気を遣って持ち上げているだけかもしれないが、その行動がこうした男を育てる環境となっていく。

 白川さんは、こんな男との接し方も心掛けているのか……


「……わかったわ。貴方はもう勝手に喋らないで。じゃあ、仮入部期間であなたたちにやってもらうことを伝えます。」


 白川さんは淡々と話す。視線は彼には向けられず、表情は先程よりもこわばっていて、怒気に近い感情を感じる。……あれ?なんか結構怒ってる?


「ここに、一つの作品があります。この中で、私が選んだ一幕……これを、いくつかのグループに分かれて練習してもらい、みんなの前で演技してもらいます」


 先程以上にざわめく生徒たち。「急すぎない?」「いきなりなんて無理!」など、苦言を呈する声も聞こえてきた。


「あ、あの……!流石に急じゃないですか?せめて、白川さんから何かしらの演技に関するレクチャーがあっても……」

「キャスト志望であるのなら、その気持ちを見せてもらわないと。それに、常に私の教えを乞うのでは、演劇部全体は向上しませんので」


 恐る恐るといった雰囲気で聞いた女子生徒の質問に対して、白川さんはピシャリと言い放った。女子生徒はそんな言い方に気押されて「す、すいません……」と尻込んでしまった。


「明日、もう一度同じ時間に集合してもらいます。もしこれをやりたいと思うのであれば、集まってください。その時にグループ分けをするので、参加するか辞退するか……しっかりと考えてください。」


 白川さんはそれだけ言うと、もう話すことはない、とばかりに舞台を降りる。しばらくして生徒が1人立ち上がると、ゾロゾロと教室を後にしていった。

 私は先程から白川さんの後ろについて表情を観察していたが、こわばった表情と見開いた目からは怒気しか感じられない。こちらに向けられたものではないとわかっていたため、矛先を私に向けられたくはない。

 

 だが、5分もすると部室から全員がいなくなって、部屋には私ち白川さんだけが残された。このまま離さないわけにはいかないとわかってはいなかった。考えた結果、私はあえて明るく話を切り出してみることにした。


「ぶ、部員がいっぱいきてくれて良かったですね〜!あっはは……」

「あなたそんなこというタイプじゃないでしょ」

「……」

「……ああ、もうっ!いくわよ叶夢!」


 白川さんは叫んだ。「どこに……?」という声を置き去りにする勢いで白川さんは荷物を引っ掴んで部室を出る。私も慌てて、教室を後にした。

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